詳しくは、「ほたるいかの書きつけ」
http://ameblo.jp/fireflysquid/entry-10136609441.html
「渋谷研究所X」
http://shibuken.seesaa.net/article/106630527.html
追記(9/23):
たくさんのコメントありがとうございます。読みつつありますが、先に追記。
この話には、まずもって「げんなり」させられます。これまでに「水伝」批判は(ペースは遅いとはいえ)それなりの成果を挙げつつあるのかと思っていました。TOSSのサイトからもとっくに取り下げられています。
ネットだけならなかなか伝わらないこともあるでしょうが、新聞・雑誌・テレビなどが何度か取り上げてくれましたから。しかし、伝わらないのですね。しかも、校長先生に伝わらないとは。
さすがに今回のことに対してはなんらかのアクションが必要と考えています。














この記事に対するコメント[206件]
1. こなみ — September 16, 2008 @10:28:25
2. ぱく — September 16, 2008 @12:11:52
3. なの — September 16, 2008 @15:33:41
本当に教育の事を話し合うならそんな女性校長だけが集まる必要ない
4. 憂鬱亭 — September 16, 2008 @18:43:49
「一杯のかけそば」の時の悲喜劇がもう一度繰り返されるのでしょうか?
校長も間違う、ということをどれだけ潔く認めることができるか、
競ってもらうことになりますね。
5. moonlight — September 16, 2008 @23:20:49
流石にこれはねえ。
大分じゃないけど,こういう人達が選ばれる?システムと
その仕組みを保持する教育委員会っていう存在?が一番問題なんじゃないかと・・・。
ま、どうやってこの委員会のメンバが決まるのかも問題だし。
そのあたりが「トンでも」だと仮定するとすべては納得できるわけで・・・。
某大阪の知事だっけが馬鹿呼ばわりするのはどうかとも思う一方で,その通りかと。
悲劇は前線よりももっと内地で繁殖してたりするのでは?
6. tomato — September 16, 2008 @23:51:30
> 表向き科学に敬意を払っているようで、実は科学にまったく背いているんですから
「算数や数学、理科が苦手だった、または、嫌い」っていう先生も沢山いるでしょうからね。それでも、生徒には勉強しろと勧めなければいけない立場の人な訳で。
7. さまき
— September 17, 2008 @09:24:09
大バカな校長がいるものです。
この校長も女性校長会の一員でしょう。
所沢市立小手指小学校 平成20年3月3日
「水」にありがとう !
そして、1年間 ご協力ありがとうございました!!
校長 柳沢 栄子
http://209.85.175.104/search?q=cache:79Dxha_8b2MJ:www.tokorozawa-stm.ed.jp/kotesasi-eh/syoukai/tayori2.htm+%E6%9F%B3%E6%B2%A2%E3%80%80%E6%A0%84%E5%AD%90+%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%80%80%E6%A0%A1%E9%95%B7&hl=ja&ct=clnk&cd=37&gl=jp&lr=lang_ja
「水からの伝言」1・2 江本 勝著 の本を読みませんか。
昨年3月の卒業式の式辞で、この本から学んだことを伝えました。日常使っている「ことば」が、水の結晶に表現されるというのです。(所沢市の雨水を撮影した写真もあります。)実験では、基本の水に「きれい」という文字を見せた水は美しい結晶に。「きたない」という文字を見せた水は、汚い結晶になってしまった写真がありました。人間の体は、約70%が水で出来ています。だから、励ましの言葉で立ち直ったり、やる気が出たり、許してあげたりできるのではないでしょうか。「ふわふわことば」をたくさん使い、学校教育目標の1つ「仲の良い子」を更に目指したいものです。
実験には「魂」「鬼」「天使」「悪魔」などのことばを使った時の結晶や音楽を聴いた時の結晶の写真も掲載されていました。。ご覧になってください。
8. こなみ — September 17, 2008 @10:14:47
彼女らの「クソまじめ」指向を考えると,正面からのまじめな批判を直接ぶつけることも考えないといけないと思い始めました。
> この校長も女性校長会の一員でしょう。
少し調べてみました。全国的な組織ですね。
因みに、この校長はこの組織の副会長です。
全国公立小・中学校女性校長会 本部役員 全国理事
http://www.jskk.jp/yakuin.html
10. こなみ — September 17, 2008 @10:23:37
http://ameblo.jp/fireflysquid/entry-10139358661.html
11. CSSC — September 17, 2008 @10:30:50
>そういう人たちはネット上の批判に対して,2ちゃんねると大して変わらない敵意をもつこともある
阪大の教授による阪大の掲示板というところから「ここが2ちゃんねるとは全く違う」ということにさすがの女性校長も気が付くかも知れません
12. こなみ — September 17, 2008 @10:53:39
そう気づくかどうかが,私には疑問なのです。そもそも見ないで判断する可能性が高い。小学校で長年つとめてきた年配の管理職という人たちの感覚は,かなりずれてますし。いろいろな意味で,ここの読者とは対極にある人たちです。
13. ぱく — September 17, 2008 @10:45:39
>阪大の教授による阪大の掲示板というところから
「ここが2ちゃんねるとは全く違う」
ということにさすがの女性校長も気が付くかも知れません
少し期待し過ぎのような気がします。
そこそこの地位である人(少なくとも世間一般ではそう思われている)が、全くの赤の他人から批判されて、それを素直に受け止めることなんかとても出来やしないような気がします。
ましてそういったことができるような理性を持ち合わせた人が「水からの・・」なんぞに染まる(信じる?)ものだろうか?????
じゃあアンタは何ができるんだ?と言いたくなるけどね。
きっと、この人たちは何を批判されているのか分からないでしょう。
校長なのに。
15. CSSC — September 17, 2008 @10:40:39
こういう人は批判の中身よりもまず「阪大の教授による阪大の掲示板」といったところから判断すると思ったからです
ここで気が付かないようなら、もう気が付くことはないかと。そこが最後の頼みの綱なので
16. いしやま — September 17, 2008 @11:00:30
何かしらの物理的接触が必要だと思いますが、自分の立場に不利な話に耳を傾けようとするかというと、これまたネガティブのように思います。
僕もこの件、ネガティブです。
阪大の先生だろうがなんだろうが、ネットに記事があがってるくらいではだめでしょう。
校長先生なら耳を傾けるだろう、ではなく、校長先生だから難しいのではないかと思います。
以前、僕がお話した校長先生はやはり女性でしたが、非常によくわかっておられ、研修で聞いたが怪しい話と思った、と言っておられました。そういう先生はそもそもこんなことをしないんですよ。
18. 内海 — September 17, 2008 @12:42:58
ただ疑問は疑問なんですが、アピールしないよりはした方が良いのではないかと。
もし、それで気付かないのであれば、世にある公務員バッシングとは違う形で「圧力」をかけても良いのではないかと思います。
バッシングではなく
20. hrgy — September 17, 2008 @15:26:10
2年前,プールの女児吸い込み事故を起こした
市内,学校の校長のようですね.教育委員会の
体制等が報じられている.
21. hrgy — September 17, 2008 @15:32:16
ふじみ野市の教育委員会.
22. さまき
— September 17, 2008 @18:38:31
校長が卒業式の式辞で「水伝」賛辞の話。そんな校長の話を誰一人おかしく思わないそこの教員も超低レベルです。
そういう校長が2人もいるとは、いったい、所沢はどういう校長人事をしているのだろうか?
23. いしやま — September 17, 2008 @19:02:43
もしかしたら、行き過ぎたポジティブアクションが背景にあるのかもしれませんが、判断に必要な情報が何も無いので、なんともいえません。
事務局のメールアドレスがありますね。ちょっと考えてみます。
25. たかぎF — September 17, 2008 @20:14:46
こういう層(=水伝話にひっかかる教師,特に管理職)に水伝の問題点を伝える効果的な手段って,ないものなんでしょうかね? 小中学校の先生の組織っていうのがどうなっているのかについて全然知らないのですけど,いくらなんでも「(くーちゃん|窪塚)が言ってた水の結晶の話イイよね!」ってな層をよりは,攻略法がありそうに思うのですが.
26. Hiro — September 17, 2008 @20:15:08
http://blog.canpan.info/brains/archive/67
桑原清四郎氏といえば、かの有名な森昭雄氏の「ゲーム脳の恐怖」に感銘を受け、学校教育に取り込んだ方のようです。
この小学校も女性校長のようですが、いったいどうなっているのでしょう。
27. moco — September 17, 2008 @20:17:01
何を言っても聞く耳を持っていないのではないでしょうか。
言っても無駄だとわかっているから教員も何も言わなくなって、
ますます自己中心的な世界観が増長してしまってるように感じます。
TOSSの先生なら「水伝」授業に問題があることを知っているでしょうし、
たいていの小学校にはTOSSの先生がいるのではないでしょうか。
この手の方々には上から目を覚まさせないと、
どうにもならないと思います。「上」とは、文科省や国会議員、
各自治体の教育長レベルが「水伝はまずい」という態度を打ち出せば、
手のひらを返したように、(TOSSが水伝授業を一斉に消してなかったことにしたように)口にしなくなるのではないでしょうか。
少なくとも僕は「上からやめろと言われたからやめた」としか言えない人を一人は知っています
29. こなみ — September 17, 2008 @20:49:20
> たいていの小学校にはTOSSの先生がいるのではないでしょうか。
問題があるという認識を持っているかどうか。叩かれて表からはコンテンツを引っ込めたけど,本音のところでは(批判者に対する恨みをもちながら)信じているかもしれないです。TOSS にはEM 信者もかなりいますし。
「やめる」と言われたから、やめただけ、という先生も多いでしょう(実例はひとりだけ知っています)
31. moco — September 17, 2008 @20:57:15
「水伝」を持ち出せば批判されるということは、
わかっているのではないかと思います。
「水伝」を信じているとしても。
知り合いにTOSSや「水伝」ビリーバー教師がいないので
確認の取りようはないのですが。
そのような先生が
「あっ、うちの校長、地雷踏んだな。でも黙っていよう」と
思っているのではないかな、と想像しています。
32. 山形ミクラス — September 17, 2008 @21:08:01
さっき思いついたのですが、
友達の名前を貼って(見せて、言って)凍らせる
↓
『汚い』結晶が出来る
↓
その子は悪いヤツだ
↓
いじめ、差別
という流れは簡単に起こりそうな気がします。
全国公立小・中学校女性校長会の副会長が隣町にいました。
激しく欝です。
33. 田部勝也
— September 17, 2008 @22:28:01
まったく同感です。
私は、「フェイルセーフ機構としての社会」とか「フールプルーフ機構としての社会」とかいう事をずっと考えているのですけれど、この場合も、件の校長先生たちが考えを改める事は期待できないとしても、「空気を醸成する」事はできる可能性がまだあると思うんですよ。
こなみさんが#28で指摘されていますけど、「あの」TOSSでさえ、本心では信奉しているにもかかわらず、「水伝」に関するコンテンツをホームページで堂々と喧伝するのがはばかられるような「空気」を、私たちの社会は作る事ができたのだと言っても許されると思います。
件の校長たちが内心ではどう思っていようと、「“空気を読んで”、“科学の話”として、または“道徳の話”として“水伝”を賛美するのは今は控えよう」という気分にさせる事ができれば、現状ではとても大きな成果だと、私は思いたいです──少なくとも、多くの子どもたちは救われるはずです。
──というか、赤の他人が、他者を(しかも自分よりも「偉い」人を)改心させようとするのは、ちょっといきなりハードルを上げすぎだと思うのです。
「空気の醸成」のために、自分にできる事を考えていきたいと思います。自分には、直接件の校長たちに働きかけるよりも、できる事があるような気がしますので。
--------------------
ちょっと余談ですけど、よく、「飲み会や合コンの場で血液型性格判断の話が出ても、“空気を読んで”話を合わせざるを得ない」といった話を聞きます。
でも、少なくとも私のまわりでは、「そういえばさ、この前ネット見てたら、生まれてきた自分の子がAB型だから愛せないって真剣に悩んでる母親がいたよ」「そうそう、付き合ってる彼がB型だと分かった途端に関係がぎくしゃくして結局別れたとか、そもそも最初からAB型の人とは絶対付き合わないと決めてるとか、そういう人いるよね〜。血液型性格判断って、なんていうか、差別偏見増幅装置?」という会話のほうが自然な「空気」が醸成されていて、むしろ、血液型性格判断に肯定的な話をするほうが「空気が読めない」「勇気ある」行為という状態だと感じています(私のまわりの人たちが私の目の前だけでそういう態度をとっているわけではないと信じたいですが、その点はどうだか分かりません)。
血液型性格判断に限らず、自分がいわゆる「ニセ科学」を非難すると、必ず「あなたがそれに価値を認めなくても、それに価値を認める人は幾らでもいるわけで、その価値観が間違っているとは決して言えないわけですね」とか「そういう対処が解決に成り得るとは見做さないでしょう」とか揶揄されるんですけど、ある特定・不特定の個人を説得するとか改心させるとかではなく、社会の「空気」に対する影響を考えつつ非難するように、私は心掛けたいです(なかなか上手く行きませんし、むしろ逆効果になってる事も多いのですが……)。
──少なくとも、「“水伝やばい”と声を上げてる人がたくさんいる」というだけでも、社会の「空気」への影響はあるでしょう。私一人を加えただけで「たくさん」になるわけではないですけど、この件に関しては少しでも何かできる事(何もしないという事も含めて、自分にできる少しでも良い事)をしたいです。
そういった意味では、
>mocoさん(#29)「そのような先生が/「あっ、うちの校長、地雷踏んだな。でも黙っていよう」と/思っているのではないかな、と想像しています」
そういった先生がもし本当にいるとして、そのような先生たちが、「校長、アレだけはちょっとヤバいですよ……」と言えたり、先生同士の世間話として普通にそういう話ができたり、先生たちのそういう噂話が校長の耳に届くような「空気」が醸成できれば、とりあえず、「完全勝利」と言っても良いように思います。
34. moco — September 17, 2008 @22:21:24
>そのレベルでも、科学に対する憎悪を抱いている人は多い
そこまで行ってしまっているのでしょうか。
多くの人は、科学と非科学の区別がつけられずにいる
だけではないでしょうか。
科学的な装いをまとった、「良さそうなもの」を無邪気に
受け入れてしまっているだけではないのかと思っています。
私自身、10年ほど前には雑誌の記事でマイナスイオンを信じ、
車のシガーライターにマイナスイオン発生器をつけていました。
科学が嫌いかどうかではなく、マイナスイオンについて
知らなかっただけでした。
「水伝」についても、無邪気に信じてしまっただけの人ならば、
きちんとした説明で、間違いに気がつくことが出来ると思います。
(思いたい、かな?)
