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2011/05/29 四日市のEMによる河川浄化に警告
2011/05/24 業務連絡
2011/05/23 業務連絡
2011/05/09 I135 (少なくとも核爆発ではない)
2011/05/09 ICRPなどについてのメモ
2011/05/09 再起動

2011/05/29 四日市のEMによる河川浄化に警告

カテゴリー: ニセ科学,EM菌

朝日新聞の三重版のようです

http://mytown.asahi.com/areanews/mie/NGY201105270021.html

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 四日市市では約10年前、ヘドロが堆積(たいせき)し悪臭を放つ水路で、EMによる浄化活動を始めた。市上下水道局は2002年度から毎年、市民団体に対し年間230万〜120万円で浄化を委託

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これに対して

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四日市大学の松永勝彦教授(環境化学)が警鐘を鳴らす。同教授によると、EM団子にはリンが約2%、窒素が約7%それぞれ含まれる。ヘドロの分解効果はあるものの、EM団子の分解でリン・窒素濃度が高くなった水や未分解の団子が海に流れ込む恐れがあると言い、「リン、窒素は伊勢湾での赤潮発生の原因になる」と指摘する。

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だそうです

EM団子が河川浄化に効果があるとは、直感的には信じがたいですし、実際に客観的な検証はないと思います。松永教授の指摘は当然でしょう。

こういうことは、「動機が善意だから」とか「がんばっているから」という理由で認めてしまうわけにはいかないので、やはり客観的な検証を重視してもらいたいところ。

「毒にも薬にもならない」ならまだしもなのですが、EM団子の場合には、もしかすると害があるかもしれないという指摘ですから、取り組んでいる市民団体のみなさんも、少し真剣に考えてほしいのですよね


2011/05/24 業務連絡

カテゴリー: イベント・告知

「再起動」をいったんコメント不可にします


2011/05/23 業務連絡

カテゴリー: 日 記

なんか荒れてるみたいなんですが、今ちょっと何かしようという気力がないので、そのうち気力ができたらまとめて消すかもしれません。

一時的にコメント不可にするかどうか、考え中


2011/05/09 I135 (少なくとも核爆発ではない)

カテゴリー: 放射能問題

福島第一原発3号炉の爆発が1号炉よりも激しかったことが憶測を呼び、中にはECRRのバズビーのように核爆発だったと主張する人もいます(そんな人が中心にいるECRRを信頼せよと言われてもなあと思います)。

バズビーなどの主張はどうも「水素爆発ではあんなに激しくならないから核爆発」と言うことのようです。ほかにガンダーセンという人がやはり「水素爆発ではあんなに激しくならないから核反応が起きた(爆発と言っているかどうかよくわからない)」と主張しているようです。しかし、ビデオで見ただけで「あんなに激しい爆発はおかしい」と言っていいのかどうか、なんとなく911陰謀論と同じ構造のようにも見えますが。

まあしかし、あれが核爆発やら核反応なら、どれだけ中性子が出たんでしょう。そもそも水素爆発よりも核反応のほうが激しいはずって、本当ですかね。水素爆発ではあのような爆発になりえないという根拠をまず知りたいところですが、水素爆発でどれくらいの破壊力が出るのか、なかなか資料が見当たりません。

そういう「ビデオで見ただけ」という話は置いといて、核反応じゃないかと思わせる証拠はいくつか指摘されています。アメリカでプルトニウムが検出されたという指摘もそうかもしれませんし(これは単にデータの読みかたを知らない人が勘違いしただけで、検出されていない)、高崎のCTBTでI135が検出されたという報告もあります。特に、後者が本当なら、何らかの核反応の証拠だというわけで(ただし、これは本来、水素爆発より激しいという話とは別問題。激しくない核反応でもよい)、一部の人は色めきたったようです。

しかし、これも例によって誤検出だったことが正式に発表されました

http://www.cpdnp.jp/pdf/110509Takasaki_report_Info.pdf

野尻美保子さんは、KEKのデータと比較して、おかしいと言っておられたのですが、まさにそのとおりだったわけです。

なんというかな、前回のCl38もそうなんだけど、Fancyな核種が1回検出されただけで、核爆発だの再臨界だのというFancyな結論に飛びつくと火傷すると思うんですよ。特に3号機の爆発が核によるものなら、中性子だって盛大に測定されるでしょうし、I135が1ヶ所で測定されるだけでは済まないでしょう。さまざまなデータの整合性が重要なはずです(僕には原子核のデータなんか、全然わかりませんが)

そういう意味で、飛びついちゃった人たちは迂闊にすぎると思います。水素爆発だけではないという可能性はあるかもしれませんが。その場合、まずは水素爆発ではああならないという根拠をきちんと示すべきでしょうね

