僕についての虚像が広まってはいけないので補完。
あれはプロンプター使ってるし、普段よりずっとゆっくりしゃべってるのですよ。そういう番組だもの。
もっと普段の授業に近いしゃべりは↓
http://www.log-osaka.jp/broadcasts/workroom/workroom_index2.html
本業と関係ないので、秘密にしてあったのですが、微妙な演奏映像(ただし、海賊版なみ)や謎で微妙な演奏音源はたとえば↓
http://music.geocities.jp/theremin_andmore/
http://www.geocities.jp/theremin_theremin/














この記事に対するコメント[87件]
1. BUNTEN — December 21, 2006 @06:23:12
おかげでテレビを持っていない私もご尊顔拝見。(^_^)
2. pooh
— December 21, 2006 @07:43:08
あの喋り方は長井正和を連想させるようです。最後に「間違いない」を期待したひともいたような(いや、それはいかんだろ
てか、左手の問題らしい
4. やぶいぬ
— December 21, 2006 @10:23:31
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.youtube.com/watch?v=9LNRYsyWgEY
好意的な評価が多いのと「こういうことこそ言い続けないと」という意見が多いのは心強いです。
6. はない
— December 21, 2006 @11:11:23
7. gallery
— December 21, 2006 @13:29:09
8. と — December 21, 2006 @13:35:37
9. typer — December 21, 2006 @16:23:51
Q1. 右手は……?
A1. リズムキープです。
Q2. 大学教授なのにカジュアルですね?
A2. そうですか?さすがにテレビ出演なのでジャケットも着てるし髭も剃りましたが。
Q3. いつもと違いフォーマルですね?
A3. そうですね。さすがにテレビ出演なのでジャケットも着てるし髭も剃りました。
Q4. 正面を見据えてゆっくりはっきりしゃべっている。さすがに貫禄ですね。
A4. プロンプターを見てただけなんです。いつもはもっと早口なんですよ。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい
見ました.このくらいはっきり言って下さって
パブリック向けに良いですね♪
11. hira — December 21, 2006 @23:51:14
昼頃に最初のが立ったのが、23時45分現在で6枚目。
ニセ科学に対する疑念や鬱憤は、世間でも相当強いのかと感心してしまいました。はい。
とても読み切れないです
13. 野尻抱介
— December 22, 2006 @01:56:18
『「水からの伝言」を信じないでください』の553userを抜いて562userに。
でもってYoutubeは48,999view。すごいことになってるなあ。
14. もん — December 22, 2006 @04:06:26
惜しむらくは…もう少しいい時間に放映して欲しかったです.
>でもってYoutubeは48,999view。すごいことになってるなあ。
夏にニセ科学批判講演会をやった感想として「世の中はニセ科学をニセ科学と言ってくれる人に飢えている」と書いた訳です。今でもその意識は変わりません。だからといって「飢えて居るんだからなんでも食わせりゃあいい」というものでも無いとは分かっているけど、目の前に食い物を見せて上げないと「飢えていることに気が付かない飢え」というのも在るんじゃあないかと思ったりしています。
ニセ科学批判の内容は大事だし、ニセ科学を批判する我々のスタンスというものも常に揺るがないようにする必要はあるのですが、それとは別の次元で「ここにニセ科学を批判する者たちがいる」という情報が広がることも非常に大事なことに思える訳です。それにより、社会が漠然と「何か変だな〜、でも特に『違う』という話も聞こえてこないから、こんなものなのかな〜」となっていた、つまり気が付かない飢えに気づかせる作用というのが生じている気がします。
16. mastacos — December 22, 2006 @10:12:31
でたらめさを伝えるようにしてます。
でも大半は「別にどうでもいいや」「勝手に思ってる分にはいいんじゃない?」
てな感じも多いですね。
そう言う無関心さが1番の問題かもしれません。
これの反証に関してですが「悪魔の証明」の変形ではないかと思いました。
現代の物質科学の常識に完全に反していることなのに、
「正しくない」(反証)を要求するのはおかしいんですよね。
悪魔を証明する振りをして、でたらめな理論でごまかし、
いつのまにか「いないことを証明しろ」
にすりかえてるわけではないかと思います。
将来「悪魔の証明」とならんで「水伝の反証」
が並ぶんじゃないかと思ったりします(^^
ところで2chは読みきれないとの事ですが、