信じてしまった人の中には指摘されても聞く耳を持たない人も当然いる
でしょうが、指摘によって気がつくことが出来る人たちだけでも
気がついてもらえれば、大きな一歩ではないでしょうか。
それに対して、どのように説得するか、は結構難しいです。
ひとりひとり、相手を見ながら、相手に合わせた対応をするのがいいのでしょうが・・・それはなんというか、きりがないですね。
途方に暮れます
[追記]
ポルという人はマルチハンドルで、まあふま君かそのお仲間なので、コメントを消しています。
36. 半日庵
— September 17, 2008 @22:35:38
そしてこのリストにある学校長の学校には行かないように私なら勧めますね。
さらに上手く宣伝できれば世間的には科学(理系にでもいいか)弱い学校というレッテルは貼れる気はします。
37. YMN — September 17, 2008 @23:27:36
今流行っている伝染病を知らない医師とか、建築基準法の改定を知らない建築士に準じるかと思います。
情報の収集分析を行い、全ての先生が最低限知っている必要のあることを全国に配布するシステムの不在というのが、ひとつの問題のように思います。
おそらく、戦前の中央集権的な教育体制に対する反省から独立性を高めたものと思いますが、結果的に大分のような各個に閉鎖社会を形成し、その中で汚職だけでなくデタラメも浄化できず、また教育界全体で必要な情報を共有し伝達することができないシステムになってしまっているのではないかと思います。
情報取得が各教員に任される形になれば、ただでさえ忙しい中で各個に(同じ)リサーチを行うことになる無駄手間になりますし、中には情報から取り残されてしまう教員も出てくることになります。
各個人のスキルや努力に大きく依存する状態は現代的とは言えないものがあります。
官製とは別の全国的な組織として日教組がありますが、「教え子を再び戦場に送るな」というスローガンの下で、その昔神話を史実として教えたことと同じことの繰り返しにはまるで無頓着に見えてしまいます。
どうしてなのかわからないのだけど。
批判されていることも本当に知らないのではないでしょうか
>「正しさへの反発」から、「間違っているのに、正しいと言っている」とこに共感するのでないか
う〜〜ん、水伝の科学的誤りを指摘された『信者』の方々の反応を見て思うのがですねぇ、『自分が良いと信じたことを貶された』とか『良いと信じた自分を貶された』と言うことに対する反発が大きいように感じるのですよ。
もちろん私の主観にすぎないですけど、『正しさ』が悪いっていう雰囲気は感じたことはないんですよ。
もし、何かで『正しい』と言えそうな理屈を考えつけたら、そう言う方向に流れそうなんですよね。
例えば、『音の振動が影響する可能性も・・・』なんてのを持ち出して来るのも結構見ますし、挙句の果てに『今の科学が完全ではないから』に逃げて、『正しさ』は自分の方に無いのを認めたがらない例も見た記憶があるです。
『正しくなくとも、お話しとして良ぉ出来てれば良ぇやん』みたいなのも多いですけど、ウソやと教えられた後で、ウソやと気づけなかった自分に対する言い訳みたいやなぁ・・・とは思てましたけども。
41. 憂鬱亭 — September 18, 2008 @00:11:24
小中学校ではないのですが、教員として同僚や他の職場の教員と話して感じていることからすると、「水伝」を支持している教員たちは、温泉カワセミさんがおっしゃっているように、「水伝にだって正しい部分があるはず」と思うのではないか、と私は考えます。
この場合、力点は「正しい」ではなく「あるはず」に置かれています。
「うまく説明できないんだけど」とか「難しい原理は理解し切れていないんだけど」とか弁解が付きますが、「信じたいことを信じているのに」という、情緒的な反応が先に来ることが多いですね。
特に「水伝」の骨格部分は、科学的な味付けはありますが、道徳的・情緒的なものですから、情緒的な反応とは親和性が特に強いので、「水伝」への信頼・依存を覆すことは困難だと思います。
また、「水伝」が科学的に間違っていると気付いたとしても、次にクリアしなければならないのは、「道徳的に正しいならば、事実と違っても良いではないか」という考え方です。
こちらの方は、覆すことがさらに困難だと思います。
今回の事態で望みうる最良の結末というのは、「科学的に間違っていることは教えてはいけない」と各教育委員会からお達しが出て、校長たちがやむを得ず口をつぐむ、というところではないでしょうか。
それ以上は、現在の校長たちの質から考えると、望むのは無理だと思います。
同時に、そんなお達しが出せる県教育委員会が関東にいくつあるかと考えると、こんな望みを抱くことさえ絶望的な気分になりますが。
42. moonlight — September 18, 2008 @00:42:01
それでもやはりこのような方々が各教育委員会や校長職についている事がおかしいのでは?
「善意だから」とか言う言葉では許せない事じゃないのでしょうか。
って,言うだけ野暮なのか。
ぼちぼち「根拠あり」すら通用しない局面が圧倒しつつある現場としては,大弱りなのですが。
> また、「水伝」が科学的に間違っていると気付いたとしても、次にクリアしなければならないのは、「道徳的に正しいならば、事実と違っても良いではないか」という考え方です。
> こちらの方は、覆すことがさらに困難だと思います。
そういうものなんですか? むしろ「道徳」のほうから話を持っていったほうが手っ取り早いのかと思っていました.
「そもそも "見た目の美醜で善悪を判断する" のは道徳的に正しいのか?」
と問われて,「正しい」と答える教師はさすがにいないだろうと思っていたのですが…
44. 憂鬱亭 — September 18, 2008 @01:24:22
多分、「水伝」支持者たちは「私たちがこの話で伝えたいことは美しい言葉を使うことのすばらしさで、見た目の美醜で善悪を判断することではない。なぜそのような偏った問題の立て方をするのか」と反論するでしょう。関心の中心が「美しい言葉を使う」ということにあるので、実験(?)は補助的なもの、という位置づけのつもりだと思います。
また、学校で使われる「水伝」の話には「水に感謝する」という「エコロジーもどき」のサブテーマも見え隠れしている気がします。
私の子どもたちが聞かされそうになった話もそうでした。
「水を美しくすること」(美の中身にも異論はあるのですが)に反対すること、環境を美化するための寓話に突っ込みを入れることは、これまた困難な気がします。
45. kururi — September 18, 2008 @02:02:59
1.そもそも科学にはあまり関心がない
2.(表向きはどうあれ内心は)科学が嫌い
のどっちかで、科学好きってことはないのでしょう
「水伝」を科学的事実と思っているんじゃないですか?
科学が嫌いなんではなくて、科学を知らないんですよ
47. koge — September 18, 2008 @07:48:22
もっとも、「宗教」抜きに「道徳」を教え込むことなんて不可能なのかもしれませんが、だったらそんなものしなくていいんじゃないかと思います。
>むしろ「道徳」のほうから話を持っていったほうが手っ取り早いのかと思っていました.
>「そもそも "見た目の美醜で善悪を判断する" のは道徳的に正しいのか?」
>と問われて,「正しい」と答える教師はさすがにいないだろうと思っていたのですが…
これが(こんなにいっぱい)いるから問題なんじゃないですか。
科学的にどうこうだけではこんなに大問題にはならないでしょう。(と個人的には思うのです。私なら「アホな教師じゃのぉ。」でスルーです。)
批判されたから(なぜ批判されたのか、分かっていないで)、ひっこめるという状態では、これからこういった問題が起きた場合に改善される見込みは殆どないように思えます。
教師として一番大切な資質が欠損しているとしか思えません。
49. たかぎF — September 18, 2008 @09:43:19
> 私たちがこの話で伝えたいことは美しい言葉を使うことのすばらしさで、見た目の美醜で善悪を判断することではない。なぜそのような偏った問題の立て方をするのか」と反論するでしょう。
「美しい言葉がすばらしい」ことの根拠が「結晶の見た目が美しい」なので,切り離せるわけがないと思うのですが,憂鬱亭さんの出会ったことのある水伝信者がそう言うのだというのであれば,仕方がないです.
それにしても,「水伝を真に受けるような教師はきっと○○なヤツに違いない.こんな説得をしてもきっとこういう詭弁で返してきて聞きやしないだろう」と最悪なケースの想定ばかりしていても,暗澹とするばかりでうれしいことがあまりないんで…
というか,説得できるどうかは以前に,そもそも問題になっていることすら届いてないんじゃないかと思うんですよ.上で田部勝也さんが書いてらっしゃるような,「どうもあの話は問題があるらしい」というような「空気」を,*小中学校教員の間で*醸成するのに効果的な方策はないもんでしょうか.
そこが最大の問題。
これだけいろいろやってきても、届かないところにはまったく届かないわけ
51. CID — September 18, 2008 @11:37:28
「水」の結晶を見た目で判断するということと、人などを見た目で評価することは一緒ではないかと気づいていないのではないかと思うんです。
水だから、特に何も考えずに見た目で判断してしまえる。
さすがにあなたは水以外も、よしあしの判断を見た目でするんですか?と突きつけられて、はいとは答えないと思いますけれど・・
52. 酔うぞ
— September 18, 2008 @21:15:33
教員として同僚や他の職場の教員と話して感じていることからすると、
「水伝」を支持している教員たちは、温泉カワセミさんが
おっしゃっているように、「水伝にだって正しい部分があるはず」
と思うのではないか、と私は考えます。
春(昨年度)にある学校で聞いた話で「過去に水伝を授業で取り上げたそうですが、その教員も転勤したので、今では何をやったのかも分かりません」ということでした。
この時に感じたのは、水伝をやった教員に対する、漠然とした批判という感じで、憂鬱亭 さんが「正しいことあるはずだ」に対して「そんなことやって良いのか?」という、明確ではない反対意見があったのだ、と受け取りました。
つまり漠然と進めようというする側と、漠然と反対する側という図式のように感じます。
もし、水伝反対の先生が「断固として反対」と主張すると、水伝授業が行われなかっただろうと予想できますし、水伝賛成の先生が「何かあっても水伝授業をやる」ということであれば、漠然と反対する先生を押し切るでしょう。
もちろん「漠然と水伝授業推進」と「なんとなく反対かもしれない」ぐらいの関係だと、「やってしまえ」になるでしょうね。
こんな事を考えてみると「水伝にだって正しい部分があるはず」vs「疑わしいが反対を主張できる程は分からない」という組合せで、どちらに転ぶのか?ということのように思えます。
もちろん、水伝確信犯のような人たちもいるわけですが、こういういわばトンデモな人たちはどこにでも常にいるわけで、現実に教育界で問題になるケースは上記のような「あいまいな人たち」への影響が大きく利くように感じます。
むしろ、「確かに“水伝”やばい」と言ってくれる人(そう言うであろう潜在的可能性の高い人)に、どれだけ現状を知ってもらうか──に注力したほうが(あくまで私の経験上の話ですが)良さそうです(それもなるべく非難活動とか反対活動とかいった「運動」「主義主張」として知ってもらうのではなく、最初はあくまでも知識・ネタとして知ってもらうのが良いようです)。
「“水伝”をうさんくさいとは思いつつ、その話題が出ても“空気”を読んで黙っている人」「そもそも“水伝”を知らないが、しかるべき経緯で知れば、その問題性を正しく認識できる人」は、まだまだたくさんいるはずだと、私は信じています。後者を含めれば、むしろこちらのほうが多数派だと。
その人たちの背中をちょっと押してあげられるだけで良いのだと──むしろそれ以上の事は自分には分不相応だと、私は思っています。
いわゆる「信者」と直接非難・直接対決する事を通じて、そういう態度を周囲に見せる事で、「内心うさんくさいと思ってたけど、“空気”を読んで話を合わせてた人」の背中を押してあげる事もできるでしょう。そのうちの何人かは、別の場で「水伝」の話題が出たときに勇気を出して「いや、でも、やっぱりそれはちょっと……」と言ってみるかも知れません。直接喧嘩を売るような真似はできなくても、気心の知れた同僚たちと世間話で「そうそう、うちの校長がさぁ……」といった事を話題にするようになるかも知れません。
ただ、やっぱり、いわゆる「信者」を直接非難するのはリスクの大きい「賭け」です。失うものも大きいかも知れないし(下手をすれば友人や職(まではいかなくても立場や居場所)を失うかも知れません)。
私は、気心の知れた友人たちや、信頼できる上司・同僚などとの何気ない会話や世間話・居酒屋談義などで、機会を見ては(できるだけさりげなく、できれば笑い話として)話題に出すようにしてきたつもりです。
で、まずはそういう人たちのなかで、そういう「空気」を作るわけです。そうしていくうちに、「“水伝”やばい」と言う事に抵抗感があるような「場」が自然に減っていくわけです。つまり、仲間しかいない飲み屋でしか言えなかったのが、聞き耳を立てている他人もいるであろう職場や電車の中などでも言えるようになり、それほど親しくない人相手にも言えるようになり、……という「空気」の醸成方法ですね。
もちろん、それが一番良い方法なのかどうかは分かりませんが、とにかく自分は自分にできる事しかできないんで。もし、もっと良い方法があるのならば、ぜひとも知りたいと思っています。もう切実に。
54. 田部勝也
— September 18, 2008 @21:52:15
非常に短い間ですけど、私は中学・高校で教員をしていました。その経験がどれほど一般化できるかは分かりませんが……、
ご自身が教員の場合は、これまでのコメントにも書いてきたように、(物理的にも心理的にも)比較的容易にできる事は多いと思います。
ご自身が学校に通う子どもさんをお持ちの保護者でしたら、できる事はとても多いと思います。学校にもよると思いますが、多くの学校では(特に私立学校では)おそらく保護者自身が思うよりも遥かに、学校側は保護者に対してsensitiveです(特に最近の市場主義的学校環境では)。保護者の「空気」を敏感に察知し(ガダルカナルやインパールでの旧日本軍軍人並みに)行動しがちです(少し前に話題になった必修科目未履修問題などはその行き過ぎた例でしょう)。だから、保護者の間で「“水伝”やばい」という「空気」があれば、たとえ校長や教員がどれほど「水伝」信奉者でも、おいそれとは「水伝」の話を切り出せないはずです(私立学校ならば特に)。これは通常、保護者が直接学校に文句を言いに行くよりも効果があります。この場合、学校側はその特定の保護者だけをなだめれば良いと考えがちだからです。でも、保護者全体に流れる「空気」を感じるとそうはいきません。で、何度でも言いますが、学校側は保護者たちの「空気」に非常に敏感であり、保護者が直接学校に伝えなくても、勝手に「察知」するものです。
まずは、お付き合いのある保護者どうしで、同じ年頃のお子さんを持つ近所の親御さんどうしで、お茶飲み話や世間話やPTAの集まりの二次会などで気楽に話題にしたりできるような「空気」を醸成できれば、もうその時点で「目標達成」と言っても良いと思います(もし、小中学校段階で、同じ学校や同じクラスの親御さんたちの間でお茶飲み話や世間話をするような「空気」がまったくなかったり、PTAの集まりでも二次会の場が設けられるという「空気」が全然ないのだとしたら、学校教育環境として、「水伝」をうんぬんする以前の根本的な問題があるような気がします)。
それ以外の方は、地道に「空気」の醸成に努めていくしかないでしょう。それは必ずどこかで、教員や学校に通うお子さんを持つ保護者の方々に届くはずです。
強調しておきますが、私が教員をしていたのはとても短い間だけです。以上の話がどれほど一般化できるかは正直分かりません。もっと有効な手立てはいくらでもあるはずです。より実際的で望ましい方策については、現場の教員や保護者の方々の提言を待ちたいと思います。
55. 憂鬱亭 — September 19, 2008 @00:13:04
>CIDさん
>さすがにあなたは水以外も、よしあしの判断を見た目でするんですか?と突きつけられて、はいとは答えないと思いますけれど・・
「心の乱れは服装の乱れから」と、いまだに中学高校の生徒指導関係教員の多くは平気で言い切ります。
教師の(特に人権や個性に関する)感覚は、20年前とそれほど大きく変わっていないと私は感じています。ただし、その感覚を言語化して保護者に示すことをためらう人は増えてきたように思います。だから、「はい」とは答えなくても、グダグダ言いそうな気はします。
>酔うぞ さん
私の感覚とは微妙に異なります。「漠然と否定派」は、おっしゃるとおり、かなり存在すると思います。しかし肯定派は漠然とでは無く、「良いことと信じている」人が多く、積極的に授業に使うのだと感じています。
否定派が漠然としているのは、忙しくて事の真偽を確かめるゆとりも無く、もしかしたら真偽を考えるゆとりさえも無いからではないでしょうか?小学校では持ち帰りで23時まで残業などというのは当たり前になっていますから、知識を仕入れるゆとりも無い人が多いでしょう。
>田部勝也さん
>おそらく保護者自身が思うよりも遥かに、学校側は保護者に対してsensitiveです
全く同感です。
おっしゃるように、PTA役員などが何かの機会に「水伝」に関する危惧を表明するだけで、かなりの効果が期待できると思います。
でも、最近はPTAの2次会はあまりしなくなったのではないでしょうか?酒が入ると問題行動(役員へのセクハラなど)を起こす管理職が多いですから。
行事の連絡や子どものために学校に行ったときでかまわないので、「こんなバカな教師はここにはいないよね」という感じの世間話で充分だと思います。
56. sai — September 19, 2008 @05:46:05
ディプロマミル の経歴を持つかたですね
江本 もまた (オープン・インターナショナル・ユニバーシティー」
より代替医療学博士の認定を受ける。)
こんな肩書きをもっています。
以下のサイトに掲載されているかたは ほとんど うさんくさい
感じです。
http://d.hatena.ne.jp/ironsand/20070610
ホノルル大学 国際学士院 イオンド大学 国際メンターシップ大学院大学
etc.
金銭で 学位が 売買され 〇〇博士 様のおっしゃることは正しい と
だましてしまう。
この辺が 一番の 悪の根源です ディプロマミル の根絶からスタートしないと
だめなのかな。。。
57. samu — September 19, 2008 @09:43:17
妻「自分も読んだよ。」
私「その本の内容はかなり問題が有るよ。」
妻「ふーん? でも、結晶の写真が綺麗だったよ。」
私「そうだね。」
妻「でもなぜ、水に結晶ができるの?」
私「ん!!」
ここではたと気が付いて、突っ込みを入れて妻の頭の中を分析してみると、妻は水に関して次のように認識していました。
気相の水=水蒸気
液層の水&温度が高い=お湯
液層の水&常温以下=水
固相の水=氷
このような理解の人に「水伝」はどの様な影響を与えるのか、考え込んでしまいました。
きっと理性ある誰かが一人ぐらいは読んでくれると信じて。。
一体、誰がメールするの?とは聞かないで!