ちなみにCl38の誤検出については、スペクトルを見ると、素人ながら「ピークないじゃん」と思うわけで、どうやら自動分析ソフトに丸投げしただけでスペクトルそのものを見ていなかったようです。自動分析ソフトは危険ですよ。生データ見なきゃ。

もっとも、僕は「核種のデータ見ておかしいと言えるのはすごいなあと」いつも感心するだけなんですけど

[追記]

「水素爆発にしては激しすぎる」というのが本当なら、次は「別の可燃物」の可能性を考えるのが筋で、一足飛びに核爆発に行くのは理解を超えています。

可燃物はいろいろあったらしいのですが(黒煙だけなら、ケーブルの被覆とか)、4号炉爆発については「プロパンガス爆発」の可能性も指摘されているようです

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110509-OYT1T01116.htm

また、失敗学会の吉岡メモでは同じ4号炉について、以前から、Motor-Generator setの油が燃えたと解釈しています(以下のURLの32報)

http://www.shippai.org/shippai/html/index.php?name=news559

3号炉じゃないです

[追記]

ちなみに、起きてしまった爆発が何爆発だったかなんて、福島第一の収束に向けた対策にはほとんど関係ないと思いますけどね。中性子がばりばり出ていたら作業できないでしょうけど、それは何爆発だったかを推測することとは関係なくて、測定すればいいことだし、実際、測定はしているわけです。参考にするのは、あくまでも現場での実測定値でしょう。

意味がないわけではありませんが、大騒ぎするものかどうか


2011/05/09 ICRPなどについてのメモ

カテゴリー: 放射能問題

単なるメモ程度

前回書いたことと、参考レベルの扱いが少し違っています

理解が間違っているかもしれません

ICRP publication 111に従うなら、参考レベルの設定には住民や自治体との議論も必要だし、決定過程を記録に残さなくてはならない。住民の自助努力が強調されているが、そのために政府が情報や援助を提供することが必要。

住み続けるための参考レベルは1から20mSv/yの範囲で、なるべく低い値に決める。決め方は議論だが、たぶん現実的に可能かどうかという観点は重要なのだと思う。状況に応じて決めるのであって、状況に拘わらず「安全基準はこれこれのはずだ」という議論はこの話とずれている

参考レベルは、各個人の被曝量がそれ以下になるように努力するという目安。また、被曝量低減の努力を続けることは明記されている。参考レベル以下なら何もしなくてよいと考えるのは完全な誤り。

参考レベルは「安全」を保障するものではない。あくまでもさまざまなリスクと生活のバランスで決める。放射線リスクだけがリスクではなく、人によっては避難によるリスクのほうが大きい場合もある

労災認定された被曝レベルを根拠にする人がいるが、「平時の労働基準」と「緊急時の保護基準」は違っていて当然なので、根拠とするべきではない。救済と保護は違う。(追記:労働基準と労災認定もたぶん違う。労災認定は因果関係が立証されたという意味ではない)

また、平時の基準は目標値であって、緊急時の基準と違うのは当然。平時には充分に低い基準を設定できるのに対し、緊急時には他の条件との兼ね合い。

ICRPは放射線リスクについて、「閾値なし線形モデル」を採用しているので、どんなに小さな被曝でもリスクはある。しかし、だから被曝量は0にせよとはならない。この場合「どの程度のリスクまでは許容できるか」によって基準が決められる。

「閾値なし線形モデル」であっても、基準の線は引く

20mSv/y以下のところでは普通に屋外活動してよいとした高木文部科学大臣のコメントは間違っているとしか思えない。文部科学省が出している文書には、さまざまな注意が書かれているので、大臣発言ではなくそちらを見る。屋外活動していいからといって、外で弁当を食べるなどは、明らかにやりすぎ

あくまでも被曝量低減の努力を続けることが重要。ある程度のロードマップを示さなければ混乱するのは当然で、高木大臣が何も理解していなかったように思えるのは問題

[追記]

江川紹子さんのブログに掲載されている本間俊充さんのインタビューがわかりやすいですね

http://www.egawashoko.com/c006/000330.html

僕の理解が違っているかもしれないので、こちらもぜひ一読を

[追記]

舌足らずですね。なかなかむずかしい。

だいじなことが抜けているかもしれない。

前にも書いたとおり、目標は平常時基準の1mSv/y。ただ、それは「いつまでに」ということではなく、「いずれ」だと思う。もちろん、早いほどいいので、低減努力を続けることが重要。

[追記]

言わずもがなですが、子どもや妊婦には特に注意することはもちろん重要。


2011/05/09 再起動

カテゴリー: 放射能問題

ほったらかしですみません

twitterで数日前から

原理的には最短二年程度ですべての原発を止めうるというのが現実味を帯びてきた状況下では、原発推進も反原発も脱原発も無邪気ではいられない。どれを止めてどれをいつまで動かすかをまじめに議論することになるし、反原発運動といえども「再起動」を認めなくてはならないときがくる。