[痛いニュース]
【ニセ科学】 「マイナスイオン、根拠なし」「ゲーム脳、親のしつけの問題」…菊池教授、NHKで批判
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/880979.html
の中に2chの抜粋Logがあるので覗いて見るといいかもしれません。
それでは活動の方がんばってください。
17. 柘植 — December 22, 2006 @10:39:05
>そう言う無関心さが1番の問題かもしれません。
無関心にもいろいろある訳ですよ。仕事場で「この薬品を使うときはきちんと保護具を付けなさい」とかいう時に、相手がその薬品の危険性を知らないのに「ちゃんとしろ」と言っても「うるさいな〜、保護具は暑苦しいから嫌なんだ」になってしまう訳ですね。「この薬品は皮膚浸透性もあるし、その結果肝機能障害を起こすこともある」なんて話を肝機能障害を起こして何年も苦しんだ人の話を交えてすると、その次からはうるさく言わなくても保護具を付けたりするわけですね。それと類似していて「こんなことが蔓延したらどう困るのか」が明確で無いという部分が無関心を生む面もあるわけです。
実のところ科学の専門家というのは、「こんなことが社会に蔓延したらどう困るのか」というのを考えるのは決して得意分野じゃあ無いわけです。むしろ社会学とか教育学の人がきちんと考えてアピールして欲しい訳です。
ポッと思いつく「困り事」は道徳教育で科学的な嘘を教えたら理科を教えるときに困る訳だけど、そんな話じゃあない怖さなんかを私は感じる訳ですね。ナチスドイツの思想を研究すると「ゲルマン民族優性主義」なんてのがありましてね。つまりゲルマン民族は「科学的に優れた民族だ」なんて考えがまともに信じられていたりする訳です。そして現実は「科学的に劣った民族」のユダヤ人の狡猾さで不遇をになっている、じゃあ、やっつけて自分たちが支配者となるのは「科学的に正しい」なんて成っていったりとかね。「そんなこととは次元が違うだろ」と言われることを承知で書いて居るのだけど、道徳を教えたり、ゲームをやりすぎないしつけをするのに、「科学的にこうだよ」なんてと教えることで、「科学的に」と枕詞が付けば内容を確かめることもなく「間違いなくそうなんだ」なんて風潮は私にはとても怖いのですね。
18. はりがや
— December 22, 2006 @11:15:54
手相の本を借りてきました.子どもを喜ばせるには,格好の
ネタとか言っていたけど,小学校低学年の子どもにおかしい
話を吹き込まないほうがいいと言っておきました.
もと国語教師だし,子どもを楽しませる方面を工夫している
のですが,このあたりはどーも...「水伝」の本を借りて
きてはいませんが.
19. pooh
— December 22, 2006 @12:12:39
1)まずテレビと云う「リーチが広い」という性格を持つメディアに載った。
2)それがYouTubeという「ネットにおいて非常に引用しやすい」メディアに載った。
3)背景として潜在的に求められている言説であり、求めている層から見ると非常に品質の高いコンテンツを提供した
ということになるのではないかと。
「マーケティング戦略」と云うといやらしいですが、上記の条件が揃うと有効な方策が実施可能だ、と云うわけです。
ニセ科学半信半疑層には1の段階でリーチし、なんとかニセ科学を否定したいけど材料が揃ってなかった層には2の段階で応えることができたわけですね。
>「マーケティング戦略」と云うといやらしいですが、上記の条件が揃うと有効な方策が実施可能だ、と云うわけです。
私は「ブレークするかな」というか「ブレークする下準備は整ったかな」という感想を持っています。マーケッティングに例えても別段「いやらしく」はないというスタンスですのでね。実は、私が「潜在的需要」を感じ取った時に思い浮かんだのは、「満たされる可能性の示されない潜在需要は調査で浮かび上がらない」という事でした、代表的なのがゼロックスのコピー機の調査ですが、調査結果は「売れない」だったわけです。その時代には、会議の席に「本日の資料です」とコピーしたものを配るなんて事そのものが無い訳でして、どうしても必要な資料なら数日前から準備して印刷屋に印刷させて配る訳ですね。伝票類の数枚のコピーならカーボン紙を挟んで書いたりとかなわけです。せいぜい図面の青焼きくらいしか「書類のコピー」という概念が無いときに需要を調査しても、「会議の前に資料をコピーして配ると便利」とかいう需要は浮かび上がらない訳です。
「ニセ科学をニセ科学と言ってくれる人が居る」という情報が普及しないと「言ってくれ」という需要も出てこないという状態だったと思うわけです。私はきくちさんが新聞記事を書いた時に「良く書いた」という人に「もっともっと反応して欲しい、できる範囲でかまわないから『こういう情報をもっとくれ』と態度で示してくれ」と言ったことを書きましたが、需要があるという情報を高めたかったからです。
きくちさんたちが頑張って、少しずつ「ああ、こういう事を言ってくれる人もいるんだ、もっと言ってくれ」という形で需要を掘り起こしてきた結果、「聞きたい人が居そうだから供給してみよう」と小規模な情報供給が起こり、それがさらに需要を掘り起こして、規模拡大した供給になるという流れに乗り始めている感じを受けるわけです。