全国公立小・中学校女性校長会 事務局
所在地:〒105-0003 東京都港区西新橋1−22−13−302
全日本中学校長会館内
電 話: 03−3502−0313
FAX: 03−3502−0075
Eメール: queen@m9.dion.ne.jp
59. Mag — September 19, 2008 @10:34:54
もうひとつ、この方が重大な気がしますが、なんと神戸市のホームページの保健福祉局のページ(下記アドレス)にこの「水伝」の話題を見つけました。なんとかならないものでしょうか。http://www.city.kobe.jp/cityoffice/18/menu03/h/kanken/kankyokagaku/topics/omizu_no_hanasi/index.htm
61. kuropapa — September 19, 2008 @11:37:27
メールアドレスも公開されていることですし、神戸市保健福祉局にもあわせて、忠告のメールを出しました。 決して理不尽なクレーマーのモンスター市民(?)とか思われないようになるべく冷静な筆致を心がけましたが、つい怒りが文面に滲み出てしまったことは否定しきれません...
62. 落伍弟子 — September 19, 2008 @12:36:59
CSSCさんが調べてくださった
>全国公立小・中学校女性校長会 本部役員 全国理事
>http://www.jskk.jp/yakuin.html
をみたら,京都府には存在しない市から理事がでてました。
架空名義だと思って,安心しておこうっと
石原も橋下もあれはあれで一般人好みなシバキ主義というか精神論じみた教育論を展開するのが上手いですし。
まあ、対抗手段はあると私は考えていますが。
64. CID — September 19, 2008 @13:47:42
あぁ、確かに・・。素行のよい私は言われませんでしたが、友人はよく言われてましたっけ
65. さんちゃん — September 19, 2008 @13:57:47
>をみたら,京都府には存在しない市から理事がでてました。
京都に「知山市」はないですが、『福知山市』はあるのでたぶん誤記でしょう。
「福知山市立細見小学校」は存在しています。
66. こなみ — September 19, 2008 @18:35:23
> ることは教えてはいけない」と各教育委員会からお達しが出て、校長
> たちがやむを得ず口をつぐむ、というところではないでしょうか。
最良のケースでは,教育長が教育委員会の公式サイトにしっかりした水伝批判を書いています。
http://www.komaki-aic.ed.jp/kyouikuiindayori/H17/iindayori137.htm
これはすばらしい。しかし,現在の教育委員会は独立性を問題視するさまざまな圧力の中で,きちんと筋の通った姿勢を見せることが難しくなって来ています。そんな中ではニセ科学に明確な態度を見せることにさえ躊躇することがあるのではないかと,そんな懸念をもっているところです。
だからって,何もしないわけにはいかないので,なるべく丁寧に道理を説くということしかないのでしょうね。科学者にはそれくらいしかできないのだし。
みんなこうだといいのですが
げ。この神戸市水道局のとこは、わたし以前に見つけて菊池先生に通報?して、あと自分のmixi日記にも書いて菊池先生+何人かの人がメールをして、即削除になったんですが。
復活してるって、すごい問題ありですよね〜。
ほんとにどうしたもんだか…
69. PARR — September 19, 2008 @21:16:12
> 復活してるって、すごい問題ありですよね〜。
無知ではなく「確信犯だった」ってことですね。批判を受けたときは、無知を装うのでしょう
70. tadashi
— September 20, 2008 @00:41:08
http://q.hatena.ne.jp/1221481638
また、全国公立小・中学校女性校長会 事務局
とは直接連絡とり、講演があったかどうかの事実確認をしました。
確かにしたそうです。
71. kuropapa — September 20, 2008 @02:04:58
神戸市水道局と神戸市保健福祉局(神戸市保健福祉局環境保健研究所)って、別物ですよね??
72. koge — September 20, 2008 @02:00:29
まだ水伝みたいなのをやめさせるために「民意」によって独立性を奪うのは毒を以て毒を制すという意味でやむなしかもしれませんが、逆に「民意」がこういうのを求める(水伝による教育をやると公言した候補が当選するなど)という地域も十分ありそうですからね。そういう場合どうすればいいのか…見当もつきません。
>神戸市
大都市でも、部署によってはPCに詳しい人が1人しかいないとかいうところも多いですからね。「信者」が勝手にやって誰にも気づかれないということも十分あり得ます。
以前も削除させたのにまた復活しているとのことでしたら、部署レベルではなく直接市長にメールされて対処を求めてははいかがでしょうか。
(http://www.city.kobe.jp/cityoffice/15/010/mayor/index.html
私も送ってみます。
初めまして。神戸市サイトについては、昨年わたしも個人的に抗議メールを送りました。今回は
「何故一度不適切な内容だったとして削除した『水からの伝言』宣伝を再度掲載したのか、経緯を教えて欲しい」
という内容でメールをしました。
市長宛ではないほうが良いとわたしは判断しました。市長が鶴の一声で
「これはきれいだから良い!」
と言ったらもう訂正は望めないと思いますし、神戸市はそれなりに大きな自治体なので、市政に直接関わることや大きな話題でないと市長宛メールへの対応は遅くなりがちではないかと思います。
わたしは、環境化学部、環境保健研究所、保健福祉局、神戸市のそれぞれ「ホームページ管理者」(メールは”こちら”となっているところ)を宛先としました。管理者そのものが信者の可能性もありますが、昨年削除の際にいただいたメール内容からすると、ウェブ担当者は持ち回りのようですし、このサイトのコピーライト表示が2005年で停止していること、環境保健研究所トップに表示されている所長名は昨年から変更になっているのに、環境化学部では昨年のままになっていること等から、環境化学部はウェブ管理がずさんで、故に誰か勝手に個人的見解を記述する職員がいるのではと推測しています。環境化学部の上部の組織(環境保健研究所、保健福祉局)に知らせないと、環境化学部の問題として扱われないと思います。
74. 村岡 — September 20, 2008 @07:17:51
組織ぐるみの自覚的蛮行という線もありますね。批判されたときは
「担当者の個人的判断で掲載していました。削除します」とか釈明
するのは、ほとんどお約束?
75. エディ — September 20, 2008 @10:55:06
>「これはきれいだから良い!」
>と言ったらもう訂正は望めないと思いますし、
浦安市がそうです。
http://www.city.urayasu.chiba.jp/a012/b001/d00500505.html
市のwebサイトに上がってから4年(広報誌掲載から5年)経ちますが、
いまだに削除や訂正はされていません。
77. KEN — September 20, 2008 @11:02:33
「バカ」はまずいでしょう。そのあとに書いてある趣旨とは直接関係のない単なる「悪罵」ですから。「ほたるいかの書きつけ」では少なくとも批判精神が読みとれる表現が使われています。自分のならともかく、他人のブログでのこの表現は無責任だと思いますね。
うわ、これはひどいですね。
4年前ということは一度選挙を経てるはずだからそれが「民意」なのか…と思って調べてみたら結構激戦だったようです。(http://www.senkyo.janjan.jp/election/2006/12/00003988.html
対立候補は医師とか学園長だったようですし、もしこの話が持ち出されていたら結果も変わっていたのでしょうか。
心ある浦安市関係者の方、今からでも遅くないから動いてみるべきなのかもしれません。
79. 多分役立たず(HNです) — September 20, 2008 @14:32:13
国土交通省河川局もかなり問題があるかもしれません。様々な水に関するサイトを紹介しているのですが、
ふれあい館・市民の活動
http://www.mlit.go.jp/river/link/kawanavi/hureai_001.html
>・Project of love and thanks to water
>来年2003年の7月25日を「水に愛と感謝を捧げる日」に向けての告知HP。
>世界各国から水に関してのメッセージがぞくぞくと集まっている。“水
>からの伝言”の著者である江本勝さんからのメッセージも時系列で確認
>できる。今後、世界的に私たちの思考と水に関する関心が高まると思わ
>れる為、推薦します。
ふれあい館・研究/調査
http://www.mlit.go.jp/river/link/kawanavi/hureai_007.html
>・HADO 波動 波動と水を科学する
>世界初!!意識のエネルギーが水の結晶を通して目に見える形に!!海
>外数十カ国で翻訳され、次世代の環境・教育・生活を考える人のために
>執筆された“水のからの伝言”のHPです。音楽を聴かせ、言葉を見せた
>後の水の結晶は美しく変化していくそうです。この事から水には意識や
>見えない世界のエネルギーをうつし込む性質があるのが説明されていま
>す。昨今、日本にふる雪から美しい結晶が消えたといわれる中、美しい
>水の結晶を見る事で良い方向へ物事が進んでいったらという願いを込め
>てこのHPを推薦します。
>
>・HADO NET
>上記、英語版
いったいどういった基準で選んだのかと...
80. ポル — September 20, 2008 @17:58:09
私たちは、小難しい科学(だけ?)ではなく、水からの伝言のような親しみやすい科学(もどき?)を支持しています
というポーズ、演出なんじゃないでしょうか。市民が「親しみやすさ(のポーズ)」を求めているのなら仕方がないと思います。
というよりも、「市民がそういうものを求めることには問題がある」ということが広く認識されるところから始めるほかはない。
81. ポル — September 20, 2008 @18:18:35
「正しいこと」よりも「親しみやすいこと」を求める
という傾向が個人の私的な生活の場面に留まらずに、行政のような場まで広がっているのだと思います
82. トンデモブラウ — September 20, 2008 @22:36:21
まさか中学校の化学からレクチャーさせられるとは・・・
そりゃHADOも信じるかもね、という感想しかない。
ははははは。とんでもないバカが、繁殖してるんですね。
>そりゃHADOも信じる
バカにはお似合い、と思われます。
84. ハッター — September 20, 2008 @23:54:00
水伝もそうですが、プルタブ運動も止めて欲しいです。
すこしでも考えてみればわかりそうなことなのにどうなっているのでしょうか。
懇談などでお話して少なくない先生の一般教養のレベルがとても低いのはわかりましたし、あきらめました。
それなら指導要領で決められたことだけやってくれれば良いものの、総合の時間などでボランティアやら環境問題やらを水伝同様ののりでやられるのでたちが悪いです。
85. たかぎF — September 21, 2008 @01:04:09
(編集にはログインが必要ID:guest&PASS:arigatou)
86. 憂鬱亭 — September 21, 2008 @08:00:52
>水伝もそうですが、プルタブ運動も止めて欲しいです。
実際に大量に(数百キロ)集めて車椅子に代えた学校があり、それを新聞やテレビのローカルニュースで報道するので、「うちの学校も」となってしまうのでしょうね。聞いた範囲では、子ども、保護者、平教員、教頭校長、どの立場にも言いだしっぺがいるようです。だからまずは、学校の外、具体的にはマスコミの報道の仕方などから変えていくしかないのではないでしょうか?
小学校の教員たちは全体に「善意」を疑いません。保護者が間違いに気付いたら、教えてあげたほうが良いですね。
「善意」を持ち込んできたのが子どもたちである場合、それが間違った「善意」でも、拒否することは非常に難しいです。私の場合、プルタブ運動を広げようとした生徒に現実(普通のペースでは車椅子一台に代えるのに数年かかること))を紹介したら、生徒に嫌われてしまいました。
「総合的な学習」は、準備の時間も予算も与えられないで、学校の外からは実施した時間と実績のみを要求される形式になっています。必然的に「どこかで実施した良さそうなもの」を選びやすくなるので、「水伝」とかEM団子(カネは町内会などが負担)とか、プルタブ集めに走ることが増えますね。
さらに、学校選択性が実施される地域では、「総合的な学習」の成果をマスコミ向けに宣伝しないと生徒が減るかもしれないと煽られてますから。
87. ハッター — September 21, 2008 @10:49:26
>「善意」を持ち込んできたのが子どもたちである場合、それが間違った「善意」でも、拒否することは非常に難しいです。
確かに、そうであろうと思います。批判的な言い方にとらえないで聞いていただきたいのですが、そういう子供の善意をうまくマイナーチェンジして遠くの業者にコストとCO2をかけてプルタブを送ることを缶ごと集めて近隣の業者で換金しようというような対案をだすことを私は書面で求めました。
ぜひ、生徒と気まずくなることを恐れないで教育者としての誠実さ(もしくは学問を教えるものとしてのファクトへのこだわり)を示してほしいと親は期待してしまうんですよね。
>小学校の教員たちは全体に「善意」を疑いません
もともと教師になりたいと思う人は、結果的に発生するかもしれない
損失には鈍感で「他人に善意を施したい」と思う人が多いのでしょう
見識のある立派な先生はたくさんおられます
90. 憂鬱亭 — September 21, 2008 @15:56:27
アドバイスありがとうございます。
「善意」というのは、マイナーチェンジすることがけっこう難しいものです。私が経験したケースの場合、「プルタブ」「車椅子」「テレビ取材」がセットのものとして提案されてきたものですから、私が出したマイナーチェンジの提案は拒否されてしまったのですよ。
自他さん、こんにちは。
私が言いたかったこととは少し違うのですが。
相手が小学生だった場合、子どもたちが提示した「善意」を疑うのは特に難しいのではないか、ということです。
91. 北沼 — September 21, 2008 @23:12:51
バカ大学生にはバカ教師がお似合いでしょう。
92. ちがやまる — September 22, 2008 @06:27:47
憲法のもとで政府fが保証すべきと定められているだけでなく、困った人をたすけるのは「コミュニティ」の役割でもあると思います。
様々な面での貧困はやがてわたしやあなたに降りかかるのです。
これは「善意」の問題なのでしょうか?
94. ちがやまる — September 22, 2008 @08:43:05
自他氏の主張はまったく不明確不可解です。突然「教師になりたいと思う人」「女性校長会」をすべて同質なものと扱ったり、さらに私の認識(のどれ?)を「女性校長会」の認識(のどれ?)と同じとみなしたりとできる議論にはついていけません。
95. 自他 — September 22, 2008 @09:06:46
そこに書かれてあるような善意は「水伝教師の多く」も共有するところであると思います。しかし、他の部分でちがやまるさんと水伝教師は認識が異なるのではないのですか
見識のある先生もいれば、見識のない先生もいるのです
97. ハッター — September 22, 2008 @14:54:50
ただ、認知の違いからくるコミュニケーションの難しさという点で水伝と共通するところがあると思いコメントさせていただきます。
私は先に書いたように小学生をもつ母親です。そしてPTAの役員をしており、応用科学系の博士号を持つものです。
私の担当するPTAの広報紙に教頭先生から児童会で取り組んでいるプルタブ運動を載せるようにお勧めいただいたことがきっかけでそれをお断りする理由として以下のようなお願いをしました。
-前略-
結構どこでもやっていることでもプルタブ集めはやめたほうがよいと思います。
この活動はかつて、リングプル(プルタブ)は缶を開けると缶から外れてしまうタイプのものだったため、缶を開けたあと飛散し、「家畜や野生動物が食べて死ぬ」「砂浜などで踏んでケガをする」などの事故がたびたび起きたため、環境・美化運動の一環としてリングプル拾いをしたのが最初だったようです。しかし、現在リングプルは環境を考えて全て缶から外れないステイオンタブのみになり、リサイクル率が80%を超えています。そのまま普通に缶ごと分別して捨てれば各自治体のリサイクルに回せるのに、燃油の高騰している今、プルタブ運動でその一部を無駄な輸送費(CO2も排出します)、資源(ガソリン)を費やし非効率的な換金をしていることになります。
環境問題は現在進行形の問題で、解が収束している問題ではなく、技術の進歩や新たに考慮しなくてはいけない点などをはかりにかけて、その時々に最善と思える行動をとる-リスクマネジメントする力を養うことこそが大切だと思います。ですから環境教育としてみた場合、この活動は適当ではないと思います。
資源回収のボランティア活動としてなら、集めたものを地元・近隣のリサイクル業者に買い取ってもらい、本当に必要とされているものを寄付するとか、自分たちの教育環境の整備に使えるようにしたほうがよいのではないでしょうか。缶で集めると管理や洗浄の問題があったり、集まる量が換金すると微々たる物であるなら学校でできる別の事をしたほうがよいかもしれません。
参考資料として東京大学の安井先生の個人HPとアルミ缶リサイクル協会の記事等を同封しました。ぜひご一考ください。
-ここまで-
今日直接お会いする機会がありましたので、どのような取り扱いになったかを伺いました。
その内容をかいつまんで言いますと。お話されている内容はわかりましたが、子供たちが善意で自主的にやっていることなので、今年度は継続します。来年度も子供たちがやりたいなら中止するつもりはありません。
とのことでした。
実際にお話して、まったく躊躇する部分がなく、先生たちにとって大切なのはとにかく子供たちが自分たちから良いことをするということなのだとわかりました。
PTA活動、お疲れ様です。
そして「道徳」を勘違いしている教員とのお付き合いに、さぞお疲れのことと思います。
>子供たちが善意で自主的にやっていることなので、今年度は継続します。
との教頭からの言葉。私まで無力感に落ち込みそうな感じです。
子どもたちの「善意」が結果として誤りを含んでいるのなら、そこを指摘するのも大人の仕事だと思います。
人の「善意」が無責任に働けば、かえって他人を傷つけることもあるのだから、「善意からの行為」だというだけで結果が保証されるなどとは思わないほうがよい、と教えるべきだと私は思ってます。
(何か例を挙げようとして、適切な例が思い浮かばず、何度か書いては消しているのですが。)
「善意をもって行動することは良いことだ」ということを覚えさせる必要がある段階なら、教頭が言った話も理解できないのではないのですが。
もし子どもたちが小学校高学年以上だとするなら、さらにその先を考えさせるような段階であって欲しいと思います。
ところで、広報は結局どうなさるのでしょうか?
