201110のブログ

記事一覧
カテゴリー別記事一覧

2011/10/04 放射線ホルミシスをめぐって[kikulog618]

2011/10/04 放射線ホルミシスをめぐって[kikulog618]

カテゴリー: 放射能問題

放射線ホルミシスをめぐって

もうずいぶん時間がたってしまったのだけど、放射能不安を受けて、日本学術会議が7/1につぎのような講演会を開いた。

............

日本学術会議緊急講演会「放射線を正しく恐れる」

(開催趣旨)

東日本大震災後、放射能や放射線に関する様々な情報が大量に発信され、多くの国民は放射線の身体への影響等に関する漠然な不安を日々感じている。本緊急講演会は、放射線に関する第一線の研究者の講演並びにパネル討論により、国民へ現時点での正しい情報を伝え、国民の不安の解消を図るとともに、国民の放射線へのリテラシーの向上を図ることを目的とする。

1 日時 平成23年7月1日(金)10時00分〜12時30分

2 主催 東日本大震災対策委員会

3 会場 日本学術会議講堂

(プログラム)

司会 唐木英明 日本学術会議副会長

第一部 10:05〜10:45 放射線の健康に対する影響

10:05〜10:25 講演1.放射線の発がん作用についてのいくつかの考え方

甲斐 倫明 大分県立看護科学大学人間科学講座教授

10:25〜10:45 講演2.少量の放射線は身体に良いというのは本当か?

山岡聖典 岡山大学大学院保健学研究科

放射線健康支援科学領域 教授

第二部 10:45〜11:20 放射線から身を守る仕組み

10:45〜11:05 講演3.国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告の意味

佐々木康人 (社)日本アイソトープ協会常務理事(連携会員)

11:05〜11:20 講演4.非常事態にどうすべきか

柴田徳思 日本原子力研究開発機構J-PARC センター客員研究員

(連携会員)

第三部 11:20〜12:30 パネル討論(聴衆からの質問を中心に)

............................

ツイッターなどではタイトルの「正しく恐れる」が不評だったようだ。実際、趣旨の「国民の不安の解消を図るとともに」という書き方はあたかも「不安を感じる必要はない」と言っているようだが、実際には「感じる必要のない不安は解消すると同時に、本当に心配すべきものは心配する」であるはずで、その点で趣旨がそもそも適切ではないという印象を与える。

しかし、ここでは講演2が「放射線ホルミシス」を扱ったことについて、書いておきたい。

講演2の講演資料は

http://www.scj.go.jp/ja/event/houkoku/pdf/110701-houkoku3.pdf

で読める

原発事故以降の最初期の混乱を除くと、ICRP勧告にしたがった対策をとることがおおむねコンセンサスとして理解されているというのが前提となる。ICRPは発ガンリスクについて「閾値なし・線形モデル」を採用しているので、どんなに低い線量の被曝であっても被曝量に比例したリスクがあるという仮定に基づいてさまざまな基準を決めることになっている。

いっぽう、よく知られているように、放射線ホルミシスは、低線量の被曝が発ガン抑制の機構(遺伝子修復など)を活性化させるのでむしろ健康によいという仮説なので、この「閾値なし・線形モデル」とは立場がまったく違う。

直感的には、低線量被曝は高線量被曝より危険という説よりは、放射線ホルミシスのほうが「ありそう」に思える。生物は自然放射線環境下で進化したのだから、適応によって獲得する性質としては前者よりホルミシス効果のほうがもっともらしい。まあ、あってもおかしくはない話で、おそらく常温核融合よりはだいぶ可能性が高いのではないだろうか。

そんなわけで、放射線ホルミシスを研究している人はいるし、ある程度のデータもあるようだが、僕自身の理解するところでは、今のところはまだ「あるかもしれない」という程度のデータではないかと思う。ありていにいって、「マージナル・サイエンス」の範囲だろう(マージナル・サイエンスというのは、効果が検出できるかできないかぎりぎりくらいのものを議論するもので、正しい可能性もあるが誤解の可能性も高い。科学的事実としては本当かどうかあやしい、という含みがある言葉)。細々とはいえ、長い研究の歴史があることを思えば、仮にあるとしても目覚しい効果は望み薄に違いない。

自然放射線環境下での生物進化を考える上では面白い題材なので、そういう基礎研究としては続ける価値があるだろうが、何か本当に役に立つことを期待するのは今ひとつ筋が悪いような気がする。今のところは「アカデミックな興味」で研究するのが吉だろう。

