小波さんと左巻さんと京都で飲んでたんですけど、「水伝」はポエムだというのだから、ポエムを募集するのはどうか、という話になりました
自信作を投稿してください。癒されるやつがいいです。
優秀作には豪華・・・・
僕はまだ考えてません
独立させます。
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たかぎF November 28, 2006 @ 05:01pm
マイナスイオン効果をうたった広告に科学的根拠がないものが含まれているとして,東京都が業者に景品表示法を守るよう指導したらしいです.とりあえず7業者だとか.
gooニュース↓
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20061128i303-yol.html
東京都消費者センター↓
http://shouhiseikatu.metro.tokyo.jp/s_hogo/sisin/061127ion.html
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としぞう November 28, 2006 @ 06:26pm
上の消費者センターによる記述をみて、下記のようなのがあったことを思い出しました。
http://www.nikki.ne.jp/news/103464.html
「集中力を高める効果、疲労を軽減しリラックス効果や血流を促し体調を整える効果、心身ともにリフレッシュする効果」等といいながら、「、、、と言われています」「数値では測れないメンタル面への性能、、、」。こういう風に言っておくと、消費者センターに文句を言われなくて済むという配慮なんでしょうか。
同じ会社ははちなみに今年になってからも「岩盤浴」の会社と提携し、「遠赤外線ダウン」とか「AG チタン サーモ」とかいう防寒着を売っているのは偶然ではないのでしょうね。
http://www.descente.co.jp/news/
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と November 28, 2006 @ 06:44pm
ヤフーの記事から参考としてリンクが張られていたのがAllaboutのこちら。
http://allabout.co.jp/career/invention/closeup/CU20020529/index.htm
解説者の肩書きを見ると、産学連携とマイナスイオンとの関係が深いと感じます。
さらに話はもどって、そもそも「水の結晶」とは「氷」であるということがどのくらい認識されているのか、気になりはじめました。もしかして、冷凍庫で作られる氷と全然別のものだと思われているのかもしれません。どうなんでしょうね
そう考えると、「水の結晶」という言葉は、マーケティングの面でうまかったと言えるかもしれません。あれが「氷」だったら、これほどヒットしなかったのかも
というわけで、さらに言わずもがなのことを書きます。
「水の結晶」というのは、つまり氷のことです。氷というのは「水の結晶」のことです。
雪や霜も氷ですが、液体の水が凍るのではなく、水蒸気がくっついてできるために、樹枝状などの形になります。しかし、違うのは形だけで、水分子の並び方は冷凍庫の氷と同じものです。つまり、ただの氷です。「水からの伝言」も雪や霜と同じです。
あの本で「水の結晶」と呼ばれているものは、要するに単なる「氷」です。枝分かれした形になるのは、できかたが「雪」と同じだからです。冷凍庫の氷と区別するなら、「水からの伝言」の「水の結晶」は「霜」です
まあ、そんなわけで、「水の結晶」というものを普通の氷とは違う特別なものだと思いこんでいるお友達がいたら、教えてあげてください。
あれはただの氷で、単なる霜です
「水からの伝言」が「水の結晶」と呼んでいるものは、自然界で「雪」や「霜」と呼ばれるものと同じ。
という話は、いろんな人がすでにはっきりと書いたり言ったりしているのですけど、やっぱりそういう説明は読み飛ばされているのではないかという意見がありました
これは、そうかもしれないんですよねえ
普通に冷凍庫で氷を作るのと同じ手順なのに、「ありがとう」と言うだけであんなのができるとしたら、驚くかもしれませんね
雪と同じだからこそ、中谷ダイアグラムを強調するのだし、「スノーフレーク」や「平松式」を薦めるんですけどね
普通に作っているのでないことは、江本自身の本にも書いてあります。しかし、「そうなのかあ」という程度の人たちは実は江本の本をまともに読んでいないのではないか、という印象はたしかに僕も持っています。
たぶん、「そうなのかあ」程度の人たちに比べれば、僕たちのほうが江本実験の詳細についてははるかに詳しい
実験のやりかたを知っている人も、雪や霜と同じという認識はまだまだ薄いかもしれない。江本自身が中谷を引き合いに出したりしてるのですが。
要するに、「読んでいないだろう」ということで、それはそうかもしれない。というより、それはありうるなあ
あれは雪や霜と同じものである(ただし、ものすごく小さい)ということをもっと積極的に書いていったほうがほうがいいかもしれません。ここを読んでいる人には言うまでもない話ではあるでしょうが