妻が小学校のPTA役員で広報担当をしてるので、他人事とは思えず、心配です。
99. 亀@渋研X
— September 22, 2008 @21:53:11
「みみずくからの伝言」のとらこさんがメールしたところ、
今夜中にも削除される見通しです。
詳細は下記で。
http://sea.ap.teacup.com/mimizuku/68.html
http://sea.ap.teacup.com/mimizuku/69.html
とらこさん、GJ!
100. ハッター — September 22, 2008 @21:41:47
コメントありがとうございます。
まず、広報ではこの記事を載せる事はありません。
たぶん学校便りには載せることでしょう。今、プルタブは誇らしげに玄関ホールに飾られています。
>子供たちが善意で自主的にやっていることなので、今年度は継続します。
ということに関しては、理解できないわけではありませんでした。
ただ、
>来年度も子供たちがやりたいなら中止するつもりはありません。
というのは、予想できないことでもありませんでしたが、ちょっとびっくりしました。
これまで、先生達と話した経験と、今日の教頭先生の口ぶりから、どういうことがあったのかを想像すると、ヒステリックな職員が問い合わせの内容を攻撃ととらえて逆上して反発したのだと思います。
私の住む地域は教員の組合活動が活発で(それ自体を悪いというつもりはありませんが)、現在の管理職の多くも元は一緒に活動していた手前、管理職が組合員である教員にあらゆる面で強いことが言えないのだと数年前にその当時の校長から直接聞きました。教員同士で教育について率直に意見を交換し合うとか、経験の豊富な管理職が助言するというような状況にないのだと思います。
ですから、道徳観の違いというレベルで語られることではないかもしれません。
しかし、ここで憂鬱亭さまのような先生(ですよね)とお話できたことは大変な救いになりました。
ありがとうございました。
101. さんちゃん — September 22, 2008 @22:36:13
ちょっと調べてみたら、プルタブ160万個で車椅子1台になってましたが・・・。
アルミ回収ってことなら缶ごと回収したほうがいいだろうし、労力的に見合うんだろうか。
102. いしやま — September 22, 2008 @23:35:40
プルタブの時代ならともかく、
プッシュプルの現在では無意味です。
104. kara — September 22, 2008 @23:45:01
また、形を変えてでも復活するようだと
批判に対する対処まで折込済みの確信犯
ですね
105. kara — September 22, 2008 @23:52:59
いろいろ探索しないといけないのかなあ
106. Felice — September 23, 2008 @00:09:34
わたしは一部の方が推測するような「確信犯」とは思いません。所長名で再掲載されてしまった経緯を示す文書が届きました。お役所ですので細部では自己弁護があるかもしれませんが、これは本当にミスだったのだと思います。
23日0:00付けで削除されました。
107. 憂鬱亭 — September 23, 2008 @00:32:51
あまり後味が良くない結果になりそうですね。
前のコメントを書いたあと幾つか調べてみたのですが、
「上手な落としどころ」のような方法がありました。
車椅子を購入したり寄付したりする場合、最終的な受け入れ先は地域の社会福祉協議会(略称 社協)になることが多いらしいのです。で、社協は独自の予算でも車椅子を購入します。
一方、小学校でプルタブを集めても、車椅子一台を購入するのに何年かかるかわからないほどの少ない量しか集めることが出来ません。
そこで、学校側から地域の社協に働きかけて、子どもたちが集めたプルタブ(の代金)を社協に寄付する形にして、その金を含んだ社協の予算で車椅子を購入してもらい、車椅子の贈呈式典を実施するのです。
実際に自分たちが集めたプルタブが車椅子となって子どもたちの目の前に置かれるし、マスコミを呼んだ取材の場を作ることもできるので、発案推進した教員の顔を立てることも出来ます。また、社協にとってもPRの場になるので、誰にとってもうまく行く方法だ、と私に教えてくれた教員は言いました。
ハッターさんはこれ以上プルタブに関わりたくないかもしれませんが、今後の参考になれば幸いです。
過剰防衛に走る教員は、残念ながら巷にあふれています。私も過剰防衛をしたことがあるのかもしれません。保護者の皆さんに迷惑にならないように、今後一層気をつけようと思います。
ところで、ニセ科学である「水伝」と違って、プルタブ集めなら、何とかうまく収める方法があるものですね。
個人的な考えなのですが、「水伝」授業のまずさは、各自の主観に基づくしかない「美しい言葉」を広めようとすることにあるのではないでしょうか。もしこれがいろんな視点からの考察を受け入れる「他人を傷つけないように言葉には気をつけよう」だったら、問題の性質は大きく変わるように思います。
あ、それじゃあ、怪しげな水販売にはつながらないから、ダメか。
落としどころのアドバイス、ありがとうございます。
実は、子供の小学校はまさに、憂鬱亭さまが落としどころとした方式の一部を既にとっています。
それは、集めたプルタブを社協に渡し、社協がそれを300km程度離れたプルタブ運動に参加する回収業者に送るという方式のようです。
その上で、私は遠方の特定業者に送るということや、プルタブのみ集めるという点については看過できないと考えていました。なぜなら、総合学習においてボランティアと福祉、環境とごみ問題を小学校では取り入れているからです。授業として取り入れている以上、これらの問題に対する最低限の知識を学校には持ってほしいと思います。
また、マスコミによる取材という晴れがましいオプションを動機のどこかに持って行う善意ってなんなのでしょうか。
話しぶりでは、行っている活動のリサイクルという観点からのまずさはわかっ手はいるというようでした。
その上で、活動の反省や見直しをすることなしに
>来年度も子供たちがやりたいなら中止するつもりはありません
という部分についてはどういう教育的意図を持って言っているのかと思います。
そこを再度質問して終わりにしようと考えています。
たくさんの助言や励ましをありがとうございました。
109. ちがやまる — September 23, 2008 @06:59:02
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/nisekagaku/mizuden_doutoku2.html
「ウソも方便」という事を言う人もありますが、子供の発達上(おとなの世界でも)ウソが多大な害悪となることがあります。おとなの顔色をみて超能力者を演じることを幼い子に教える七田式を憂慮したのも同じ理由でした。
おとなの中には、特定の分野領域の知識・理解が欠落してしまっている場合もあるでしょう。そのこと自体はふつうのおとななら別に恥じることではないと思います。でも、その領域が、次の世代が生きていく上で重要な技術・産業の根幹にかかわるとすれば、それを知らないでいて教える立場にいることを恥とすべきです。
今回は、その知識・理解の穴をふさぐのに「江本」を持ってきたというのです。日常レベルの判断にしのびこむウソ・まやかしに気付けない知性も、それに気付きながら子供に与えてしまう知性も、教える立場にあることは深刻に憂慮される事態であるということでしょう。
たぶんFAQに属する事項なのだと思いますが、たまに繰り返すことも必要かと思い、書いてみました。
110. 石田剛
— September 23, 2008 @07:36:05
この方法では、結局「缶からリングをむしりとるのが無意味であること」とか、「アルミの回収再利用は、多くの場合自治体の回収ルートに乗せるのが合理的」といったことは、横においておくことになります。そうしてしまうと、「善意を活かすにも知識が必要であること」を教える機会を損なうことになる気がします。
石田は上の方の 憂鬱亭さん のコメントにある「子どもたちの「善意」が結果として誤りを含んでいるのなら、そこを指摘するのも大人の仕事だと思います」に強く同意します。
とはいえ教員の方々も人間ですし、また保護者の方もこういう問題に過大な労力をかけるわけに行かないでしょうから、いろいろ妥協しなきゃならない場面はあるかと思います。
石田は、そういう場面に遭遇したら、わが子にはその活動がどう不合理なのか話した上で、「教師も間違えることがある(けどその教師がダメなわけじゃない)」「みんなの意見が正しいとは限らない」「まちがった知識に固執している人を嫌いになる必要は無い」といったこと(ほかにもあるかも)を教える予定でいます。
ハッターさん がなさった、この件に関して学校側に改善を働きかけることは、とても重要なことだと、石田は考えます。石田も、同じような状況に出くわしたら、ぜひ意見を伝えることだけはしようと考えています。
けど、それで相手が聞く耳持たないのであれば、あまり深入りはしない予定です。
111. koge — September 23, 2008 @10:49:56
とりあえず削除されたようですね。さすが新聞社にも同報するとは目の付け所が違いますね。
ただ、私も職場のホームページを管理しているのでわかるんですが、あれが単純ミスとはどうしても思えないんですよね。問題があって削除されたのならば、紙ベースで保存されたものならまだしもすぐ公開に戻せるような場所からはデータを削除したり、あるいは問題となった部分を削除したもので上書きしたりするのが普通だと思うんですよ。お役所だから危機管理ができてないと好意的にとることもできるでしょうけど、なんせ公務員・公立学校教員というのは建前上試験の成績で公平に選ぶということになってますから、思想的にイッてる人を良くも悪くも排除できませんから…
#そういう人を排除するためのコネ採用なら一理あるんだろうけど、少なくとも教委じゃそれははたらいてないだろうな…。
ハッターさん
善意や善行とは、マスコミに取り上げてもらうために行うものであるという認識が子供たちに(場合によっては教師たちにも)浸透しきってるということなんでしょうか。確かにそれは一面の真実でもありますが、もしそうだとすれば「水伝」が浸透するよりもよっぽど教育上よろしくないことじゃないかと思いますね…
112. 亀@渋研X
— September 23, 2008 @15:38:56
隙を見て元に戻そうと考えていたのだと疑うこともできますよね。その場合、ほとぼりが冷めたら、また……という恐れがあるわけで。
ただ、その辺は、なんとも判断がつきにくいですね。ぼくは今のところは、単純ミスの可能性は低くないと考えています。
ああいう静的HTMLで、しかもヘッダを見るとHomepage Builderのようなので、一般の職員が担当している可能性が高いかなあ、なんて思うんです。役所でも学校でも一般企業でも、別にWebに強いわけではない人がサイトの更新を担当していることは珍しくなくて、そういう場合、よく使われているソフトですから。
もちろん神戸ぐらい大きい自治体だと、市のサイト本体はCMS使ったり業者を使ったりするでしょうけれども、部署によっては仕方ないのでしょう。
バージョンごとにファイル管理しているつもりで、うっかり最新版をいつもと違うところに保管してしまい、旧版に手を入れてアップしたなんていう例は、何度か見たことがあります。
地元の中学では、前任者がそんなことをしていて、引き継いだ人がよくわからないままに古いファイルを更新し、新旧の情報が混在してわけがわからなくなったこともありました。
実は、自分でも個人サイトで似たようなことをやらかした経験があるような気もします(^^;;
もちろん「苦情が来て削除したものを、一般の更新と同じように扱うのはおかしい」という考えには、異論はありません。しかし、実害が生じたわけではなかったので、事態を重大視していないということもありそうに思います。
ですからぼくとしては、こういうことがふたたび繰り返されるようなら、わざとじゃないか、怪しいと思う、というぐらいかな。
こういう↓展開になると、さすがに「確信犯」とわかりますし、さすがに頭を抱えますが。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1122823077#CID1124820362
小学校の 校長をやっていて いいのか という問題なんですがね。。
教員の質が 低下しているんですね
だから みんな 中高 一貫の 私学にいくんでしょうね。。
114. あんすも — September 23, 2008 @20:23:11
プルタブ回収運動については、「車椅子に交換してくれる回収業者」であるフクナガエンジニアリングに運動を見直してもらった方が早いかもしれませんね。
私も海でプルタブを踏んでひどい目にあった経験がありますので、当初は意味がある活動だったと思うのですが、プルタブからステイオンタプに変わって役割の終わった活動だと思いますので。
本当は子供達自身に「なぜプルタブなの?」という疑問を持ってもらって、それが役目の終わった運動だと知ってもらえれば良いのですが。
115. こなみ — September 23, 2008 @21:33:49
> ニアリングに運動を見直してもらった方が
この会社のサイトの説明によると,扱っているのは「プルタブ・アルミ缶」となっています。
http://www.ecosoft.co.jp/csr/pull_tub/about.html
プルタブ・アルミ缶回収運動とはプルタブやアルミ缶を回収する行動を通
じて「公害を生み出さない人づくり」と「空き缶散乱公害をなくす」ことを目指
しています。
学校関係者も子供たちも,この説明をきちんと理解して送ればいいだけのことですね。なんで舵を切れないのだろう。頭を使ってより合理的な方へ変われない今の状況の方が,はるかに非教育的です。
116. YMN — September 23, 2008 @22:54:24
http://www4.kcn.ne.jp/~yanoya/pulltop.html
http://www.ecosoft.co.jp/service/recycle.html
「環公害防止連絡協議会」なる組織とフクナガエンジニアリングの住所が同じで、これだけで(慈善活動の名目で収益を得ている)悪徳業者とは断定はできませんが、怪しげな話ではあります。
http://home.goo.ne.jp/community/3382/bbs/list/Cj601iaI7-Vy/4
----引用
プルタブ運動は、都市伝説化していますが、都市伝説ではありません。
非常に効率が悪いので、挫折されるところが多いのでこのような結果になっているんだと思いますが、地道に続けてらっしゃる団体も多数あります。
【中略】
今でも社会福祉事務所や各団体が集めていますが、私個人としては効率が悪いと思います。
アルミ缶をリサイクルした方がはるかに効率的。
----引用終了
「プルタブ」で検索していて目についた次第で、効率の悪さは認識していながら、どうも妙な流れになっています。
効率という定量的なことが絡んでいて、一刀両断では断ち切りにくい面もあるようでもあります。
「プルタブで車椅子」ではなく「アルミ缶で車椅子」なら良いのかと言うと、それでもナンセンスは五十歩百歩というところでしょうか。
寄付される側としては(アルミ缶だから?)何もアルミ製の物と限定されるよりは、現金が一番ありがたいはずです。
117. 憂鬱亭 — September 23, 2008 @23:24:48
「水伝」から「アルミプルタブで車椅子」へと、少し話が横にそれているかもしれませんが、もう少しご容赦ください。
まずは、「水伝」と重なる話で言うと、
「環境問題」や「リサイクル」に関する教員の知識の欠如、ということが問題だと思います。
教員になるための習得内容や採用試験には、「環境教育」に関する話はこれまで含まれてこなかったと思います。地域によっては、教員採用試験に関連した内容を出題しているかもしれませんが、あくまで「一般教養」のごく一部として、ですね。
教職についてからも、「環境教育」に関する研修は必修になっていません。教育委員会が命ずる研修には含まれていないと思います。(少なくとも私が働いている地域では、含まれていません。)
他方、教員の自主的な研修は、時間のゆとりも心のゆとりも奪われてしまい、現在非常に行いにくくなっています。直接授業に使うもの以外は、物を調べたり本を読んだりする時間さえ、確保することが困難です。
勢い、「環境教育」を行おうとすると、他の学校で行われて授業の形がすでに整っているものを使ったり、どこかのネットのページに全面的に頼ったりすることになりがちです。
その際、情報の科学的・論理的裏づけを取ることさえ、難しくなるかもしれません。
さらに、「障害者や高齢者の役に立つ」とか、「道徳的に正しい言動を奨励する」とかいう味付けがされていて、これまでに多数の授業例があったりすると、チェックする必要も感じずに授業に取り入れてしまう教員も多数存在するのだと思います。
確認しておきますが、私はそのような授業を擁護したり弁護したりするつもりはありません。なぜ「水伝」や「アルミプルタブで車椅子」のような話が学校でまかり通っているのかを考え、対策を講じたいと思っているのです。
まずは「環境問題」に関する教員の知識レベルを上げるために、しかるべき研修を受ける機会を確保することが必要だと思います。
ただし、知事や市町村長や議員や官僚が、論理的・科学的に間違った「環境教育」を推進しようと狙う恐れがあるので、「研修」の内容には第三者のチェックが可能なようにしておくことも必要でしょう。
文科省は指導課長宛などで、問題のある教材があれば通達を出すそうで、初等中等教育局の道徳担当官とか、そういった方向への働きかけも一手かも知れません。
もう一つは、空気の醸成もそうですが、教師バッシングや「水伝をやったら教師失格」「教師の資質無し」ではなく、「騙されないで」「被害者にならないで」と呼びかける方が効果的なのかな、と思います。
うまく言えないのですが、水伝が科学を装っており、騙す意図があることは明確だと思います。その騙された人に、いきなり「間違ったんだからすぐに謝罪しなさい。訂正しなさい。あなたは教師失格です」といっても、感情的にすぐに落ちないように思います(教師だって人間ですから、間違いを認めたくないという防衛が働いて当然だと思います)。
その前に「先生騙されてますよ。大変でしたね」という共感があった方が、アプローチとしてうまく行くような気がしてならないのです。
119. ちがやまる — September 24, 2008 @06:32:40
たかぎFさんが、具体的な対応策を考えましょうといわれた段階から、ここではもう単なる慨嘆や切って捨てるような現状認識は役立たなくなっていると思います。
対策を考える角度・水準はさまざまにあるんでしょうけれども、私は学校におられる各個人の方々が文科省や研修とは独立してものを「考え」「学ぶ」ことも大切なのではないかと思います。
120. 技術開発者 — September 24, 2008 @07:57:06
悪徳商法の被害者の相談とかしていた頃に「げんなりする相談」なんてのがありました。マルチ商法の被害者なんかで「自分はダマされてお金を取られた、取り返したい」なんて相談なんだけど、その人ご自身もご友人とか知り合いを勧誘していて、その誘われた人たちはいまだ「儲かる」と信じてさらに人を勧誘している最中なんですよね。でもね、その相談される人は、そんな自分が誘った人たちに対しては何の意識もなくて、単に「自分が損している、自分は被害者だ」なんていう意識に凝り固まったりしているわけです。
そういう時に「玉突き事故の中間車両の責任」なんて話もしたのね。まあ、玉突き事故の時に一番悪いのは、最後尾につっこんだ車であることは間違いはないんだけどね。でもね、途中の自動車が前方車との間をもう少しだけ開けていて、後ろから突っ込まれた時にフルブレーキをかけて、前方に当てないで済めば、単なる追突事故で「玉突き事故」ではなくなる訳です。でもって前方車との車間距離が極端に短かったり、事故時にブレーキをきちんとかけた痕跡が無かったりすると、前方車両に対する事故の責任の一部が振ってくる面もあることはあるんですね。
なんていうか、世の中が二元論化していて、「被害者であれば加害者であることはなく、加害者であれば被害者であることはない」なんて意識がとても強くなっている気がするんですね。そういう意味では「ニセ科学的言説の中間流布責任」みたいなものも「被害者にして、同時に加害者責任が生ずる」という事を考えてみても良いのかも知れませんね。
121. ヒスタミン — September 24, 2008 @12:14:49
アルミ缶そのものの回収に切り替えたところで果たしてどれだけの意義があるのか、という点については憂鬱亭さんの言われる「教育者への環境教育」で検討されるべきものだと思うのですが、ステイオンのタブだけ切り離して集めることの意味に疑問符がつくかどうかは、それ以前にもう理系文系とか関係なく「生きる力」の問題じゃないでしょうか。
タブを集めて送ると車椅子に代えてくれる業者がいる。という御宣託に原理主義的に学校ぐるみで盲従するのは怖いですよ。「機械の体をくれる星がある」を思い出しました。
「プルタブ回収運動」と「水伝授業」は、どこか繋がっているような気がしました。
ハッターさんの学校の例を読んでいて、次々に疑問が湧きました。どうして、児童会で取り組むことに決まったのか?親や教師の反対はなかったのか?取り組み始めてから、疑問や見直しの声は、他の人からは、ないのか?(ハッターさんに答えて欲しいといっているのではありません。)他の学校では、始まってしまったら、どうしているのか?