もし、この後、需要の加速度的増大が起こると、供給規模を増強しなくてはならなくなりますね、きくちさんか過労死する前に(笑)。そうなったら、今度こそ皆さん「専門家はもっと声を上げてくれ」と大合唱してください。
21. pooh
— December 22, 2006 @13:14:51
> マーケッティングに例えても別段「いやらしく」はないというスタンスですのでね。
いや、ここは私の商売に絡むので、私的な意味で「いやらしい」感覚があるだけです。戦術を語るのって、なんとなく下世話な感じがするし。
これまではマーケティングと云う「戦術」レベルでニセ科学陣営に負けていたのですが、十分戦うに相応しい機が訪れているのかも。
> もし、この後、需要の加速度的増大が起こると、供給規模を増強しなくてはならなくなりますね、きくちさんか過労死する前に(笑)。
そういうわけで(他力本願ではありますが)アカデミズムの総力結集、を訴えているわけです。残念ながら、最前線で戦える戦力を持たない身としては(卑怯かもしれませんが)。
22. アマサイ
— December 22, 2006 @14:33:34
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/info.html
最後の1,2分、非常に重要なことを言われていますね。
「白黒はっきりつけるのが科学と思われている。ニセ科学の方がより科学らしく見える」
この枠を見るような人はここまではっきり認識してほしいですね。
23. やぶいぬ — December 22, 2006 @15:23:23
http://jukoudou.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_0160.html
このかたの言う「本物のゲルマニウム」がなにを意味するか知らないのですが、単結晶なら見たことがあります。
もっとも、このかたのウェブサイトには、「ゲルマニウムは純度100%がよい」という言葉と「ゲルマニウムにはP型とN型があって、健康にいいのはN型だ」という言葉が同時に書かれているうえ、P型は「プラス電子」を含むことになっているようです。
純度100%でP型やN型のゲルマニウムというのは、僕の知っているものと違うし、僕の知っているゲルマニウムは「プラス電子」を含まないので、たしかに違うもののようです
その意味では、この人の言う「本物のゲルマニウム」は見たことがない・・・
なんというかな、ゲルマニウムの基礎知識がないことだけはわかります
でも、コメントを見ると議論はすでにガンダリウムに移っているようですから、いいのでは
26. 柘植 — December 22, 2006 @15:56:37
ゲルマニウムは赤外透過材料なので、ATR用のプリズムを何個か持っています。
顕微赤外のATRプリズムもゲルマニウムです。こちらは透過波長範囲のもう少し広いセレン化亜鉛にしたかったのだけど、予算が足りませんでした。
セレン化亜鉛とかKRS-5(ハロゲン化タリウム)みたいに毒性を気にしないで使える(赤外透過材料には毒性のあるものが結構あるんです。そういう事に詳しく無い人向けの赤外の講演とか頼まれると、透過材料の毒性については必ず話すようにしています。)ので便利なんですが、ちょっと脆いのが玉に傷ですね。見た目は銀色の金属光沢のある結晶でして、「これに赤外光が通ります」とか言うと、びっくりする人が居たりします。
それ以外にも、昔、臭化カリウムの代わりに試料をゲルマ粉末に分散させた拡散反射測定を試みた関係で、かなり純度の良いゲルマ粉末1g入りを何本か持っています。それは最近別な用途に用いようかどうかと検討中です。
赤外線は通るのだ、なんて言われても、にわかには信じられないかも
ゲルマニウム自体は毒なので、「身体にいいなら飲んでみよう」という人が現れないことを祈ります。「有機ゲルマニウム」は飲んでもいいっていうんですが・・・
28. 柘植 — December 22, 2006 @16:30:47
>ゲルマニウム自体は毒なので、「身体にいいなら飲んでみよう」という人が現れないことを祈ります。
そうでしたね、腎臓への蓄積性の毒性がありましたね。私みたいにセレンやらタリウムの化合物ばかりを扱っていると、「ゲルマならたいしたことない」的な意識になります(反省)。
ゲルマは比較的、値段も安くて扱いやすい赤外透過材料なので、くだらない事に使われて値段が上がったら困るのですよ(笑)。
ただ、実際にゲルマニウムを服用して腎臓障害を起こした例があるようです。ちゃんと確認していませんが、いわゆる「有機ゲルマニウム」に不純物として混入していたのではないかな
ゲルマニウムの値段をつり上げるための陰謀でしょうか
ですね.子どもが喜ぶからってなことで,おかしな出し
物は,持ち込まないで欲しいと思う.
#東大への進学率が日本一の小学校って,どっかの私立
でなく,つくば市立のここなのです...敷地に隣接し
た児童館にて,つくば市の職員をしています.ここで,
おかしな物が持ち込まれないように,言っています.