ところで、雪と霜が「同じ」っていうと、それも「え?」と思われるのかもしれませんね。「同じ」の意味にもよるのだけど、「できかた」が同じということです
↓のページがいいかもしれません
http://www1.odn.ne.jp/snow-crystals/
霜が「樹枝状」に育つことも、実はあまり知られていないかも
というわけで、「水からの伝言」が「水の結晶」と呼んでいるものは雪や霜と同じです。
実のところ、どちらかというと、むしろ霜ですけど
えーっと、「水からの伝言」を「水伝」と略しはじめたのが誰なのか、よく知らないのですが、みなさんもしかして「すいでん」って読んでます? 僕は「水からの伝言」だから「みずでん」と読んでました。「水滸伝に似てる」って記事を読んで思ったんですけど。
あまりにもしょうもなくて、すみません
田崎文書
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fs/
に対する反響の中に、ときどき、「文字はともかく、声は音波だから、結晶形に影響する可能性がある」という記述を見かけます
これはFAQとも言えるべきことなのですが、知らない人も多いようなので、改めて書いておきます
「水からの伝言」の作法では、「紙に書いた言葉を見せる」のも「声をかける」のも「音楽を聴かせる」のも、凍らせる前の水をいれたビンに対して行います。その後に、スポイトでシャーレに移し、冷凍庫で凍らせ、三時間後に取り出して顕微鏡観察します。結晶が成長するのはこの顕微鏡観察時ですから、「声をかけ」てから、最低でも三時間は経過していますし、ビンからシャーレに移したりもしているわけですから、水に当てた「音波」の振動が影響するなど、考える必要はまったくありません
というわけで、「音波は影響するかも」と言っているお友達がいたら、教えてあげてください。そういうことで議論になっても、時間の浪費ですからね
何度も言ってることなんですが、あらためて書くことにしました
「道徳やしつけの根拠を自然科学に求めるべきではない」
道徳を物質科学で基礎づけようとするのが「水伝」だったし、しつけの根拠を脳科学に求めようとするのが「ゲーム脳」でした。いや、提唱者がそうだというよりは、むしろ、受け入れる側の思考としてそうなっているという意味です。
それはやはり受け入れる側の「思考や思想の脆弱さ」を示すのだし、あるいは道徳やしつけに対する「自信のなさ」の表れです。もちろん、僕もそんなものに自信はないのだけど、だからといって、自然科学に頼ったところでなにも教えてくれるはずはないことは知っているので。
ホメオパシーの話題が出たので、混乱を避けるためにわけます
ホメオパシーは由緒正しいニセ科学で、欧米では人気があります。日本ではわりとマイナーだったのですけど、サンプラザ中野がはまったりして、流行のきざしはたしかにあります。また、以前から指摘しているとおり、「水からの伝言」や「波動」と共通する部分は多く、江本の著書でもとりあげられています。
ひとつだけお願い。ここでは「「水からの伝言」よりもホメオパシーに注意すべきだ」的な、「どっちがより重大」発言はやめてください。以前から繰り返し指摘している通り、「優先順位問題」は不毛です。それを言うなら、どれもこれも重要です。僕は「優先順位問題」にさんざん悩まされた過去があるので、「不毛」と断言します(だからこそ、物理学会シンポジウムのスライドにはわざわざ「優先順位問題」の項目があるのです)。
追記
かもひろやすさんが書いてくれましたが、ホメオパシーはマーティン・ガードナーの「奇妙な論理」でも取り上げられている代表的なニセ科学です。原書が1952年に発行され、邦訳も"今はなき"社会思想社から1980年に出たという古い本の中で、すでに「インチキ」と言われているものを今頃議論しなくてはならないという現実にはため息が出ますね。
ニセ科学は「インチキ」と言われたくらいではなくならないということです
12/9に鹿児島大で開かれる物理学会の九州支部大会で「物理学者とニセ科学と社会」という題の講演をするらしいです。まだ、なにも考えてませんが。
まあ、とにかく鹿児島に行く予定です
Libbrechtの"Snow flake"が邦訳出版されたとの情報をk_shibaさんからいただいたので、
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1163435860#CID1163752320
独立した項目にしておきます(RSS対策)
11/6発行だから、本当に出たばかりですね
書誌情報を再掲↓
http://www.yamakei.co.jp/prev.php?id=11503
山と渓谷社は実にタイムリーかつぐっじょぶです
「水からの伝言」に興味のある人もない人も、一家に一冊。原書を持ってる人も買う。これが「水伝」よりたくさん売れれば、世界はそれほど悪くない
美しい写真と「科学」でいっぱいの本です。クリスマス・プレゼントにも最適
何度か講演でしゃべった内容ですが、メモ代わりに書いておきます。ひとつ前のマイナスイオンに関する記事
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1163864085