そして、「これって、チャンスかも」とも思いました。子どもと親と教師が、この運動をどう思っているのかを、時間をかけて、本音で話し合う。「プルタブ回収運動」って、親を巻き込んで、いろいろなことを考えさせ、調べさせる、総合学習のいい教材のような気がしました。そして、親と教師の人間関係作りのきっかけの一つになったらいいのにと思います。(現場を知らない脳天気な考えだったら、すみません。)
「意味」を考えさせる授業をしてくれるといいんですけどね
125. 黒木 燐
— September 24, 2008 @14:18:16
久々に書き込みいたします。
プルタブ運動と似たようなもので、「ペットボトルのキャップで世界の子ども達にワクチンを」という運動があることを、最近友人から聞きました。初耳でした。
http://www.ecocap007.com/
どんなもんなんだろうかと・・・。
126. ハッター — September 24, 2008 @15:30:36
すれ違いかと思いつつ、お話させていただいたことにたくさんのコメントをいただき、また問題意識を共有していただきとてもうれしく思っています。
もう一度だけ、子供の通う小学校に問い合わせています。
気持ちの問題を抜きにして考えた場合、活動に問題点があるという部分では納得されているのか、
そして、憂鬱亭さま・石田さまをはじめとする方からの ”子どもたちの「善意」が結果として誤りを含んでいるのなら、そこを指摘するのも大人の仕事”
という内容の事を聞いています。
金曜日に出席するPTA会議があるのでそのときに気持ちがあればお話しくださるでしょうし、話す価値などないと思ったなら、最初の問い合わせのときのように無視するつもりなのではないかと思います。(そうであれば、またこちらから、結果を伺うつもりでいます。)
その結果は、ご迷惑でなければこちらで報告させてください。
>取り組み始めてから、疑問や見直しの声は、他の人からは、ないのか?
PTAの役員をしているので、学校ではなく私の方に”あれはどうなんだ”というお話は1件ありました。
私の子供もおかしいのではないかと言っていました。仲の良い友達と”あれはあまり意味がない”と話し合ったそうです。
ただ、疑うことなく良いことをしていると思っている友達に言い方を間違えれば無駄なことをしているよと言ってしまうことを考え、また、それこそ、先生たちが原理主義的になっているところに児童の立場で口を挟めないと言っていました。
たぶん、ぞっとするか、いっそ爆笑されるかもしれませんが、近隣の中学校では生徒と教師が学区内をプルタブのみを集めるために戸別訪問しているそうです。
いま軌道修正しないと子供の通う小学校もそうなってしまうかもしれません。
127. さんちゃん — September 24, 2008 @16:14:30
私の勤めている会社が参加していました。
飲み終わったペットボトルを捨てるときに蓋と分けて回収ボックスにいれているだけでわざわざ拾ってきたり集め回ったりはしていないので特に気にしてませんでした。(ワクチンになるのか・・・)
調べてみたら会社がある自治体は、ペットボトルの蓋は普通ごみで焼却のようですのでリサイクルに回るという意味では意義はあるのかな・・・。
(自宅がある自治体は、プラスチックとして最初からリサイクルに回るので意味ないかも)
(引用はじめ)
商店のレジの所に、小学校の児童が作った箱が置かれた。何やら書いてあるので読んでみると「施設に車いすを贈るため、空き缶のリングプル集めにご協力を」とのこと。
その箱が置かれてから数カ月たつが、中を見ると2、3個ほどが入っているだけだ。
車いす1台を贈るには、リングプルが3トン必要らしい。ちなみに、その箱を目にしてから私が集めたリングプルを数えてみると、596個であった。重さにして350グラム。これをもとにざっと計算すると、3トンを集めるには510万個が必要ということになる。
わが家では、夫が飲む缶ビールからと、飼い猫のエサの缶詰から、リングプルを外して集めているが、目標数を知ると、気が遠くなる感がある。
でも、小学生の善意が受け継がれ、地元の人々の協力も得て、いつかは1台の車いすを贈れることだろう。それを信じて、今日も缶からリングプルを外し、集めている。
(引用おわり)
新聞記者もきっといい話題だと信じてこの投稿を掲載したのでしょうが、なぜアルミ缶ではなくプルタブ集めなのかの検証をしていないことは明白で、無批判のそしりは免れないと思います。量ってみたら350mlのビール缶は約15gでしたから、ビール缶だけだと3トン集めるには20万個で(これとて結構な数ですが)済むことになります。
埼玉の小学生、アルミ缶からステイオンタブをわざわざ引きちぎって集めているというのは、なんともお気の毒です。
「効果」を考えなくては。
130. (稲 — September 24, 2008 @17:33:04
金属価格高騰の折り、アルミ缶をその辺のスクラップ屋に持ち込めば、引き取り価格は200円/kgくらいになっているようです。ジュラルミン製車いすの実売価格は20,000〜30,000円ですから、100〜150 kgもあれば充分。ビール缶で10,000本。児童300人なら一人30缶平均。大きい学校なら年に何台も車いすが送れそうな気がしますね。"3トン"というのは中間マージンが何段階も入っていそうな。
総合学習でアルミのリサイクルの話でもして、みんなで缶つぶし。教員なりPTAなりが土曜日に車を出してスクラップ屋へ。お金はまとめて社協に寄付するか、うち車いすを一台だけ買って残りは現金で。
131. 憂鬱亭 — September 24, 2008 @20:03:43
がんのすけさん、私も先ほど新聞の実物を目にして、あまりの内容に愕然としました。
>小学生の善意が受け継がれ、地元の人々の協力も得て、いつかは1台の車いすを贈れることだろう。
地元の人々が現金で集めた方が、ずっと早く確実に、車椅子を送れるはずですよね。
どうしてもアルミの回収で、というのであれば、地元の金融機関に協力を取り付けて口座を開設し、、集めた分だけ地元の資源回収業者に買い取ってもらい、金を積み立てれば良いですよね。
このような「善意の無駄遣い」とでも呼ぶべき行為を称揚するのが、私には理解できません。
>ハッターさん
大変なご苦労をされていますね。
上で私が提案した方法はいかがでしょうか?
金融機関も資源回収業者も地元の企業を選べば、「地域の学習」という「総合的な学習」の目的にも合うはずです。
おそらく最後の関門は、プルタブにこだわるかどうかではないかと思います。プルタブにする最大の利点は、小学校一年生でも一度に学校に100個以上運べるという、達成感の大きさでしょう。アルミ缶100個は運べないでしょうから。
しかし、教師たちが本気で車椅子にたどり着くつもりなら、必要なのは合計重量の大きさです。その重さこそが、運ぶ苦労こそが、善意を貫くつらさのはずです。
「環境保全」や「リサイクル」がそれほど簡単ではないこと、だからこそ大人たちも簡単には解決できずにいることを教えることも、必要な教育だと私は考えます。
たとえ新聞の投書がどう言おうとも、周りの学校が実施しようとも、間違ったことを子どもたちには教えてはいけない。それが教職に就く者が持つべきプライドだと思います。
132. 高草山 — September 24, 2008 @19:58:57
実はそれが真実だったりするかもしれません
134. koge — September 24, 2008 @20:41:18
神戸市の件で「市長への手紙」を送っていましたが、環境保健研究所長から返事が届きました。
内容はたぶんとらこさんやFeliceさんに送ったものと同じだと思いますが、とりあえずご報告まで。
135. 憂鬱亭 — September 25, 2008 @00:14:24
レスが遅くなりましたが
>ちがやまる さん
>私は学校におられる各個人の方々が文科省や研修とは独立してものを「考え」「学ぶ」ことも大切なのではないかと思います。
教員に関しては、単に見聞を広めたり一般知識を獲得したりすることなども含めて、教員の資質向上につながることすべてを「研修」と呼びます。教育法律関係の用語の解釈としてそうなっています。
したがって、科学に関する知識や環境に関する知識を獲得することも、そのためにネットを除いたり読書したりすることも、すべて「研修」と表現します。
もっとも、最近行政(文科省や都道府県教委)の方は、「官製研修」のみを「研修」と呼ぼうとしています。法律とその解釈のほうは変えないままで。
私は(日教組や全教という教職員組合も基本的に同じ立場のはずですが)教員が自主的に資質向上を図れる時間的精神的なゆとりと機会を確保して欲しいと思っています。が、現状では、科学に関する知識を補うゆとりと時間を確保するのは、非常に困難です。
なんか、教員の愚痴みたいになってすみません。
136. ちがやまる — September 25, 2008 @01:51:10
そうなのですか。今後は先生たちにかんして「研修」ということばを使う際は注意します。しかし、この定義では家族との会話や草むしりその他の家事でも教員の資質向上につながるならば「研修」と呼ばれることになりますね。うまく気持ちの切り替えができないと自主性・主体性がおびやかされる危険もありそうです。
「現状では、科学に関する知識を補うゆとりと時間を確保するのは、非常に困難です。」(憂鬱亭さん)
これには、なぜそうなるのか、という疑問を抱いてしまいます。新聞を読む時間すらないのか、なぜだ、とか。時間はあっても精神的ゆとりがない、とも読めますし。「科学に関する知識を補う」ことでない対象についてなら自分を「学ぶ」態勢に置くことは可能である、というならまだ救いはあると思います。決まりきった内容を伝えるだけでも生徒にとっては新規の体験なのかもしれませんが、その内容のとらえかた示し方には改善の余地はいくらでもあるのではないかと思います。
137. ハッター — September 25, 2008 @06:35:28
身近な例に過ぎませんが、これまでのコメントのいくつかの疑問に答えられそうな気がします。
まず、子供の小学校でプルタブ運動が始まった理由は、5年生の総合学習にあります。福祉とボランティアがテーマの学習で、あるグループがプルタブで車椅子を送る活動を紹介したそうです。
”調べ学習”と言っても世の中の情報には正確でなかったり、問題のあるものもあるのですから、この時点で先生のチェックが入ってくれていたらなぁと今にして思います。
最初、これを発表したグループのクラスで細々とプルタブが集められていたらしいのですが、児童会の選挙の季節となり、プルタブ運動を公約にあげる立候補者がその中から何人か出てきたそうです。
プルタブ運動は、投票権のある全ての児童を前にした最後の演説会で詳しく紹介され、広く知れ渡るようになったようです。そして新年度を向かえ、5年生だった子供たちは6年生になり児童会を引っ張っていく学年になったのです。
その候補が当選したのかどうかはわかりませんが、ほかの保護者の方が分析するのには、小さなものを集めていくという収集の楽しさと、それが車椅子になるというゲーム感覚が子供の心をとらえたため、児童会でプルタブ集めが始まったのではないかということです。
その子供たちは、その前の年に、つまり、4年生の時には環境とリサイクルを勉強しています。処理施設に行き、どのようにリサイクルが行われているか、施設の人に質問したりして理解を深めたはずです。そうなので、子供の中にはプルタブ集めを”それは、おかしいんじゃないの?”と感じている子もいます。担任の先生たちはというと、子供の小学校では低学年を担任する先生、中学年を担任する先生、高学年を担任する先生というように割と固定した持ち方をするので、リサイクルをずっとやっている先生と福祉をずっとやっている先生と言う形で独立しているのでプルタブ運動に矛盾を感じにくいのかもしれません。
興味深いなと思ったのは、全校児童が700名ほどいる比較的大きな学校なのですが、これまで、現金による募金ではいつも1万円集まらないぐらいでした。大きな災害などで具体的に困っている人に何かをしてあげようという運動で、です。それが今回はたった1週間の募集だったにもかかわらず70kgもプルタブがあつまったんですね。(稲 さまのレートで考えると¥14000−になるわけで、教育効果を考えずにこの集団から換金できるものを含めてお金を集めようと思ったらプルタブは効果があったということになると思います。
どうしてこんなにプルタブが集まったか、の理由のひとつには自治体のリサイクルが浸透していて、回収日まで多くの家庭が空き缶を保管しているからだと思います。
そしてついでなのでどのくらいの缶飲料に相当するかをざっと見積もると2000万円を超える量でした。
うちの子供はプルタブを1個集めようと買うつもりだったジュース代¥120−をおこずかいから”つもり募金”はだめなんだろうか?と言っていました。ざっとプルタブ1000個分になります。そのことについて元教員の保護者に意見を聞いてみると、”たぶん、少なくない先生が、お金なんてそんな簡単なことは意味がない、こつこつとプルタブを集めるということが尊いんです。と考えるんじゃないか”とお話されていました。
”缶ごとあつめる”ということに関しては多分、洗浄が十分じゃないものを洗いなおしたり、嵩がおおきくなって保管場所が必要になるということで、憂鬱亭さんが上で書いていらっしゃるように、本当にいつも時間がないと先生たちはPTA活動の際などに保護者にお話しされているので、そういう手間がかかることはしたがらないんじゃないかと思います。
なんだかこう書いてしまいますと先生たちへの痛烈な嫌味みたいですが。まったく的外れな話ではないと思います。
それとも、科学に関心があって好きであるにも拘わらず、科学を知らないのでしょうか?
それは、ちょっと他人の能力を見くびり過ぎているような感じもしますけど…
> きくち September 25, 2008 @02:33:05
> 僕は必ずしもそう思いません。
> 「水伝」を科学的事実と思っているんじゃないですか?