31. 南郷力丸 — December 23, 2006 @03:54:41
「水伝」がもう無視できなくなったということなんでしょうが、あちらも無視しないでほしいなぁ。
再放送は謎・・・しかし、実は再放送をたまたま見たという知人が意外に多いので、意味のある時間帯なのかも
あの放送で僕がなにをしゃべるかは、僕以外の誰も事前に知らなかったのです(プロンプター用の原稿を送ったのが、収録一時間前)。「水伝」の話をするともしないとも言いませんでした。単に「ニセ科学」というテーマをもらっただけです。
ですので、NHK側には個別の内容についての意図があったわけではないのです。
菅原明子が今も経営委員なのかどうか知りませんが、どちらにしても、マイナスイオンの話が困るとも、マイナスイオンの話をしてくれとも言われていません
33. 6 — December 23, 2006 @09:26:02
http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20061222.html
なんてのがありますね。
34. apj
— December 23, 2006 @12:34:25
http://atom11.phys.ocha.ac.jp/water/checklist.html
ウチでも、ゲルマニウムはATR用のプリズムだから、触ったところで特に何も起こりそうにないと指摘しました。
ゲルマニウムゲルマニウムって騒いでる人達って実物の結晶を使ったことがないんじゃないかなぁ。
もしかして、シリコンとシリコーンくらい違う?
あるいはインフルエンザ菌とインフルエンザ・ウイルスくらい違うとか
36. Y — December 23, 2006 @17:09:36
それから以前別のもう一人のきくち先生も出てました。
安斉先生も教育で番組やってましたね。
同じキクチ先生がしゃべってもネットだけだと
別にいいじゃん。って人でも
テレビでしゃべると何か一大事!と世間は思うらしいです。
という意味でテレビの影響は大きいようです。
広告の世界では3回見せる。と見てる人に覚えてもらえるという法則?(ニセ科学?)
があるようですがそれでいくときくち先生はあと2回はテレビに出ないといけません。
37. 柘植 — December 26, 2006 @07:55:17
きくちさんの説明は簡潔にして要を得ているので、あちこちで、替え歌というかもじりの花が咲いている様です。
■[南京事件]視点・論点「まん延するニセ歴史学」
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20061224/p1
■[社会] 視点・論点「まん延するニセメディアリテラシー」
http://d.hatena.ne.jp/utiliti/20061226
「まん延するニセ『恋愛の常識』」
http://blogpal.seesaa.net/article/30215996.html
基本的には、白黒2分法的な話にはすべて、「もじり」が成り立つ感じを受けます。もともとのきくちさんの話がきちんとできあがっているからでしょう。
私も経済省の労組の新聞に「ニセ科学とニセ行革」なんて記事を出したりしたのですが、この番組の後にして、「蔓延するニセ行革」とかいう「もじり」を書けば良かったかもなんて思っています(笑)。
物語の構成については、小学生の頃、石森章太郎「マンガ家入門」で勉強しました(^^
僕がニセ科学や相対主義側なら「まん延する「科学」」って題で書きますが、相対主義の人はそこまでのお笑いセンスはないか
39. pooh
— December 26, 2006 @08:06:38
41. utiliti
— December 26, 2006 @09:29:45
はこちらですので……
http://d.hatena.ne.jp/rna/20061224/p1
42. あんね — December 27, 2006 @00:18:30
どなたかなさいませんか?(私の英語力では無理)
44. 堺三保
— December 31, 2006 @15:32:03
○[link:sampo.cocolog-nifty.com/fiawolcocolog/2006/12/post_e97d.html]菊池誠補完計畫その2[/link]
46. たかぎF — December 31, 2006 @18:39:52
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1140854459#CID1140977532
47. でんべえ — December 31, 2006 @19:00:49
初めてご尊顔を拝見しまして驚きました。お名前から勝手にいしいひさいちのバイト君を想像しておりまして。今後も一層のご活躍を祈念しております。
よいお年をお迎えください。
いしいひさいちは天才なので、それでよいです
ちなみに、以前某科学雑誌(「細胞工学」ですが)の記事に「ケンイチ君」というキャラを登場させたときのもとネタはいしいひさいちです。ただし、いしいひさいちは手塚治虫をもとネタにしていると思います。
49. うま — January 18, 2007 @14:07:55
科学は相対主義であり、二分法のにせ科学は
絶対主義でないですか?