の焼き直しみたいなもんです。
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「言葉にはエネルギーがあり、そのエネルギーが水の結晶形に影響を与える」という文章があったとして、それをどう捉えるかという問題です。「エネルギー」を「力」と置き換えても話は同じです。「波動」と置き換えるとちょっと違うのですが、それは応用問題ということで。
さて、問題の文章はふたつの内容を含みます。前半は「言葉にはエネルギーがある」で後半は「言葉のエネルギーが水の結晶形に影響を与える」です。このふたつがなんとなく「その」のひと言でつないでありますが、実のところ、論理的関係はないようなものです。
「言葉にはエネルギーがある」あるいは「言葉には力がある」という文章を単独で取り出すなら、なんら間違っていません。言葉にはたしかに人の心を動かす力やエネルギーがあります。もちろん、この場合の「エネルギー」や「力」は比喩であって、物理的な「エネルギー」や「力」ではありません。
ニセ科学を批判する人たちの中には、この手の比喩表現まであげつらって、鬼の首でも取ったように「科学的におかしい」と言う人もいるのですが、そんなことをしてはだめです。この表現は日常的に使われるごく普通のものであって、正しい文章です。
後半の「言葉のエネルギーが水の結晶形に影響を与える」は、文字通りの意味なら科学的に誤っています。結晶形に影響を与えるエネルギーなら、当然、物理的なエネルギーでなくてはなりません。この文章は、言葉が比喩ではなく実際に物理的エネルギーを持つと主張していることになり、科学的に誤りなのです。
つまり「言葉のエネルギー」というひとつの表現が、一方では比喩として使われ、他方では物理的実体として使われています。ひとつの表現に見えて、実はまったく違うふたつのものを指しているわけです。それを「その」のひと言で同一視してしまったのが、問題の文章ということになります。
いわば言葉のトリックですが、この手の文章で「納得した」とおっしゃる方々は意外に多いようです。納得する前に、ちょっと考えていただけるとよいのですが。
もちろん、最大限好意的な別の解釈としては、文章全体が比喩であると捉えることもできるにはできます。つまり「水の結晶形に影響を与える」のは事実ではなくてなんらかの比喩表現であると捉えるわけです。ファンタジーかポエムであると言い換えてもいいでしょう。いずれにしても、この文章が表すものは「事実ではない」わけです。それならそれで、筋が通ることは通ります。単に全体が無意味になるだけですが。
別にblog用のつもりではなく書いた文章なのですが、置いておきます
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「滝の近くにいると気分がよくなるのは、マイナスイオンがたくさんあるからだ」というありがちな表現について考えてみます。この文章は大きくふたつの内容からなっており、それを「因果関係」で結んでいます。前半の内容は「滝の近くにいると気分がよい」で、後半は「滝の近くにはマイナスイオンが多い」です。そして後半が前半の理由であるとされています。
前半の「滝の近くにいると気分がよい」というのが科学的事実かどうかは微妙ですが、経験的には、たしかにそんな気はします。とりあえず、これはいいとしましょう。ただし、「天気が悪くても、滝の近くでは気分がいいのか」という疑問は持っておいたほうがいいでしょう。多くの人は「滝の近くにいると気分がよい」という表現から、よく晴れた暖かい日の滝の情景を思い浮かべるのではないでしょうか。でも、滝のそばだからといって、晴れた日ばかりではありません。曇りの日も雨の日もありますし、暑い日も寒い日もあるのです。そこまで含めても「滝の近くにいると気分がよい」のかどうかと言われると、僕自身はそこまで滝がすばらしいとは思いません。
後半の「滝の近くはマイナスイオンが多い」はかなりくせものです。いくつかの定義をすれば、おそらく正しいと言っていいでしょう。いわゆるレナード効果については賛否あるらしいのですが、いちおう効果そのものは認められているのだと思います。滝の近くで本当にレナード効果が観測されているかについても、長らく疑問に感じていたのですが、比較的最近の論文の中に「滝の近くでレナード効果が観測された」という記述があったので、よいことにしておきましょう。ただし、それを「マイナスイオン」と呼んでいいかどうかはかなり問題です。「マイナスイオン」などという定義の曖昧な言葉で表現するのは問題を複雑にしてしまうだけなので、できれば避けたいところです。逆に「滝の近くで観測される帯電した水滴をマイナスイオンとよぶ」と定義してしまえば話は簡単なのですが。まあ、その程度の意味において、「滝の近くはマイナスイオンが多い」は正しい。ここで「マイナスイオン」という言葉が指すものは、あくまでもレナード効果によって作られた帯電微小水滴のことであって、コロナ放電で作られるものともトルマリンから発生するとされるものとも無関係です。