> 科学が嫌いなんではなくて、科学を知らないんですよ
> kururi — September 18, 2008 @02:02:59
> いずれにしても、水伝教師は
> 1.そもそも科学にはあまり関心がない
> 2.(表向きはどうあれ内心は)科学が嫌い
> のどっちかで、科学好きってことはないのでしょう
その意味で「関心がない」というより「感心がありすぎる」・・・すみません、ダジャレですが、意味としてはそういうところかと。
科学が嫌いなのではないと思うんですよ。
140. kara — September 25, 2008 @12:00:00
> 科学を知らないタイプの水伝教師の多くは、科学にあまり関心がないのではないでしょうか?
(水伝教師に限らず)科学を知らない人の多くは「1.科学にあまり関心がないか、もしくは、2.科学が嫌い」なのではないでしょうか?
科学に関心があって好きであるにも拘わらず「科学を知らない人」というのは、水伝教師に限っても少数派だ、と思うのですが…
「好き」なのではなくて、「嫌いではない」でしょう。本当に科学好きなら、勉強しますよね。
要するに「科学的」という言葉は、思考停止の呪文として働いているのだと思います。「じゃあ、すごいんだ。ほんとなんだ」になっちゃうのではないかなあ
142. kara — September 25, 2008 @12:09:09
2のタイプの科学を知らない水伝教師なら、科学をますます嫌いになる、という難しさがあるように思います。
もちろん、批判があれば(内心はどうあれ)水伝を止める選択をする先生は多いと思うので、批判に効果はあるのだと思います。
>要するに「科学的」という言葉は、思考停止の呪文として働いているのだと思います。
それなら、分かります
思考停止の呪文として「科学的」という言葉を受け取るという態度と
科学に関心がないことは、親和的だと思うのですが
「科学的という言葉」に一定の反応を示すことと、科学に関心がある
ことは全く違うことではないかなと…
144. 黒木 燐
— September 25, 2008 @12:17:22
思い出したのですが、このプルタブ運動について始めて知ったのは、数年前、うちの会社の同じ部にいた女性が、子どもが集めているからプルタブをこれに入れて下さいと、小さい入れ物を事務所に持ってきた時です。
その時彼女が説明したのは
「プルタブのアルミは純度が高いから、高く売れるらしい」
と言うことでした。
もちろん私は本気にはせず、すぐに検索したら都市伝説だというものがほとんど。よもや実在するとは最近まで知りませんでした。
ペットボトルのキャップについても、友人(正確には妹の)から聞いた時、プルタブと同じ臭いがしたのですが、最近何となくウチの家族も捨てずに取っているようです。
これが本当に有効な手段なのか、プルトップと同じようなものなのかはわかりません。本当にワクチンになるなら良いことですが。
ただ、自治体で資源ゴミとして回収されているのはペットボトル本体でキャップは対象外ですよね。要らないから集めないということなら、キャップだけ別に集めると言うことが意味をなさないんじゃないかと。
最近エコという言葉を、妙に胡散臭く感じるようになってしまいました。
145. kara — September 25, 2008 @12:43:45
逆に科学という言葉があっても、例えば水伝本を本屋で手に取れば、
こんなもの、科学コーナーに置くなよ。危うく間違って買っちゃうとこだったじゃないか
みたいな反応になるでしょう
水伝教師は、科学に関心はないが、「科学的な権威」には関心がある人が多い、と言えばよいのかも知れませんね
146. kara — September 25, 2008 @12:59:14
無邪気に信じているのとは微妙に違った事態だ、と思うのですが…
147. キタヤマ — September 25, 2008 @13:23:56
ハッターさん、ご丁寧な、ご報告、ありがとうございました。これまでも耳にしてはいたと思うのですが、深く考えてはみなかった「プルタブ回収運動」について考える機会をいただいたことに感謝しております。
ハッターさんの労力に、お応えしたいと思うのですが、何を書いたらいいのか、自分の中でもよく整理できていなくて、拙い文章ですみません。
こんなことが何でなくならないのかというと、今までの皆さんのコメントから、想像すると、今の社会に、巧く嵌ってしまっているからでしょう。子どもは(大人も?)ベルマークなど、ポイントや小さなものを集めるのが好き。それを集めた達成感を感じるものとして、学校の備品に換えるより、車椅子の方が、いいことをした気になれる。人の役に立ったという達成感も同時に得られる。プルタブなら、親も教師も大した手間はかからない。業者はマージンが入る。施設は車椅子がもらえる。子どもの小さな手間の積み重ねが、輸送の燃料と中間手数料と車椅子の一部になって、子どもは達成感と、感謝を得る。親も教師もこれだけしか手間をかけないで、子どもにも負担にならないような小さな手間で、これだけの達成感と感謝を子どもに与えられる活動がほかにあるだろうか。
プルタブ回収運動の一番の問題点は、何なのでしょうか?環境教育として、適当でないことなのでしょうか?
131で紹介されていたエコキャップ推進協会のサイト見ました。
定款の第2章 第3条には「焼却処分に伴うCO2の発生を抑制し」という一文がありますが、Q&AのQ2には「送って頂く場合は少量でもいくつでも構いません。キャップをゴミ袋などポリ袋に入れてから、段ボールなどで梱包してお送りください。」とも書いてありますね。
これを見て、エコキャップ推進協会には不信感を強めました。
少量を送るとなると、キャップ1つあたりの運送コスト(CO2排出とか、ガソリンとか)も当然余分にかかりますし、逆に環境への負担になったりして、効率的とは言えないですよね。
エコキャップ収集者のリストがありましたが、個人だと1桁単位で送っている人もいるようです。
ペットボトルのエコキャップ運動は、私の母校(神奈川県の小学校)でもしているみたいです。
というか、アルミタブと並んで、けっこう一般的に(?)行われているのでしょうか。
149. ハッター — September 25, 2008 @14:55:09
自然の作り出すものの人をひきつけずにはおかない美しさによるところも大きいのではないでしょうか。そして、それに対して付け加えられた科学っぽいものが、オカルトっぽいところがよりそれを強力にしているように思います。
「あるある大辞典」は科学がわかったような気にさせてくれて、手軽に健康になれるという楽天的なところが良いように思います。だから、すこし、両者は違うかもしれません。
水伝を読んで信じてしまう先生の心を想像すると、”へー、すごい!科学も結構いいところがあるな”と言う感覚に近いような気がします。そして、道徳教育にインパクトのあるいい素材だと思われるかもしれません。それが科学的に間違っていると指摘されても”自然界の現象の全てをわかっているわけではないし、子供たちへ美しい言葉を使うことの正しさを教えることの尊さと、科学的な真実は厳密に両立しなくてもいいのではないか。”と考えるのではないかと思います。
そして、”大学の先生とか科学者だとか言う人たちは、いわゆる学者馬鹿で考えに幅がない。いちいち小さなことにこだわりを持つのは専門家の中だけにしてほしい。”と思っているのではないでしょうか。
そう思うのには理由があって、
理科の物の燃焼について子供が習っていたときに、先生がろうそくの燃焼後の酸素の濃度をあやまって教えたことがあり、子供が誤りを休み時間に先生にだけ論理的に指摘したことがあったらしいのですが、その際に、”小学校ではものが燃えれば酸素が減って二酸化炭素が増えるということだけ先生は教えればいいだけであって、数値などは知りたければ自分で勝手に勉強すれば良いことなんですよ。”と言われたようです。
後日、先生にお会いしたときに”多分、先生と交流が持ちたくて話のきっかけとしてそういうことを言ったんだと思いますよ”という形で話したところ、”そういう気持ちだったとは気がつかずにごめんなさいね”と、おっしゃられたのです。
つまり、そのくらい科学的な正しさと気持ちの問題の価値が違うんだと思います。
科学的に正しくない水伝を道徳教育に使うと(もしくは科学的な確からしさをないがしろにすると)どういう風に実際の社会で将来教え子が不利益をこうむるか-という方向で説得をした方が聞いてもらえるのではないかと思いました。
150. HuM — September 25, 2008 @15:27:31
プルタブの件ですが、私が仕事で出入りする病院(大学病院)にもリングプルの回収ボックスがあり、そこには、回収ボトルとともに幾つかの能書きが書かれていました。
そこには、なぜプルタブかとあり、
缶にはスチール缶とアルミ缶があり、単に缶として回収するとアルミとスチールか混ざり分別が必要であるが、プルタブは100%アルミ製であるため分別が不要である
缶を回収すると洗浄に手間が掛かる...てな事が幾つかかいてありましたが、後は忘れました。
もちろん、そんな分別や洗浄などリサイクル基本だろと突っ込みを入れたかったのですが、先に脱力したのを記憶しています。
ハンターさんの学校では、「なぜプルタブを回収」という理由は教えているのでしょうか?
もし、そんな理由を元にプルタブのみを回収しているのであれば、小学生への環境教育としてはリサイクルの本質を間違えていると思いますね。
151. koge — September 25, 2008 @17:53:56
う〜ん…プルタブ集めは効率的ではないけれどもリソースの制約を考えると最善手ではあるかもしれないということですね。それならばやらないほうがマシとはいえないくらいの成果も挙げているようですし。
むしろ経済学的にはたいへん興味深い話だと思います。現金・プルタブ・缶のどれを集める運動が最大の「利益」を得られるのか社会実験してみたりとか考えたくなりますね。
152. 憂鬱亭 — September 25, 2008 @19:20:43
>ハッターさん
>どうしてこんなにプルタブが集まったか、の理由のひとつには自治体のリサイクルが浸透していて
なるほど。自治体が缶本体を回収しているのでは、小学校に缶本体を集めることは出来ませんね。
缶を洗って、プルタブをはずして、缶をつぶして、それぞれ集める、というサイクルが出来ているわけですね。
でも、それだと、子どもたちの力で何かを集めているんじゃなくて、大人のリサイクルの「おまけ」のような感じがして、私だったら、いやですね。
>そのくらい科学的な正しさと気持ちの問題の価値が違うんだと思います。
ああ、何か納得できる気がします。で、科学的な正しさの探求は、中学校や高校に任せてくれるわけですね。間違った「常識」つきで。
このブログ全体の問題にもつながるかもしれませんが、科学的な常識の定着とは反対の方向で、今の日本の小学校の一部が動いている気がしてなりません。
本来比べるべき事柄だとは私には思えない「良いこと」と「正しいこと」を比べて、「良いこと」の方を重視している方向に小学校が向かっている感じがします。
>ちがやまる さん
>新聞を読む時間すらないのか、なぜだ、とか。時間はあっても精神的ゆとりがない、とも読めますし。
時間が物理的に取れない人もいるようです。毎日持ち帰り残業が終わると日付が変わる小学校教師の話は、珍しくありません。
私の場合は、担任している間は、2〜3人問題を抱えた生徒に気がつくと、もう精神的ゆとりはなくなってしまいました。本当はたかが学校の教師なのに、その生徒の人生全体を抱えてしまったような気分になっていました。実際、中には学校だけが「生活の場」と呼べるような状態の生徒もいますから。
学校以外に子どもたちを支えるシステムがあれば、教師の負担は変わるのでしょうが、今の日本では子どもたちを支える学校外のシステムは見つかりにくいですから。自治体は、形の上での「家」があれば、経費削減のために子どもの面倒を見ることを止めますからね。
154. 憂鬱亭 — September 25, 2008 @19:41:32
ペットボトルのキャップ回収は、
公共広告機構がSMAPの草薙を使って、広告してますよ。
私のところが広告量が少ない地方だから、穴埋めのために大量に流しているからなのか、そのCMは何十回も見ましたよ。
「エコキャップ推進運動」自体は、金銭的には成り立っているのかもしれません。何しろ、回収したものを送る金も、回収者が負担するわけですから。この経費は本来、次に資源として活用する企業が負担するのがまっとうのような気が私はしますけど。
ただし、疑問は2点あります。
1 「推進運動」の役員の報酬はどうなっているのでしょうか?
2 HP運営を含む広報にかかる費用は誰が負担しているのでしょうか?
HPをみても、そこのところはわからないのですよね。
なんとなく利権のにおいを感じるのは、疑いすぎでしょうか。
155. kara — September 25, 2008 @19:49:42
> 子供たちへ美しい言葉を使うことの正しさを教えることの尊さと、科学的な真実は厳密に両立しなくてもいい
> 大学の先生とか科学者だとか言う人たちは、いわゆる学者馬鹿で考えに幅がない。いちいち小さなことにこだわりを持つのは専門家の中だけにしてほしい
多分、そんな感じじゃないかなあと私も思います
「水伝が科学的に正しい方が面白いけど間違っていたとしても別に構わない」くらいの重みしか置いてないのではないかと
実際には、人によって科学に対する「温度差」があります。
「みんなこう」とは言えないので、「そういう人もそういう人もいる」なんですけどね。
「関心」という言葉に引っかかられたのだとすると、あんまり言葉の定義には深入りしないほうがいいでしょう。「関心がある」ではしっくりこないなら、「関心がないわけではない」でもかまわないと思います。その程度です
157. 石田剛
— September 25, 2008 @22:21:05
現場の教員の方に、「水伝」のダメさ加減を伝えるなら「科学的云々」以前に、「美醜を善悪に結びつけることが道徳に適うか?」とか、「言葉の良し悪しは各自が自分の頭で考えなくてはならないのでは?」という疑問を、教員の方に問うのが良さそうだと、石田は考えています。
「水伝」のお話は科学的かどうか以前に、道徳に適う内容ではないと、石田は理解しています。
***
エコキャップ推進協会のサイトを見ると、ちょっと腑に落ちないことがいくつかありますね。
「寄付報告」 http://www.ecocap007.com/kifu.html
とすると、受領書の FAX代 とか事務所の維持費とか、サイトを載せているサーバ代はどうやってまかなっているんでしょう?
仮に、役員の方や、働いてる方が全て無給だとしても、いろいろ費用はかかるはずです。石田は、その辺の収入と支出の情報を見つけられませんでした。
キャップを回収するコストも気になります。
「エコキャップ送付先」 http://www.ecocap007.com/hikitori.html
「キャップの回収実績」 http://www.ecocap007.com/pdf/capkaisyu.pdf
このコストを直接寄付した方が、キャップを換金して寄付した場合より、多額の寄付ができることになりますね。
どうもこれはなんかヘンな気がします。気のせいならよいのですが。。。
引用開始>>>>>
6. この法人の設立当初の入会金及び会費は、第8条の規定にかかわらず、次に掲げる額とする。
(1) 正 会 員
法人会員は1口につき20,000円とし年会費として任意に口数を申請する。
個人会員は1口につき2,000円とし年会費として任意に口数を申請する。
(2) 賛助会員
法人賛助会員は1口につき10,000円とし年会費として任意に口数を申請する。
個人賛助会員は1口につき1,000円とし年会費として任意に口数を申請
する。
>>>>>引用終了
とありますから、
>「推進運動」の役員の報酬
>受領書の FAX代 とか事務所の維持費とか、サイトを載せているサーバ代
は賄えるのではないでしょうか?