「では、その議論をあんたの相対主義自体に適用してみろよ」だけで終ってしまううすっぺらい暴論にすぎないのですが、どういうわけだか一時期、哲学業界の一部で流行して、教育行政にたずさわる人にも影響を与えかけて、相対主義的自然観とみなせる文章が学習指導要領に書かれちゃったこともある、困ったちゃんなんです。
で、相対主義そのものはニセ科学ではないのですが(ニセ哲学かもしれないけど、とりあえず、それは別問題ということで)、ニセ科学擁護に相対主義が利用されることは今でもよくあります。
そういうわけで、ニセ科学批判の文脈で、相対主義によってニセ科学を擁護する議論を批判する形で相対主義批判が頻出するわけですね。
51. かも ひろやす — January 18, 2007 @20:08:40
で、相対主義というのは、「万物は同価値である」という主張の総称です。相対主義を徹底すると、「地球はほぼ球状で太陽のまわりを公転している」も「地球は円盤状で亀の上に乗った三頭の象に支えられている」も同価値ということになってしまいます。これでは科学になりませんよね。だから、実験や観測に合わない仮説を棄却する科学は、相対主義ではありえないのです。
一方、ニセ科学のうち、たとえば、「水からの伝言」も相対主義ではありえないわけです。彼らによると、ヘビーメタルは悪でクラシックは善らしいですから。私たちも、ニセ科学が相対主義を標傍していないことは知っています。
ところが、話はこれで終らないんです。ニセ科学擁護派が相対主義的主張をすることがあるんですよ。「科学もニセ科学も同価値である。単なる文化の違いにすぎない」と主張して検証の不在を擁護しようとする人々です。ニセ科学を批判するには当然、その手の詭弁にも対抗しなくてはならいわけで、そういった時に、ニセ科学批判の文脈で相対主義批判が出てくることになるのです。
52. うま — January 18, 2007 @22:50:42
違って、かなり特殊限定的なある物を指していることが多いという
ことですね。ネーミングとしては、分かりにくい気がしますけど。
>地球は円盤状で亀の上に乗った三頭の象に支えられている
同価値でないけれど、別におかしくはないですよよね。物語という
ことで。
あらゆる言説は同等の価値を持つという「価値相対主義」を科学にも適用するということで、むしろ「相対主義」という言葉の使い方としては普通だと思います
54. バラライカ宮崎 — January 18, 2007 @23:05:29
確かに、社会的構築主義は科学論としては相対主義以外の何者でもないのでダメダメなのですが、一方で、「『事実』の社会的構築」という現象は存在しており、それに関しての実証的研究は「人はなぜニセ科学を信じるのか」ということを理解するのには必要不可欠なものであると私は思います。
具体的にそういった実証研究を行っているのは、イギリスのPotter、Edwards、あるいはWetherellといった「言説心理学者」と呼ばれる人たちで、話し手が特定の目的のために、様々な'rhetorical devices'を用いて、いかに聞き手の反論を抑えて「事実」として信じ込ませるかについて研究しています。彼らも社会的構築主義者なのでガチガチの相対主義者なのですが、彼らの研究成果は「ニセ科学の伝播」といったことを考える上でも重要なものだと思います。
んじゃない」というのも相対主義のように思いますが。価値は位置付けによって変わる、という相対主義です
>主義主張や思想哲学には絶対的なものはなく、その正しさは
>時代や地域などによって異なる相対的なもの?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E5%AF%BE%E4%B8%BB%E7%BE%A9
フィクションはそもそも嘘でも妄想でもなんでもいいわけです
そういう自明な話は、相対主義と呼ばないのではないでしょうか
57. こなみ
— January 19, 2007 @03:04:31
したがって,科学的な見方と文学的な見方とでものがちがった価値をもつというなどというのは,相対主義といって議論するような代物ではありません。
「この科学」と「あの科学」で,それぞれに合理的な過程(実証や推論)を使って,互いに相容れない異なった結論が出ることがありうるというのが,科学における相対主義ですね。ひらたくいえば,相対主義の立場は「そりゃどっちかが間違いだろう」とは言わせない。
58. かも ひろやす — January 19, 2007 @03:35:09
59. うま — January 19, 2007 @04:00:56
>時代や地域などによって異なる相対的なもの?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E5%AF%BE%E4%B8%BB%E7%BE%A9
ということは、この相対主義の解説は無限定でナンセンスであると
いうことでよろしいですね。しかし、巷で謂われる相対主義という
のは、どちらかというと、こちらのような気もするんですけれど。
ニセ科学批判の文脈では限定的な意味を持つということは何となく
分かりました。
ところで、地動説と天動説が相容れないものとは私は思いません。
例えば人工衛星の運動を理解するには地動説がいいと思いますが、
電車の運動なら天動説がいいように思います。