という趣旨の話を書いて、一部のかたには怒られ(無邪気ではいられないという表現がいけなかったようですが、そんなに妙な表現とは思っていません)、一部のかたには同意していただいたのですが、菅首相が浜岡に停止要請をしたことで、この話が現実味を帯びてきました。

浜岡は止めればいいと思っていますが、その先を考えると気分はかなりブルーです。

「浜岡をすぐに止めよう」という運動と「すべての原発をすぐに止めよう」という運動は、実は必ずしも相容れるものではないということに気づいている人と気づいていない人がいるのだと思います。後者は無邪気にすぎるということですが。そうではなく、これからは「どの原発の再起動を認めるか」が争点になっていくはずです(すべての原発は最長二年の運転ごとに定期点検が義務づけられている)。

節電でしのぐという考えかた自体は悪くないのですが、ときとして「○○は贅沢だから止めろ」という健常者視点の乱暴な意見になってしまうのが気になっています。バリアフリーの中には電気で実現しているものが少なくないのだし、高齢者や体力のない人には夏の冷房が重要なのだから、簡単に贅沢と言って欲しくはない。駅のエスカレーターは贅沢か、という問題はきちんと考えたほうがよいです。自分は平気だから他人も平気なはずだ、というのでは乱暴にすぎます。

電気がないと生きられない人たちがいることも考えたいところです。

大規模停電の怖さを考えると(人が死にます)、単純に発電可能量を足し算して、かつかつで足りるという話ではだめで、マージンがどれだけ必要かも含めて話をしないと。また、中には発電可能量を足す際に、どの発電所も点検のために止まるということを忘れる人もいるように見受けられます。

また、経済への影響を心配すると、経済より安全がだいじだというかたがおられるのですが、経済が落ち込むとたくさんの人が死ぬのではないでしょうか。電気料金の値上げが回りまわってどういう影響を生むかも、ちょっとくらいは考えるべきで、何も考えないのは無邪気にすぎると言うべきでしょう。

多くのものが「電力の安定供給」を前提に作られています。長期的には脱原発が事実上の規定路線になったと思いますが、オイルショック以降何十年もかけて、現在の電力の体系ができてしまったので、転換にはやはり相当の時間がかかると考えるのが自然でしょう。

この話にオチも結論もありませんし、特に提案もありません。

反論されても、僕はそれに対して有効な反論はできないと思います。

敵味方とかall or nothing的な二分法で語れた時代は終わったと言いたいだけですが、単に乱暴な話を書いているだけと思っていただいてもかまいません。

キャッチフレーズだけ繰り返しておきます

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最短二年程度ですべての原発を止めうるというのが現実味を帯びてきた状況下では、原発推進も反原発も脱原発も無邪気ではいられない。

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もうひとつ考えついてしまったキャッチフレーズは

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原発推進と反原発の蜜月時代は終わった

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ですが、これはレトリック嫌いのかたにはさらに怒られるでしょうね。でも、思いついて、気にいったので書かずにはいられませんでした

吉岡斉さんの岩波ブックレット「原発と日本の未来――原子力は温暖化対策の切り札か」は一読の価値があります

[追記]

このテキストをネガティブに捉えるかたもポジティブに捉えるかたもおられると思いますが、僕は「脱原発」がだめだと言っているわけでは全然ないので。ただ、2年で達成してしまうのは、無茶だと思っていますが。

浜岡だけに停止要請をしたことで、停止中の原発の再起動問題が既に持ち上がっています。地元自治体としては、簡単には再起動に同意できないのも当然でしょう。それがこれから順番にやってきます。その気になれば、本当に2年ですべての原発は止められます。「止めろ」ではなく「再起動させるな」でいいわけです。

しかし、この文章くらいでも「原発推進派」に見えちゃうんですかね。

[追記]

社会構造はインフラに合わせて最適化されてしまいますし、インフラはその社会構造に合わせて整備されるという意味で、インフラと社会構造は共進化なのだろうと思います。共進化による一種の「袋小路」(過剰適応)状況から、どう別の穴に移るかという話だと思うのですけれども。たとえば、電波時計用の信号を出すNICTの設備が避難地域内にあったために、多くの時計の時刻が合わせられなくなったことなど、過剰適応の結果ですよね。

まあ、こういうことは書かないほうがいいのかもしれませんが

[追記]

吉岡さんのブックレットを挙げたことでわかっていただけると思うのですが、現実的な脱原発を議論してきた人たちがいないと言っているわけではありませんので、念のため。ただ、そういうかたがたにとっても、事態の推移は急激すぎるのではないかという気はします