正会員・賛助会員から「巻き上げている」可能性も0ではありませんが。
>その辺の収入と支出の情報
は、少なくとも総会資料として県知事若しくは内閣府に提出されなければならないので、Web上はともかく、文書としては存在するはずだと思います。
以上、昔とある社団法人に在籍していた者として考えてみました。
159. YMN — September 26, 2008 @19:45:57
----引用
以前勤めた病院の新人事務職員がこれを真面目に集めていました。2ヶ月ぐらいして、もう集めていない様子なので「デマだってわかったの?」と聞くと、「そうではない」と。彼曰く「病院に勤めるようになって、車椅子が足らないなどという事自体がないとわかった」のだそうな。
そりゃそうです。病院で最期を迎えるお年寄りたちの残していく車椅子が、その病院の倉庫には山積みされていたのですから。
----引用終了
高齢になって車椅子が必要になることはごく普通のことですが、介護用品の中古は前の人が高齢で亡くなったことを連想する抵抗感があり、なるべくなら新品の購入ということになるでしょう。
病院の倉庫で山積み状態ではリサイクルが有効機能とは言えないものがあり、中には足らない現場もあるのかもしれませんが、全体的な数に関して言えば車椅子はむしろダブつき気味ということも考えられます。
160. 石田剛
— September 26, 2008 @20:50:10
ご指摘ありがとうございます。
ご指摘の通り、事務所や FAX の経費は会員の年会費でまかなっていると読み取るのが自然ですね。
その収支が公表されていればなお良いのでしょうが、これは会員でない人にまで公表する必要があるかと言えば、そうでもないのでしょう。
「収集にかかるコストを直接寄付した方が良いのでは?」という疑問の方は、また別途気にはなりますが。。。
161. ハッター — September 26, 2008 @21:35:03
プルタブの件、先ほどPTAの会議の後にお話を伺ってきました。小学校の側から積極的に返答を下さるという形ではなかったので、こちらから教頭先生にたずねました。
結果は今年度は続けますが、来年は(子供たちが言い出さなければ)やらないと思います。(幾分トーンダウン) -というお話でした。
夜の会議でしたので、職員室には一般の先生が居らず、実は…という形で、以前のあしらい方とは違い丁寧な対応をしていただきました。
教頭先生のお話では、この運動の元締め(各校であつめたプルタブをまとめて送っている)の社協にこの方式を変えて地域のリサイクルに頼めないものかと頼んだそうです。そうした所、全国的な運動でそういうシステムになっているから決められた業者に送る以外にないと言われたそうです。
次に、近隣の学校(かなりの学校で行っているそうです)に、これまで教員や保護者から”これはおかしいのではないか”という問い合わせはなかったかということを沢山問い合わせてくれたそうです(たぶん他所の学校の教頭先生に)。でもどこでも、誰もおかしいと思った人はいなかったそうです。そういうわけで中止することができなかったという事でした。
教頭先生は”本当に申し訳ありません。”とおっしゃっていて、多分本心ですまないと思っているようでした。できることはしてくださったのだなと思うことにしました。
この対応の流れは興味深いところがあって、外堀を埋める形で何とかしようとしていて、校内の先生達(例えばこの運動をしている児童会担当の先生達)の様子がさっぱり見えてきませんでした。
残念なことでしたが、やることはやったという気持ちと、できる範囲でできることをしてくださったんだなという気持ちで学校とのこの件はおしまいにしようという気持ちになりました。
”皮肉やあてつけではないんですよ”と言って一般が読める環境学の入門書を差し上げてきました(仕事で使う予定で取り寄せていた本が1冊余計に届いていたのです。)。総合で環境を教える学年の先生達に読んでいただくか、学校図書としておいて下さるという事でした。
みなさん、お付き合いくださってありがとうございました。
162. kara — September 27, 2008 @00:07:10
http://www.ecocap007.com/mokuteki.html
>CO2削減に寄与
>”ペットボトルのキャップを外す”という行為により、
>ペットボトル本体の再資源化率を高め、結果として焼却処分され
>る量を減らし、CO2削減に寄与する
とあるように、収益でワクチンを買うことそのものよりも、分別の習慣をつけるためのアピールに主眼があるのかなと、私は受け止めています。
164. Jem — September 27, 2008 @07:04:42
エコキャップ活動は、意義があると思います。
165. PseuDoctor — September 27, 2008 @11:52:05
>ddさん
>水伝とか、そんなアホな話はいいからさ、
>地球温暖化のほうを諸先生方、とりくんでくださいな。
これは「優先順位問題」と言って、これまでに散々議論されてきた事です。
例えば、kikulogなら
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1164164775
あたりに記載があり、きくちさんは「不毛である」とはっきり書かれております。
>水伝なんと、ちょっと考えればわかるわけで
これもありがちな議論ですね。もし本当に「ちょっと考えればわかる」のであれば、どうして校長が集まる会で講演が行われるのですか?
確かに全くバカバカしい話ですが、それをまともに信じ込む人が無視出来ないほど居る、だから問題なのですよ。
もしよろしければ「ニセ科学批判まとめWiki」
http://www39.atwiki.jp/cactus2/
でもご覧下さい(特に『「ニセ科学批判」批判 FAQ』のあたりを)。
167. TAKESAN
— September 27, 2008 @12:26:50
PseuDoctorさんのコメントとかぶりますが。
そんな、「ちょっと考えればわかる」話がこれだけ広まっている現状というのは厄介ですねえ。
------
最近、黒影さんの所でも似たようなコメントを見たなあ…。
168. 石田剛
— September 27, 2008 @18:33:52
キャップを分別収集してリサイクルするべきなのであれば、自治体で回収するように働きかけるのも良いかもしれません。
ただし、このときは分別収集することによるコスト(燃料も環境負荷も)が、十分に小さいか良く考える必要があると、石田は考えます。今のところ、エコキャップのサイトからは、このことを良く考えたのか、石田には読み取れていません。
石田自身は、ペットボトルを使い捨てること自体が、すごくもったいないと考えています。
ペットボトルをボトルとして再利用するべきだと思います・・再利用ならPETじゃないほうがいいのかもしれませんが。
と言いつつ、ペットボトル飲料を買っちゃいますけど。
ボトルとキャップは別々に集めるということならおかしくはないわけです。「キャップを集める」という話になると、なんとなく妙なんですが。「キャップを集める」が「キャップでなきゃ」に簡単に変質してしまうところが問題じゃないですかね。
170. Tsune — September 28, 2008 @23:24:30
職場で交代で書いているコラムの順番が回ってきたので、「水からの伝言」で一本書かせていただきました。
紙数の関係で「悪徳商法につながるおそれあり」というところまではいきませんでしたが、趣旨としましては「人間の言葉ぐらいで自然法則がねじ曲げられるなんてのは人間の傲慢じゃないの?」「嘘から出発した道徳なんて一見きれいに見えても結局害をもたらすだけじゃないの?」「ニセ科学より本当の科学の方がもっと美しいんじゃないの?」というあたりを読んで下さる方に考えていただきたい、と思っております。
微力ながら何か自分にできることはないか、と考えておりますが、少しでもお役に立てれば何よりの幸いです。ちなみにコラムは11月更新の予定です。
失礼いたしました。
171. 富岳百景
— September 30, 2008 @00:20:05
http://www.jcv-jp.org/
こちらでは「エコ」という目的はうたわれていないようです。
寄付も集めていますし、ファンドレージングの一環として、ペットボトルキャップに目を付けたのだと思います。
自分の財布から一円を出すことを躊躇う人でも、飲み終わったペット飲料のキャップなら差し出してくれるかも、と考えたのかもしれません(捨てられたりしていますしね)。
確かに「エコキャップ推進協会」となると、石田さんが書かれている点は、気になってしまいますが
私としては、集めたお金の一部でも良いので、海外ではなく我が国の子どもたちのワクチン費用に充ててもらえると嬉しいのですけど
172. ハッター — September 30, 2008 @15:46:25
ペットボトルのリターナブル化はドイツ(確か)で行われているところがあるのではなかったかと思います。ペットはわずかではあるのですが空気をとおしたり、ボトル自体にものが溶け込んでしまう性質を持つので、たまたま便利な容器として農薬を小分けするのに使ったりした後に戻されたものの安全性などが問題(基準値以下だけれど農薬は検出されたとかいう結果だったと)だったと思います。ドイツの国民性だとリスクを割り切ってすすめていけることでも、日本だと受け入れられるかどうかが問題なんでしょうね。
富岳百景さま
>海外ではなく我が国の子どもたち
お気持ちわかります。
上のほうでプルタブの件を書いていたのですが、教育予算の不足で理科の実験器具が足りてない状況でうちの小学校では町の貸し出し用の車椅子のためのプルタブを集めていました。
まず自分の足元もみなくては。いつまでも自分たちはゆとりがあると思っているから効率の悪いことでも気持ちの問題でできるのかもしれません。
”もったいない”という言葉は労働力とか時間にも当てはまるということも考えなくてはいけないと思います。
173. ちがやまる — September 30, 2008 @16:35:22
どこかに書いたことがあるのですが、もしも本当に世界が解決すべき最優先課題を設定するとすれば、僕自身は南北問題(朝鮮半島ではなく)だと思っています。しかし、「すべての人がひとつの課題に取り組むべきである」と言わんばかりの言い合いは不毛です。
「誰もやらないからやる」ということも大事なわけで、ニセ科学問題はそれにかなり近いかと思います。
もちろん、それは他の問題を認識していないという意味ではないので、そこには問題を認識することと取り組むこととの違いがあるわけですね。
ちょっとずれますが、たとえば「水道水なんか飲むと病気になる」と言わんばかりの嘘で高い水や浄水器を売る連中に対して憤りをおぼえるのは、単に日本の水道は安全だからということ以上に、「世界には本当に水を飲んで死ぬ人たちもいるし、そもそも飲める水を得ること自体が困難な人たちがいる」からですね。
その意味では、嘘をついて水商売をする連中だけではなく、それを真に受けて「水道水を飲むと病気になるのか」と信じてしまう人に対しても、怒りたくなる瞬間があります。
水に「ありがとう」と言いさえすれば、危険な水などなくなるなどと本気で信じているらしい人たちにも、そしてそれが「いい話」だと思い込んでいる人たちにも、時に怒りをおぼえます
175. ハッター — September 30, 2008 @17:50:43
私のコメントに無神経なところがあったかもしれません。
言いたかった事はさまざまな問題を認識することの大切さでその中には自分たち自身がまだ身内に抱えている問題やこれから抱え込むであろう問題にも無関心であってはいけないという事だったのですが。
176. 多分役立たず(HNです) — September 30, 2008 @18:37:30
人それぞれ考え方がありますし、向き不向きがありますから、各々、やれる範囲のことをするようにすれば良いのではないでしょうか?
#と優等生発言をしてみる(^^;;
#私は怒りがレスへの原動力になることも多いですね。
ドイツのペットボトルは再利用を前提にしているので容器の厚みが違うと聞いたことがあります。
私はスーパーで無料で提供している水とか、作り置きのお茶を入れておくのに重宝しています。水筒代わりにも非常に便利ですし。
近所のスーパーで注意書きがあったのですが、ペットボトルは細菌汚染や容器の耐久性を考えれば、水専用に使ったとしても2年ぐらいで捨てた方が良いとのことです。
177. ながしま
— October 1, 2008 @17:59:25
教育学部で教えているものですが、先日、全国の女性校長会の事務局にメールしたところ、関東地区へ取り付いでいただき、今朝、関東地区の役員の、ある校長先生と電話でお話することができました。様々な事情を鑑み、あまり詳細を出すことはしませんが、後日、私のウェブページで、もう少しだけ細かい報告をするつもりです。その際はアドレスを付けて、またここで告知致したいと思います。
参加された校長先生方の反応ですが、特にこれから水伝を普及させようというような感じではないようです。
お話した役員の校長先生は、本当に情熱を持って教育にあたられており、児童の保護者の方々とも良好な関係を築き、子どものために全力で努力をしている方だという印象を持ちました(聞いていて感動すら憶えました)。今回の講演会を準備するにあたり、本を見て若干疑問も感じたそうなのですが、やはり日頃からすさんだ言葉を使う子どもたちを目にしていることから、なんとかしたいという思いが強く、水伝の負の側面までは考えが及ばなかったようです。
今回、メールと電話でお話ができ、問題点についてはかなり伝わったと思います。今後の役員会でも、それをふまえて、今回の件について議論をしていきたいとおっしゃっておりました。
話をして感じたことですが、現場の先生方は、(昨今の教育に対するバッシングからだと思いますが)我々の想像以上に萎縮していると感じました。大多数の現場の教師の善意は揺るぎないものがありますが、ニセ科学批判の立場からどのようにサポートできるのか、課題をつきつけられた感じです。
現場の先生方は、ディスプレイの前に座っている時間があれば、子どもたちとふれ合いたいという方が多いでしょうから、よほど問題意識のある方でなければ、ネットはおろか、マスメディアに載った情報も気付かないのではないかと思います(新聞やニュースを見ないという意味ではなくて、ニセ科学以上に現場に直結する問題に強い関心がある、ということです)。
現場を応援し励ます方向で、何かできればと思っています。
とりいそぎ報告まで。
僕も以前、ある先生とお話したことがあります。
基本的に善意と熱意、あるいは動機について疑うべきところはないんです。
そこが一番の問題で、「動機は否定しがたい。しかし・・・」というのがこの問題やあるいは「EM団子」だったり「プルタブ」だったりという話の一番やっかいな部分です。
「科学的に誤りである」と言うだけでよければ話はきわめて簡単なのですが、それではまったく問題の解決につながりません。単なるバッシングではだめなんですよ。
僕も「水伝と道徳」の問題について話す際には、昨今の現場の先生方はいじめだとか授業崩壊だとかがある一方で、騒ぐ子供を立たせておくことすら許されないから大変なのだ、というようなことを言っています。
「気持ちはわかるけど、それはだめなのだ」ということが伝わればいいのですが。
そうですね。今回お話した先生については、伝わったと思っています。話の通じる先生で良かったな、と思ってます(だいぶつっこんでお話しました)。
それともう一つ、現場の先生方はなにかと余裕がありませんので、「善意であることはわかっているよ」ということは明示的に示して認めてあげないと、構えてしまって伝わる言葉も伝わらないのかなあ、と感じています(今回の件に限らず、僕が2年半前に教育学部に来て以来、感じていたことですが)。
どうやって伝えるかは時と場合によるのは当然のことですが、僕がいま現場に近いところにいるせいか、個別に話をすることをイメージしてしまうので、そのあたりの問題意識が特に強いのでしょうね。
でも、すべて個別に対応しないといけないとなると、確かに途方に暮れるのですよね。今回の件が、良い方向で教師集団への刺激になってくれるといいのですが。
とりあえず学生には、現場に出ても、善意だけではなくちゃんと考えてやりなさいよ、と言ってます。(^^;;
180. ちがやまる — October 2, 2008 @11:44:02
先生であるかどうか理系の教育を受けたかどうかには関わらず、水伝はおかしい子供に与えるのはまずい、と感じる・考える人たちはおられるわけです。ですから、おかしいと感じない、という事実はなぜどのようにそうなるのかちゃんと見ておく必要があると思います。「本を見て若干疑問も感じた」とのことですがすでに学校だよりのようなものにもメッセージを載せた方もおられたとのことですので、実際どんなふうに受けとめてまわりにも伝えようとしておられたのかが気になります。ただ、この覧のようにオープンな場はそのような検討に適していないかもしれませんし、私の任でもありませんので追求はしませんが。
対処としては、「考えろ」と言ってすむ問題ではない気がします。むしろ、どんなに考えても自分では考えつけない限界がある、熟練して大概の穴はふさいだつもりになっていても視野に入らず自分では気づけてない穴がある、ということにどう対処しているかが問題なのではないでしょうか。そんなものに出会ってしまう(しまっている)可能性もあるのだ、とまず思う必要があるでしょうし、危機管理という立場からは、生活の中に「学ぶ」というプロセスを入れておいて自分の無知にふだんから向き合っておくこと、まわりの人とのやりとりを危険のモニタリング・サーベイランスに生かすこと、なんかも必要かもしれません。
181. ハッター — October 2, 2008 @12:43:28
母と女性教師の会というものも存在することをご存知ですか。
私は、大げさにいうと次世代の教育というのはとても大切だと思っているので、子供が小学校に入学してからは、結構親の立場でPTAなどの研究大会などにも出ているほうだと思います。
当時の担任の先生が世話人だった関係でその母と女性教師の会という会の、県大会みたいなものに出席したことがあります。そこで幾度となく来賓扱いの先生達のスピーチに出てきた言葉があって、それは、女性教師と男性教師の違いに関することでした。自分たちは女性教師であるから、本能として母性というものを持っている。そこが男性教師には越えられない壁であろう。-という感じのことをおっしゃっていて、だからこそ、女性教師と母が一緒に集う意味があるのだ。-ということでした。
分科会に分かれての活動もあり、私は環境問題の分科会に出席しました。話題は原発問題と遺伝子組み換え作物などがあったのですが、退職教員が母親達に危険性を説いて聞かせるという感じのものでした。話の内容にはあまりに誤りが多く、陰謀論といって良いほどの部分もありました。まじめにその分野を研究している人には聞かせたくないような話でした。質疑応答の時間にはっきり誤りだとわかるものについては指摘しました。