wikipediaの記述に関して言えば「書きかけ項目」であると明記してありますよね。それはとても大事な注意です。つまり、現時点でのwikipediaの記述は「不十分な記述である」ことを筆者自身が認めているわけです。不十分な記述と明言しているものを不十分だからナンセンスと言ってもしょうがないでしょう
電車の運動を「天動説」で議論するというのはいまいち理解しがたいです。電車の運動は天体運動と切り離して考えられますよね。天動説か地動説かというのはあくまでも天体運動の話で出てくるものであって、電車の運動には出てきません
61. うま — January 19, 2007 @04:56:39
ことでよろしいですね。
http://d.hatena.ne.jp/wd0/20061109
因みに、背伸び少年の「うま」が憧れの人です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E5%8E%9F%E5%95%93%E4%B9%8B
62. pooh
— January 19, 2007 @09:39:21
例えばあることについて25年間研究した科学者が語る内容と、いくつか聞きかじった「背伸び少年」(うまさんが背伸び少年なのかどうかは別にして)が対話するときに、その水準は違って当然ですよね。なので、何かを教えてもらうためには「分かりやすく教えてくれること」を求める以前に、「少しでも自分で考え、自分で学ぶ」姿勢が必要となるわけです。あることを理解するのに必要な知識があった場合に、その知識を求めるのは好意に甘えすぎで、自分でできる限りの勉強と考察を行ったうえで「ここが分からない」と云って訊ねるべきです。
このブログのコメント欄にはほんとうに高い水準の知識と見識を持った方がいらっしゃいます(ぼくは違いますが^^)。この方たちは本当に気前よく、お忙しくても労を惜しまずにいろんなことを教えてくれます。でも、質問する側に上記のような姿勢が見られないと、やはり気分的に辛くなることもありえます(人間ですからね)。
もちろんこれはうまさんに一方的に言っていることではなく、ぼくの自戒の言葉でもあるのですが、ね。
あ、ついでに。
複数のブログのコメント欄に同様の内容を投稿するのはとても嫌がられる場合が多いので、留意されたほうがいいかと思います。
63. こなみ
— January 19, 2007 @09:21:18
それにしても江原啓之があなた(うまさん)の憧れの人ですか。彼の書いたものを読んでみるとあまりにも底が浅くて,自己顕示欲と物欲の塊のいんちきな人物にしか見えません。オレは儲けるつもりはない,物欲なんか超越しているとか「おだやかな雰囲気で」書いているんですがね。
だれかの主張を,その内容をそのまま受け取るのではなく,その人がその主張によって何を得ようとしているかを見抜くことが,この世の中の真実を見て取るコツで,ニセ科学を看破する秘訣でもあります。こういってはなんだけど,江原啓之をうさんくさく思う人はニセ科学には引っかからないと思います。
64. 内海 — January 19, 2007 @09:07:52
何かついに「相対な人」が菊池さんのブログにも来るようになったかと一瞬思ったんですが、、、
江原啓之に憧れている人は相対主義者では無いですよね、やっぱり(^_^;)
杞憂に終わるかもしれませんが、菊池さん達(私も含む)とうまさんの議論がこれからも噛み合わない気が少しします。
それは誰が悪い訳でも無くて、このブログの方向性と、うまさんの聞きたいような質問の方向性が微妙にズレているからだと考えます。
これに関しては私は仕方無いと思いますが。
あと、相対主義に関しては私の場合は一言でいうと「科学だろうとニセ科学だろうとどちらも一つのものの見方だから、どちらを信じても構わない」というファイアーベントみたいな考えが科学批判を繰り返す相対主義者の今のスタンダードな考えだと思いますが、どうでしょう?
まず、最初に言っておかなくてはならないのは、「相対主義」というのはきちんと価値のある考え方であり、それそのものは否定されるものではないということです。たざきさんも「極端な相対主義」という言い方で批判されている様に、「相対主義」を極端に「絶対化」するといった誤用が問題な訳です。「世の中のすべてのものが白黒ではなくグレーである」としても「明らかに黒に近いグレー」もあり「明らかに白に近いグレー」もあるわけですから、「みんなグレーだから同列に扱え」というのは「相対主義の絶対化」であるわけですね。
例えば刑法犯罪の被告人は、たとえ裁判官の前で「検事の言った犯罪事実を認めます」と罪状を認証しても「無実の罪」の可能性はあります(そういうえん罪事件もあります)。だから、全ての被告人は「グレー」といえます。グレーだから「被告人の利益に」と無罪判決を下すなら、世の中で刑事処罰は何一つできなくなるわけです。
私はうまさんが「二分法のにせ科学は絶対主義でないですか? 」と言われた部分を、「相対主義の絶対化」の部分を見られている様に思えた訳です。
さて、うまさん。二分法を行うために、まず現在の「かなり黒に近いグレー」の話を取り出してきますね。そして、「現代科学で全て分かっている訳ではない」とグレーであることを強調します。そして「最近の学説では」とかなんとかいって、最後に「自分の言っていることは白に近い」と思って貰うというのがニセ科学の一般的なやりかたです。「白に近い」という言い方が作為的に思われるかもしれませんが、実のところニセ科学の推進者は「完全に白だ」と思って貰わなくてもかまいません。浄水器を買ってくれる程度に「白っぽく」思って貰えば良いわけです。これは「相対主義」でしょうか?絶対主義でしょうか?