一方、世の中にはホルミシス効果を謳う商品がある。ラドン温泉の効果をホルミシスに求めるというのも定番としてある。しかし、放射線ホルミシスという効果が実在するかどうかすら上のような状況だし、仮にあるとしてもそうそう強い効果ではなさそうだとすると、今現在ホルミシス効果を謳う商品があるのはひどくおかしい。マイナスイオンの健康効果のようなもので、学説はあるがまだまだ確立したというには程遠い(あまり望みはない)「マージナル・サイエンス」をあたかも確立した学説であるかのよいに扱う商品は、マイナスイオン商品と同じ意味で「ニセ科学商品」と呼んでいいだろう。

しかも、もし放射線ホルミシス効果なんていうものが実在しないとすれば、その商品は単に使用者を被曝させるだけなので、そんなものが許されるはずがない。その点でマイナスイオン商品よりもたちは悪い。ラドン温泉の効果がホルミシスかどうかも実証されているとはとても言えないが、いっぽう、ラドンは肺ガンのリスク要因でもある。実際、欧米では建物の中のラドン低減策が問題になっている。もちろん、たまにラドン温泉にはいるくらいでどうということはないだろうが。

学術会議の講演会に戻る。

「放射線を正しく恐れる」というタイトルの講演会にホルミシスの解説があるのはなぜか。正直、講演を聞いていないこともあり、あまりよくわからない。放射能影響についていろいろな考えかたがあるのを知らせるためだとしても、ホルミシスにまるまる一講演当てる必要があるのかというと、少なくとも今の問題では必要ないだろう。講演2の要旨にもあるように、防護はICRPの「閾値なし線形仮説」に従うのがコンセンサスなのだから、ホルミシスはせいぜいさまざまな考えかたを紹介するなかで「ひとつの考えかた」として紹介する程度がせきのやまかと思う。

問題は、ここにホルミシスの講演を置いたことによって、「放射線を正しく恐れる」という題が「放射線は安全だと信じるのが正しい」という趣旨と取られかねない点にある。本来は「恐れるべき場合とそうでない場合とを見分ける」というのが趣旨のはずだ。

この講演会の趣旨が政治的に解釈されるのは当然予想されることで、その意味で「ホルミシスの講演がある」という事実はひとつの政治的メッセージと捉えられうる。学術会議が実際にそういうメッセージを出そうとしたのか、あるいは単に「あまり知られていないことだが、学問的に面白いので」という純粋にアカデミックな理由なのか、これだけからは判断できないが、政治的に解釈される危険をおかしてまでこの講演を設定する必要があったとは思えない。単にアカデミックな興味だったとしたらナイーブにすぎたというしかないし、意図したメッセージであれば不適切だろう

まとめ

(1)放射線ホルミシス効果は実際にあるかもしれないが、現時点では未確認の仮説に過ぎない

(2)放射線ホルミシス効果を謳う商品は、未確認の仮説を確立したものであるかのように扱う点で、マイナスイオンの健康効果と同様のニセ科学性がある

(3)放射線防護にはホルミシス効果を考慮しないことがコンセンサス

(4)学術会議の「放射線を正しく恐れる」という講演会にホルミシスの講演は不要だった

(5)ホルミシスの講演があったことは、学術会議からのひとつの政治的メッセージと解釈されてもしかたがない

[追記]

現状で「ホルミシスがあるから安全である」というメッセージは行きすぎですが、講演要旨を見る限り、そういう講演ではなかったのだろうと思います。

いっぽうで、本当に「ホルミシスがあるから安全である」と主張する人たちもいて、それはホルミシスが実証されているとはいえないことと現在の放射線防護のコンセンサスとからすれば問題でしょう。

とはいえ、「ホルミシスを信じているのは御用学者だ」みたいな言い方は筋が違います。信じたり研究したりするのは学問の自由であって、それだけでどうこうということはありません。ただ、今の状況ではどういう文脈でどのように語るかは重要です

[追記]

なんか、上の文章で僕がホルミシスを肯定していると思う人がいるみたいですが、どこをどう読めばそうなるのかわかりません。「マージナル・サイエンスの範疇」とはっきり書いているのに。「低線量被曝は高線量より危険」という説よりは「ありそう」だし、たぶん常温核融合よりも「ありそう」と思いますが、それでも現状は「マージナル・サイエンスの範疇」ですよ。