後日、担任にあれはあまりにひどいのではないかと話したところ、どちらかというとこの会は研究会というよりは、女性や母親という共通意識を持つもの同士が、普段の生活の中で感じている難しさを語り合うような場所としての意味が大きいと言われました。しかし、指摘はもっともなことなので、科学的な話をするのなら今後は人選に注意したいと答えてくれました。
女性校長の会が似たような感覚の会かはわからないのですけれど。私の知っている女性と括って先生と親が集う会はそういう側面がありました。
182. ハッター — October 3, 2008 @19:56:34
小学校のプルタブの件なのですが、思いがけず変化がありました。
前に書いたのですが、子どもの通う小学校は地域の社協に協力する形でプルタブ運動を行っていたのですが、その社協のHPのトップページからプルタブ回収事業がなくなりました。とても目立つ形で紹介していたのにです。サイトマップを頼りに探すとプルタブ回収のページは工事中になっていて、これまでの記事は読めなくなっていました。
だめもとで活動の問題点と子どもの教育に与える影響を考えていただけるようにメールしていたのです。
私のところに問い合わせに対する返信は着ていませんし、今後どうするつもりかもわからないのですが、問い合わせについて考えようとしてくれての行動のように思えるのですが。
楽観的に考えると、社協さんが運動の問題点を理解してくださる事は、子どもの小学校1校が気づくよりも大きい影響を地域に与えてくれるかもしれません。
183. ながしま
— October 4, 2008 @13:08:25
対話の中身に関しては、情報量としては先のコメントと大差ありませんが、まとめを書きましたので、御覧いただけると幸いです。
http://astro.edu.nagasaki-u.ac.jp/~masa/misc/mizuden/
> ちがやまるさん
> 水伝がおかしい、子供に与えるのはまずいだろう、というのは、善意の有無とは関係ないと思います。
ええ、まったく関係ありません。そういう周回遅れの話をしたいのではなくて、どうすればこちらの批判が伝わるか、というのに関係した話です。理屈の上では「関係ない」でいいのですが、それで済まないから厄介なわけで。
別の言い方をすれば、批判が伝わるようにするための最適解を探したら、善意や情熱に基づいているということはわかっているよ、と「明示する」ことが、話をする上では思っている以上に重要なのかもしれない、と感じたということです(時と場合と相手に依るのはもちろんです)。なお、当然ながら批判はどんどんやるべきだと思っていますので念のため。
健全な社会であれば、大人相手にそんな気を使う必要はないのでしょうけど、現状はなかなか難しいかな、と思っています。
ちがやまるさんが#189の最後のパラグラフでおっしゃっていることはまさにその通りで、僕も完全に同意しますが、さてそれをどうやって実現しようかとなると、よくわからんのですよね。
184. ちがやまる — October 4, 2008 @15:41:12
私が周回遅れのように思われることを繰り返したのは、じつは物事のとらえ方の違いがそこにこそ表れていて、善意を認めることは単にラポールをつくるための手段とだけとらえるわけにはいかないのではないかと思ったからです。
自分が学生の時のことを思い返してみて、教員養成系の学部の人は男女を問わず華やいだ感じがしたことを思い出しました。人間間の雰囲気をよむのがとても上手で次の瞬間にはその先の地点に立って他の人をリードしている、といったような。一方理学部や工学部の人に感じた全般的なイメージは、人間関係は不器用そうだけれど質朴な人が多そうだ、というようなものでした。
それは私の偏見にすぎなかったのかもしれませんし、すべての人を類型化してとらえてしまうのはおかしいでしょう。ただ、かりにそんな違いがあったとすると、すでに20歳くらいで適性や志望などに応じて見方考え方ふるまい方に違いが出ていたのかな、と考えました。さらにその後の人生でも特性に応じた異なった領域での修練や選択を経て現在に至っているのでしょう。その校長先生とたとえば私とは、個別の知識の有無だけではなくて、物事のとらえ方(モード)に大きな違いがあるのではないかと考えたわけです。
これは単なる妄想にすぎないかもしれません。実際どうなのかは、当の校長先生にしか確かめられないことです。ですから、ぜひ確認してほしいと思います(結果は必ずしも知らされなくていいですから)。外部で騒がれたことをきっかけにして、同僚の先生方とも協力されて、「水伝」をどうとらえようとしていたか、そこにはどんな問題があるのか、「水伝」はどうとらえるのがいいのか、社会的にどんな応用があるのか、与えられる情報との取り組みにおいて子どもだけではないおとなもどのような態度を育成したらいいのか、充分に検討してほしいと思いました。
宇宙論のトレーニングを受けた学生さんは「考えろ」と言われれば考え方を模索することでしょう。そういう機会がなかった場合が心配で、そういう場合、考え方を模索する行動の原器は、未熟のまま残るものなのでしょうか、萎縮欠落してしまうのでしょうか、別の形に育っているのでしょうか。「水伝」のおかしさの本質に気付かない人はその辺がどうなっていて、はたしてちょっとしたことだけで気付けるようになるものなのかどうか、私はどうもそこに一番関心があるようです。
185. ながしま
— October 4, 2008 @16:16:38
ああ、なるほど、了解しました。
問題に言及されている様々なブログを見て、僕もちょっと焦ってわかりにくいコメントをしたかと思います。すいません。
学部間の雰囲気の違いですが、僕も同じ様に感じます(感じるだけで、ちゃんと分析したわけではありませんが)。(どの学部にもいろんな学生がいるというのは前提の上で)理学部だと言ってる事の中身だけが問題で、あとはどうでもいいという雰囲気がありますが(ちょっと極端かな)、教員養成系だと、コミュニケーションがとても重要です。まあ子どもと話ができない先生は困るので、当たり前ですが。
志望の動機も、たとえば中学校で出会った○○先生はとてもすばらしかった、あの先生のようになりたい、というようなのが結構あります。人間性に魅かれている、という感じですね。その反面、高校までの勉強は基本的に暗記で、答おぼえてればいいじゃないか、みたいな学生も中にはいます。もっとも、そういう学生が、「考える」ことを見せる瞬間ってのは、こちらとしても「やったぜ!」と嬉しくなります。
ま、なんだかんだ言っても、大学も社会の縮図、世間の二十歳の若者とそう違いはないんだろうな、とは思っています(しっかりした学生もいっぱいいます、念のため!)。
以上は学生についての話ですが、長年教師をされている方はどうでしょうかね。高校だと、理科だったら理学部・工学部出身の方が多いのでまた違うのでしょうが。ちがやまるさんの問題意識は、今後に活かして生きたいと思います。どうもありがとうございました。
186. さんちゃん — November 2, 2008 @12:58:26
それとも亜種なのかな?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1420338419
これで人を判断されたらたまったもんじゃない。
学校の先生がこんなナンセンスを言うようでは困ります。
水が人を判断できると本当に信じるなら、生徒指導は水にまかせたらいいんですよ。
188. 石田剛
— December 16, 2008 @04:55:40
きくちさん
> ペットボトルをボトルとして再利用するべきだと思います・・再利用
> ならPETじゃないほうがいいのかもしれませんが。
石田は再利用と言うか、再使用しています。
普通にリユースとかリターナブルにするなら、材質は PET じゃなくてガラスとかの方が良いでしょうが、ガラスは重い分だけ輸送にかかるコスト(おカネだけじゃない)が高いのがイマイチですね。
けど、ペットボトルをゆすいで水道水つめて使えば、いろんなコストが大幅に小さくなります。
参考:http://d.hatena.ne.jp/IshidaTsuyoshi/20070926/1190745749
> 「キャップを集める」が「キャップでなきゃ」に簡単に変質してしまう
石田もその辺りで、ちょっとモヤモヤを感じています。キャップを集めるなら、同時にボトルのラベルや、そもそもペットボトルとは無関係に排出される、その他のプラスチックは、なぜ一緒に回収しないのでしょうか?
もし、「同じプラでも種類が違う」ことを問題にするなら、キャップの材料(多くはポリプロピレンだそうですが違うのもあるそうです)も統一はされていないので、キャップを集める方に「プラの種類を見分ける方法」を周知しなきゃならんはずです。けど、そういう情報は石田は見つけられませんでした。
189. YMN — July 1, 2009 @20:38:49
7月22日に皆既日食があり、東京で食分0.749、札幌でも0.506ということで日本中で広くかなりの部分日食が観測できることになります。
普通のサングラスや昔は観察法とされていた下敷きではダメという記述を朝日新聞で見かけました(その理由は書いてありません)。
理由として、上の国立天文台のサイトでは赤外線の透過をあげています(紫外線を理由としている記述もネットにありますけど)。
当然日本中で多数の生徒も観察することになるわけで、仮に数百人に1人でも目を傷めれば被害者数は相当な数になることでしょう。
水伝が今だに教員の間で蔓延している情報伝達のトロさからして(情報伝達だけの問題でないかもしれませんけど)、安全な日食観察法が全ての学校の先生に徹底して伝わるのだろうかという危惧を抱いてしまうものがあります。
大阪版は詳しかったのかな。
昔は下敷きで見たものですが、だめなんですね。
手許に日食を肉眼で観察するためのフィルターがありますが、真っ黒で何も見えません。
191. かも ひろやす — July 2, 2009 @01:35:39
その像だけではなく,木漏れ日の影とか,気温や風の変化など,地上でおきるさまざまの現象を観察するというふうになるといいんですけどね。皆既の瞬間を待つキャスターの嬌声の中,欠けていく太陽の姿をひたすら写すだけのテレビの放映だったらいやだな。
22日は仕事で京都を離れられないのが残念。
小学生くらいなら、太陽だけを観察し続ければ充分でしょう。
周囲に気をくばる余裕なんかないのじゃないかしら
194. ちがやまる — July 2, 2009 @19:14:40
用具を使う時には、知らない人がうっかり覗いてしまったりしないように最後まで管理の責任が出でくるとは思いますけど、自分でやってみてうまくいくと素朴にうれしいものですね。
なんだろうな。投影じゃなくて直接見たい、という欲望ですかね。
196. YMN — July 2, 2009 @20:18:23
行き止まりの図のページを示してしまいました。
国立天文台の今回の皆既日食のトップ・ページは以下です。
http://www.nao.ac.jp/phenomena/20090722/index.html
>朝日にも「紫外線よりも赤外線」と書いてありました。
>大阪版は詳しかったのかな。
私のは東京版ですが、web版にも記述がありました。
紙面の都合で地域により多少違いがあるのかもしれません(修正のタイムリミットの時間差ということも考えられますけど)。
「ノウイング」オフィシャルサイト
http://knowing.jp/
私は日食と聞くと、ピンク・フロイドの「狂気」を聴きたくなるなあ。
いつものネタですいません。
198. YMN — July 3, 2009 @22:22:47
国立天文台のサイトでは日食グラスを使って望遠鏡や双眼鏡をのぞくことも禁止事項としていて(日食グラスを介して望遠鏡を覗いている写真)、その理由が今いち良く分りません。
「望遠鏡や双眼鏡は、太陽の光や熱を集めて強くするため、肉眼で太陽を見る以上に危険です」という記述があり、その理由と受け取れます。
しかし、網膜に投影された太陽の実像の光の強度が、双眼鏡や望遠鏡で肉眼より強くなるかというと、そうでなく像が拡大されるだけではないかと思います(恒星の場合は点をいくら拡大しても点で、結果的に点が明るくなりますけど)。
もちろん網膜像の太陽が大きくなれば誤った時の被害領域も大きくなりますし、双眼鏡と日食グラスの2つを扱えば作業ミスを誘発しがちでしょうし、日食グラスを想定外の使い方をすれば保証の限りではありませんし、そんなことで禁止事項にしているのかもしれません。
http://www2.tbb.t-com.ne.jp/starlight.net/shouhin/binocular/mizar7X50.html
双眼鏡の倍率と明るさに関わる射出瞳径との関係の解説があります。
低倍率で無闇と巨大レンズにしたところで射出瞳径が(人の瞳より)不必要に大きくなるだけで、暗視装置にすることはできません。
199. YMN — July 4, 2009 @12:12:36
>しかし、網膜に投影された太陽の実像の光の強度が、双眼鏡や望遠鏡で肉眼より強くなるかというと、そうでなく像が拡大されるだけではないかと思います
網膜にだけに注目していましたが、虫眼鏡で太陽の光を集めて(一点ではなく太陽の小さい実像です)紙に火がつくような状態になるポイントがあるわけで、皮膚や目など体の一部があればダメージを受けることになるでしょう。
また日食グラスにも部分的に強い光が当たることになりますし、仮に持ちこたえても光が熱に変換されて発熱することになります。
200. ぬまp — July 4, 2009 @15:55:45
たとえば口径10cmの望遠鏡は、直径1cm程度の眼球に比べると100倍の光を集めているので、覗いている目に入ってくる光の量は裸眼で直接太陽を見る時に比べて100倍になっています。これは出てきた光が眼球に均一に入射したときの話なので、もっと小さい面積に入射すればさらに光の密度は高くなりますよね。
もちろん、口径1cmの望遠鏡を使えばご指摘のように拡大されるだけで済みますね。
201. YMN — July 4, 2009 @21:13:51
人の眼球の直径は1cmどころでなく何か勘違いがあるようですが、それ以前に光学的に何か勘違いがあるようで、フクロウの大きい眼と人の眼の差を述べているように受け取れますが、そう単純な話ではありません。
双眼鏡でフクロウの目になれるわけではなく、倍率1倍で肉眼より光が集められて明るく見える双眼鏡はありませんし、天体観測で良く使われる7倍50mmの双眼鏡がありますが、倍率7倍で50mm以上の”明るい”双眼鏡もありません(作ればありますが、作っても明るくなりません)。
>もちろん、口径1cmの望遠鏡を使えばご指摘のように拡大されるだけで済みますね。
拡大されるだけでなく、拡大率を上げるほど暗くなります(ただし恒星は変わりません)。
光に対する感度が人間より良いですが、倍率が上がるわけじゃないです。
http://ameblo.jp/african-eagle-owl/entry-10032697773.html
双眼鏡は、光の入る対物レンズは口径が大きく、覗き込む部分の接眼レンズの口径は小さいです。
http://www1.ocn.ne.jp/~bouen/knowledge/knowledge1.htm
ニコンの8x32SE・CFでは、対物レンズの口径32mm、接眼レンズの口径4mm。
http://www.nikonvision.co.jp/products/binoculars/standard/x32x42.htm
この場合、対物レンズから入った光が接眼レンズに64倍(単位面積あたり)に集光されて目に入ります。
望遠鏡でも同様の理由で、光の密度が上がります。
その理由から双眼鏡・望遠鏡メーカーは、取扱説明書に「太陽を直接見ないでください」と注意書きを入れています。
203. かとう — July 5, 2009 @03:34:11
204. YMN — July 5, 2009 @12:27:49
>http://www.nikonvision.co.jp/products/binoculars/standard/x32x42.htm
>この場合、対物レンズから入った光が接眼レンズに64倍(単位面積あたり)に集光されて目に入ります。
疑問を呈した書き出しからの流れで誤解があるようですが、双眼鏡や望遠鏡で太陽を見ることを可と主張しているわけでも、光が集まることを全て否定しているわけでもなくて、それはそれとして双眼鏡について述べている次第です。
4mmというのは接眼レンズの口径ではなくてひとみ径です。
人の瞳は最大で7mm程度まで開くので、4mmのひとみ径は絞りとして作用することになります。
同じ対物レンズ径32mmで倍率を上げることを考えて、例えば倍の16×32だったらひとみ径は2mmになり、その論法だと256倍に集光されることになり、倍率を高くするほど危険ということになってしまいます。
倍率を上げるということは対物レンズに入射する光の出所の対象範囲を狭めることで、それだけ入射する有効な光の総量は減ることになります。
暗くならずに倍率を上げるには巨大な対物レンズにせざるを得ないということで、巨大な望遠レンズは必ずしも「光を集めて」明るいわけではありません(限られた範囲に限定して「光を集めて」はいますけど)。
光学装置でそれなりの制約条件なく気軽に光が集められたりすると、高温源より高温ができて永久機関が動いてしまうことになったりします。
205. e10go — July 5, 2009 @20:08:57
すいません、間違えました。
誤;ニコンの8x32SE・CFでは、対物レンズの口径32mm、接眼レンズの口径4mm。
正;ニコンの8x32SE・CFでは、対物レンズの有効径32mm、ひとみ径4mm。
「接眼レンズの口径」と「ひとみ径」では意味が違ってきますね。
「対物レンズの有効径32mm」÷「倍率8倍」=「ひとみ径4mm」です。
>倍率を上げるということは対物レンズに入射する光の出所の対象範囲を狭めることで、それだけ入射する有効な光の総量は減ることになります。
カメラのような絞りが無いですから、入射する有効な光の総量は変わりません。
http://www.pejp.net/act/telescope/make_telescope.htm
上のリンクの2番目の図で説明すると、
対物レンズで合わされた焦点から接眼レンズの距離が近いほど、倍率が上がりひとみ径が小さくなります。
逆に距離が遠いほど、倍率が下がりひとみ径が大きくなります。
しかし、どの場合も、対物レンズから入る光の量・接眼レンズから出る光の量は、変わりません。
つまり、倍率に比例して(ひとみ径に反比例して)明るさが変わりますが、光の総量は変わりません。
なお、光の総量は対物レンズの有効径の2乗に比例します。
注;細かい話は省略しています。接眼レンズの焦点距離とか対物レンズのF値とか。
206. アルビレオ — July 5, 2009 @20:26:34
>光が集まることを全て否定しているわけでもなくて、
>それはそれとして双眼鏡について述べている次第です。
国立天文台のは日食を見る場合についての説明なのだから、一般論としては「双眼鏡は肉眼で見るより危険」とすることに問題があるとは思いませんが。
「それはそれとして」述べている部分は、日食を見る際の注意とは別のところに向かっている気がします。