66. 柘植 — January 19, 2007 @13:08:01
私の所に鉱石を持って相談に来た人がいたとします。「金の鉱山を買わないかと言われているのだかどうしたものだろう」とね、まあ普通は話だけで「おやめなさい」と言いますが、私が気まぐれをおこして、適当な定性分析を行い、その鉱石に金がけんしゅつできなかったとします。私はいい加減ですから、「金なんて入っていませんよ」と言うかも知れませんが、その時真面目な気分だったら「この方法で検出出来るほどの金は入っていません。」から話を始めます。というのは、その鉱石に含まれる全ての元素を調べた訳ではありませんから、金が1原子もないとは言えない訳です。「無い」と「検出出来るほど無い」は違いますが、私の話の結論は同じです。「取り出して儲かるほど入っていないから、その鉱山を買うのは止めなさい」です。
実は、「金なんて無いから」は絶対主義的言い方です。「検出できるほど無い」は相対主義的な言い方になります。そして、どちらの言い方でも、それは、その相談者が持ってきた鉱石に対して言っているだけです。その鉱石がその鉱山全体を代表していない可能性はありますから、「その鉱山を買うのはおやめなさい」という言い方は、相対主義を無視した絶対主義となるわけです。
67. こなみ
— January 19, 2007 @14:23:29
> 江原啓之をうさんくさく思う人はニセ科学には引っかからないと思います。
ああいうのは嫌いだけど,マイナスイオンには引っかかるというケースはかなりありそうですね。妥当なのはむしろこんな感じでしょうか。
江原啓之に引っかかる人はニセ科学にも簡単にだまされると思います。
江原氏はニセ科学を語っているわけではないので,私が表立って批判する立場にはないのですが,彼の他愛もない文章を見ていると,これでだまされるようだったら,社会的経験と批判能力がまったく不足しているだろうとは思います。
68. うま — January 19, 2007 @18:58:37
きくち先生
>電車の運動を「天動説」で議論するというのはいまいち理解しがたいです。>電車の運動は天体運動と切り離して考えられますよね。天動説か地動説かと>いうのはあくまでも天体運動の話で出てくるものであって、電車の運動には>出てきません
車の運転をしていて太陽の方角を見て進行方向を考えるという場合には、天動
説(的モデル)で考えた方が使い勝手が良さそうという程度の相対主義です。
一概に天動説(的モデル)が不適切と言う訳ではなくて、『文脈依存』だなと
私は思ってます。科学というより、工学なのかもしれませけれど
pooh先生
>「少しでも自分で考え、自分で学ぶ」姿勢
ただの隠喩表現のお話なんですけど、それって「背伸び」って感じがします。
むしろ、私が鴨先生に啓蒙されるに不足しているのだとすれば、「背伸び」が
足りていない低脳少年だからかな?、なんて
柘植先生
>「相対主義」というのはきちんと価値のある考え方であり、それそのものは
>否定されるものではないということです。たざきさんも「極端な相対主義」>という言い方で批判されている様に
ニセ科学批判の文脈でダメ出しされる相対主義は、「相対主義一般」のことを
言っているんではなくて、ある意味で「極端な相対主義」に限定されていると
いう了解が成り立っているのかなあ、なんて想像しました。想像というよりも
妄想という恐れが大きいかも
>浄水器を買ってくれる程度に「白っぽく」思って貰えば良いわけです。
>これは「相対主義」でしょうか?絶対主義でしょうか?
白か黒かという二分法の話ではなく、「定量」的な問題のような気がします。
鉱山の方のお話ですが『多分、ほとんど金は入ってないみたいだから、やめて
おいた方がいいんじゃない?』みたいな相対主義的な言い方が私は好みです。
これは私だけの好みでなくて、きくち先生のお言葉とも共鳴するように勝手に
思ったわけです
>ところが「ニセ科学」は断言してくれます。「ニセ科学」は実に小気味よく
>物事に白黒を付けてくれます。この思い切りの良さは本当の科学には決して>期待できないものです。
そういうことまで「天動説」と呼んでもしょうがないです
あり、その場合には地動説(←座標系の一つ)を使うべし」程度の認識しか
ないのですが、これは極端な相対主義で科学的にはおかしいということに…
もちろん「(ある種の)天体運動はその良い問題の代表例である」とは思い
ます
単に「便利な座標系を使おう」というだけの話なら、普通の力学であって、天動説でも地動説でもありません。
天動説は「地球が宇宙の中心であり、天体はその周囲を回っている」という説であり、地動説は「太陽が宇宙の中心であり、地球を含む天体はその周囲を回っている」という説です。どちらも天体運動を説明するための説です。基本的にこれらは「宇宙論」ですし、一方が真実であれば他方は真実ではないという排他的な関係にあります。「真理」をめぐるものだからこそ、ガリレイは裁判にかけられたわけです。単に「見かたは違うが、互いに同等」なものであれば、宗教裁判にも火あぶりにもなりません。
ですので、それ以外の話に「地動説」・「天動説」という言葉を使いたいときは、本来の意味ではないことを認識して使わないと混乱します。
また、これでわかるように、実はニュートンの万有引力による理解は「地動説」でもないわけです。ニュートン力学では、地球も太陽も静止していると仮定する必要はありません。
