阪大生協がやっている「ブックコレクション 書評対決」というイベントの第6回を担当することになりました。
これは学生団体と教員が5冊ずつ本を推薦して書評を書き、期間中に本がたくさん売れたほうが勝ちというものらしいです(よくわかってない)。
期間は9/16~10月末ということなので、若干フライングですが、ここで生協に送った書評を掲載しておきます。
ディックはSF史上最高の作家だ。最高に奇妙で最高に狂っている。多くの人にとっては「ブレードランナー」の原作者としてしか知られていないかもしれないけれども、たくさんの傑作とたくさんの駄作を残した。どんな駄作にもディックらしさが溢れる個性の強い作家だ。生涯にわたって、「この世界はほんものなのか」と「人間とアンドロイドは何が違うのか」のほとんどそのふたつだけを書き続けた。「ヴァリス」はそのディック晩年の問題作。ディック自身の体験に基づいて、神秘主義を強く打ち出した、現実とフィクションの境界さえも曖昧な作品だ。傑作かと言われると、よくわからないけど、こういう最高に妙ちきりんなSFは大学生のうちに読んで、頭をかきまわされておくべきだ。もっとも、ディックの神秘主義をあんまり真に受けないほうがいいけどね。ところで、実は僕が翻訳した「ニックとグリマング」という子ども向け作品もあるので、古書ででも探してみてください。
ギブスンが「ニューロマンサー」を発表して、サイバーパンクというジャンルが幕を開けてから、30年が経った。サイバースペースという言葉だってその訳語としての電脳空間という言葉だって、みんなの好きなライトノベルのあれやこれやだって、すべて「ニューロマンサー」から生まれたのだ。「ディファレンス・エンジン」はギブスンが、サイバーパンクを引っ張ったもうひとりの立役者スターリングと書いた90年代を代表する傑作SF。蒸気機関で駆動される巨大な機械式コンピューターが実用化されているという設定の「ありえたかもしれないビクトリア朝のロンドン」を舞台に、プログラマの祖エイダや森有礼など実在の人物を織り交ぜながら繰り広げられるドタバタ劇は、カオス理論と不完全生定理と人工知能を飲み込んで、 驚愕の結末まで一気に駆け抜ける。まさにサイバーパンクが生みだした最高傑作。科学と技術と歴史改変の緻密な細工物。これを読みのがす手はないよ。
小学六年のときに初めてミステリマガジンという雑誌を買った。最初、書店のおねえさんはサスペンス&ミステリーマガジンというのを持ってきたのだけど、それは違うと言って、ミステリマガジンを出してもらった。サスペンスのつくほうがなんの雑誌かは頭文字でわかるね。さて、それに連載されていた評論が「黄色い部屋はいかに改装されたか」 だった。中で取り上げられている作品の殆どは読んでいなかったにもかかわらず、都筑の語り口に惹かれて何度も読み返した。単行本でまとめて読んだのは大学生になってからだと思う。本書は都筑流の本格ミステリー論なのだが、同時にもっと広く「ジャンル小説論」としても読むことができる。SFだってライトノベルだってジャンル小説だ。ジャンル小説とはどうあるべきか、都筑の論は明快で爽快だ。僕の「小説観」はほとんどこの一冊で作られた。すべてのジャンル小説読者はこれを読むべきなのだ。併録の他のエッセイも含蓄に富む。
セーガンは惑星科学や地球外生命体探索で業績をあげただけでなく、すぐれた科学啓蒙書を著し、超常現象や似非科学を調査し、SF小説まで遺した。最後の著作となった本書では、科学と科学的思考法を扱っている。セーガンによれば、平均的アメリカ人の科学的知識は悲惨なレベルで、科学は毛嫌いされ、似非科学やカルトが幅をきかせている。日本でも同じだね。反証不可能な説を振りかざす似非科学と、誤りを修正しながら発展する科学を比べれば、現実に役立つのは科学のはずなのに、似非科学が受け入れられるのは、懐疑的態度を取り続けるには努力が要るからに違いない。セーガンはそれを認めた上で、それでも懐疑的精神を要求し、健全な懐疑的精神こそが民主主義を維持するに欠かせないものであると結論づける。科学者には科学を一般に普及する努力をするよう訴え、行政と納税者は基礎研究の重要さを説くことも忘れない。セーガンのメッセージを受け止めてほしい。
自分の本をひとつ紹介したい。科学的なものの見かたについて、気軽に読める本を書きたかった。この本では特に「個人的な体験と客観的な事実にどうやって折り合いをつけるか」という話を書いた。「UFOを見た」というのは個人的な体験だ。それがどれほど強烈な体験でも、他人とは共有できないし、そもそも見たものがなんだったのかもわからない。客観的には、それは宇宙人の乗り物ではない何か、だ。そんなことはわかっていても、「見た」その瞬間の震えるような気持ちはとっくに消し去れない事実になっている。体験してしまったからだ。そのときの感情はほんものなのだ。そんな強烈な体験でなくてもいい。僕たちは日々の「個人的体験」とその裏にある「客観的事実」とに折り合いをつけていかなくてはならない。この本は東日本大震災の一年前に出した。でも、震災を踏まえて読みなおしてもらうと、たくさんの発見があると思う。今こそ読んで欲しいと本気で希望している。