では、そこに因果関係を見ていいのかというのは大きな問題。水しぶきをあびれば気分がよくなりもするでしょうが、それは本当に「イオン」のせいなのか、というのは当然の疑問です。単に湿気のせいかもしれないし、まわりに比べてひんやりするせいかもしれない。「ひんやりするのは微小水滴があるからで、微小水滴は帯電しているのだから、つきつめればマイナスイオンのせいである」と言ってしまうと、嘘ではないのかもしれないけど、ずるい表現になりますね。そこにある水滴はたまたま帯電しちゃっているだけで、帯電しているかどうかはひんやりすることと関係ないわけです。もしこの程度の話だとすれば、微小水滴でありさえすればよく、イオンである必要はありません。当然、この話から、コロナ放電で作られる「イオン」については何もいえません。
微小水滴が効くのだとしたら、シャワーの近くはどうなのかという質問をしたくなります。実際、そういう実験をしてみたというウェブサイトがありました。イオンカウンターで測定した結果は、滝よりもシャワーのほうがマイナスイオンがはるかに多いという結論でした。イオンカウンターをどの程度信じていいかという問題はありますが。ではシャワーの近くにいるほうが滝のそばにいるよりも気分がいいのか、要するに問題はそこです。僕なら、天気のよい日に滝のそばに立っているほうが、シャワーよりも気分がいいと思いますが、まあそれは好き好きかもしれません。ただ、もしも気分のよさの原因が主としてマイナスイオンだとするなら、多くの人にとってシャワーのほうが気分がよいはずです。
さて、問題は「滝の近くにいると気分がよくなるのは、マイナスイオンがたくさんあるからだ」という文章の妥当性でした。どう思いますか。
どうにも、この程度の話が多すぎます
台湾に行ってるあいだに(まだ台湾ですが)たざき氏の文章が公開されて話題のようです↓
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fs/
もっと話題にしてね
ネットを見ると、一部に「反証実験が不要なわけ」に納得できないかたがおられるようです。しかし、「どんなにばかばかしい話であっても反証実験をしろ」という主張は受け入れがたいですよね。反証実験が必要かどうかは、基本的に「充分に確立したと考えられる科学の常識」とどの程度かけ離れているか、で判断することになります。
「ニセ科学だから反証不要」と言っているわけではないことに注意してください。
詳しくは、ずいぶん前に書いたblogの記事を見てください
そうは言っても実験があったほうが説得力があるのではないか、と考えるかたには、そこで必要なものは「反証実験」ではなく「デモンストレーション」であるとお答えしたいと思います。何度も言及している「平松式人工雪実験」なら、本当に小学校でもできますから、デモには最適です。MBSでの批判番組でも同様の趣旨で、「反証実験」ではなく「平松式」を紹介していました。
さて、もうひとつの「反証実験が不要なわけ」(というより、無駄なわけ)として、どんな反証実験をしたところで、信じている人を説得できるわけではないということがあります。mixiの「水伝」コミュで「どのような反証実験ができたら、信じるのをやめますか」という質問を投げたことがありますが、意味のある提案はありませんでした。
「信じていない人たち」からは多くの提案があるのですが。ここではっきり言っておきますが、「信じていない人」の提案なんか、なんの役にも立ちませんよ。信じている人の気持ちは信じている当人にしかわかならないのですから。
もっとも、信じていない人が「どうしても反証実験をしろと命令されたら、こんな実験をすればいいのかなあと考えている」という意見を集めてみるのはそれはそれで面白いかもしれませんね。
というわけで、ここでもう一度(何度目かな)きいてみたいと思います。"「水からの伝言」は事実である"と信じているかたで、"こんな実験ができたら、「水からの伝言」は嘘だと納得する"という提案があれば、ぜひお知らせください。あるいは、今は信じていないがかつては信じていた、というかたで、"こんな実験があればよかったのに"という提案でもいいです。信じてる人はあまりこれを読んでないと思うので、後者のほうが可能性があるかもしれませんね
明日から数日間、音信不通になります。blogのメンテもできないので、荒らさないでね。議論は例によって、みなさんご自由に進めてくださいませ
七田式の幼児教育は「超能力」指向が強く、かなり危ないので、こういうのにはまる親が多いのはまずいと思っています。七田眞はドーマンの影響を受けているうえに、「波動」ですから。
で、古書店で七田眞の大人向け「波動速読法」を見つけました。これによると、七田式の訓練を受けた子供は、本を手にしただけで、開くことなく、内容がわかるようになったりするそうです。
まあたしかに、この本に限って言えば、内容は目次を読むだけでわかりますし、表紙を見るだけでもだいたい予想はつきますけど、そういう自明な話ではないらしい。完全にオカルトです。
なぜ七田式が人気なのか、僕にはまったくわかりません。こういうオカルト指向の教室に自分の子供を送り込むのは、やめたほうがいいと思うのですが。「超能力・オカルト指向」というと、僕などはすぐにオウムを思い出しますけど、一般にはもう記憶が風化しちゃったのかな(幼児教育となると、親も若いですもんね)
いや、危険ですよ