ニュートン力学の範囲で、計算(や理解)に最も便利な座標系を使うというのは、ごく当たり前の方法ですから、それを相対主義とは呼びません。なぜなら、どの座標系で計算した結果も、座標変換によって互いに移すことができ、等価であることを示せるからです。
72. うま — January 19, 2007 @22:20:53
ないとは思います。自己防衛コメントですけど
73. うま — January 19, 2007 @23:27:36
>使いたいときは、本来の意味ではないことを認識して
>使わないと混乱します。
>実はニュートンの万有引力による理解は「地動説」で
>もないわけです。
なるほど。ニュートンの万有引力は、天動説も地動説も
どちらも支持しないんですね。ただ、地動説的な考えに
よる研究がニュートンの万有引力論を準備した、という
感じはします。勉強になります。
私自身は、天動説も地動説も、今の立場では必要のない
ものと思いました。だから、どちらが真実かという問い
自体があんまり意味がない。
ただ、それをHeliocentric theoryとは呼べないので、もしかすると日本でいう「地動説」と欧米でいうHeliocentric theoryは完全に同義語ではないかもしれません。
一方、「天動説」は「地球中心説」です
少なくとも「太陽中心説」という意味での「地動説」と「天動説」は、現在の知識ではどちらも正しくありません。ガリレイの時代には、どちらかが真実だったわけですが。
ただし、太陽系の運動方程式を書くと、太陽系全体の重心運動と重心座標系での相対運動に分離されます。重心座標系での相対運動は(太陽が圧倒的に重いため)、太陽内に座標原点を持つ座標系でもっとも自然に記述されます。その意味では「太陽中心説」に近いものが導出されます。
科学史の概念であると言う方が相応しい気がします。
76. disraff — January 19, 2007 @23:45:32
余計なお世話かもしれませんが、書かれている事をきちんと読もうとしていないように見えてしょうがありません。早合点したり的を外したりするのにえらく忙しそう、と言うか…。
大慌てで応えなくてもそうそう腐りはしませんから、じっくり虚心に読んでみてはいかがでしょうか。
77. かも ひろやす — January 20, 2007 @01:05:36
反応があるのがうれしいだけで相手の主張をを斜め読みしてキーワードを切り貼りした脈絡のない返事を繰り返す背伸び少年に逐一反応するのは、やめましょうよ。こちら側の消耗であるだけでなく、背伸び少年本人のためにもなりません。背伸び少年には、放置される経験が必要です。その機会を奪ってはいけません。
78. うま — January 20, 2007 @01:16:25
>太陽系の運動方程式を書くと、太陽系全体の重心運動と
>重心座標系での相対運動に分離されます。
この部分は、多分、太陽系に限らず、万有引力に従う質点系
一般で成り立つんですよね。それに加えて、太陽系の場合は
重心が太陽の近くに来る。もしも私の間違い等、先生が気に
なる点がなければスルーして下さい。あまり負担になるのは
確かに良くないと思います。
>鴨先生
啓蒙に値しないのは、その彼が背伸びが不足しているからと
お思いにはなりませんか。それとも背伸びして理解しようと
している者は、啓蒙に値しないのですか。でも、このようなことを言っても、私の背伸びが足りていることには全くならないんですけれども。
ちなみに、これで一見「太陽中心説」と同じになるように見えますが、それは太陽系しか考えていないからです。コペルニクスの時代には恒星は天球に張り付いていたので、「太陽中心説」は太陽が本当に「宇宙の中心」にあるわけです
これは、次のどれなんでしょう?
1. 出演者の所在地に関わらず、同じ場所(渋谷?)に呼んで撮影している。
2. NHKの複数の局に同じセットを用意している。
3. 実は背景は合成。
たいていの場合、もっともつまらない解釈が正解です
これがエラリークイーンの「神の灯」みたいなトリックだとおもろいですが
場所が複数あると、スタッフもそれだけ必要ですよね
82. 田部勝也
— January 20, 2007 @11:19:12
>うま氏「でも、このようなことを言っても、私の背伸びが足りていることには全くならないんですけれども」
何故自分は放置されるんだろう(こんなにイイ事書いてるのに)──と考えさせるきっかけにはなるかも知れません。それでも気づかないようなら、……(まぁ、でも、そういう人は、うま氏以外にもたくさんいらっしゃいますから、お気になさらずに)。
83. かも ひろやす — January 20, 2007 @15:19:24
放置は、かならずしも、その話題について語らないことではありません。放置対象者をおいてけぼりにして話を進める放置もあります。現状では、その方向がいいんじゃないかな。
ちなみに、こんなふうに放置対象者に手の内を明かしながら放置するというのも、ありです :-)
項目自体はありますので、別の話は続けて頂いてかまいません
・ ○○中心主義への対抗軸としては、相対主義は有効であること
・ しかし、相対主義をつきつめると、相対主義そのものに相対主義は適用できるかの問題でぐだぐだになること
このまま「書きかけ」でいてほしいなあ。
86. 稲 — April 2, 2007 @09:45:23