201108のブログ

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2011/08/30 食品の放射能
2011/08/30 放射能由来の発癌とその補償について
2011/08/30 過去に書いたこと
2011/08/27 放射能不安と対話
2011/08/27 業務連絡
2011/08/26 高校生のためのスーパーコンピューティング・コンテスト
2011/08/23 宇都宮泰さんのガイガー・カウンター・ワークショップ
2011/08/23 野呂美加さんと放射能対策
2011/08/16 助産院のビタミンK2レメディ問題、つづき
2011/08/12 大文字と松
2011/08/06 フクシマと書かない
2011/08/06 原発と放射能についてのコメントやメモ2
2011/08/05 原発と放射能についてのいくつかのコメントやメモ
2011/08/05 科学的な議論の位置づけについて(対策をとることについて)

2011/08/30 食品の放射能

カテゴリー: 放射能問題

夕べツイッターで知っただけで、その後の展開を知らないのですが、一般的に言える話の実例として

以下は8/22付けの宮城県知事臨時記者会見

http://www.pref.miyagi.jp/kohou/kaiken/h23/k230822.htm

から、牛肉を全頭検査して出荷するという「県産牛出荷停止の一部解除について」の質疑応答の一部です。

................................

◆Q

 検査証明書の表記には検出値も表記するのか、あるいは食品衛生法の基準を下回っていると、安全であるというざっくりとした表記になるのか。どのようになるのか。

■村井知事

 安全であるということだけでよろしいかと思っております。健康上全く問題のない数値であるわけですので、詳細な数値を出したところで消費者の皆さんは理解ができないわけでありますから、安全か安全でないかということだけはっきりと証明すれば十分だというふうに思っております。正式には、牛肉の放射性物質検査結果通知書といったような形で添付をしたいと考えております。(1キログラムあたり)500ベクレル以下であるということであります。その証明書がついていれば(1キログラムあたり)500ベクレル以下で、どれだけ食べても全く問題がないということであります。

...............................

これは「いかにも政治家が言いそう」な発言でがっかりしてしまうのですが、似た考えの政治家は少なくないのだろうという気がします。

しかし、これで消費者の信頼が得られると信じているのなら、いくらなんでも考えが甘いし、消費者を馬鹿にした話です。誰のためにこういうことを言うのかわかりませんが、むしろこれでは牛は売れなくなるだけですよね。

出荷されている食品が安全基準に合格しているはずだというのは当然の前提です。もちろん、例外的な食品を除いては全量検査はできないので、検査していないものが流通するわけですが、適切にサンプリング調査できていれば、それほどひどいことにはならないはずです(全量検査は現実的ではないので、サンプリングのしかたがもっとも重要です)。だから、基準に合格しているかどうかというのは、むしろ言わずもがなの話。

基準値以下であっても数値をきちんと公表することだけが信頼を得る道です。これだけいろいろ騒がれているのに、どうしてそれが理解できないのかまったくわかりません。

出荷する側の基準はそれはそれとして、消費者にも自分なりの基準で判断する自由があります。消費者に選択肢を与えるという発想がまったくないようですが、今の安全基準では不十分と考える消費者なら、数値が公表されなければ買わないはずです。

「詳細な数値を出したところで消費者の皆さんは理解ができない」という発言にいたっては誰の支持も得られないと思います。なんでこんなことが言えるのか、その鈍感さに驚きます

ところで、牛は全頭検査するそうですが(ということなのかな。各戸二頭目からは農家が半額負担と書いてありますが、検査しないと出荷させないのかな)、全頭検査できる食品は本当に限られます。今は測定装置も技術者も足りていないはずで、牛を全頭検査すれば、それだけ他の食品のサンプリング検査できる量が減るのではないかなあ。牛はむしろ各戸から一頭か二頭サンプリング検査すれば、充分に信頼できるデータが得られるはずのものでしょうから、その分、ほかの食品を測ったほうがいいと思いますが

いろいろな意味でおかしいですね

牛に限らず、単に基準に合格しているかどうかではなく、「数値がこれこれだから、基準に合格している」という公表のしかたでなくては信頼されません。行政はとっくに信頼を失っているという認識や危機感がぜんぜん足りないように思います。

きちんとしたサンプリング検査を行って、得られた数値そのものを公表する。また、不検出の場合にも不検出となる上限値を必ず書いて公表するということをきちんと続けていくことが重要でしょう。数値を出さないというのは最悪の選択です。

これから気になるのはやはり魚です。陸にはストロンチウム90がほとんど飛んでいないので、セシウム137と134だけを気にすればいいのに対し、海にはストロンチウム90も流れていますから。また、魚は採れた場所と水揚げ港が必ずしも一致しないので、公表の方法を工夫しないと、消費者は疑心暗鬼になるだけでしょう

[追記]

正直、どうして牛だけそんな特別扱いになるのか、和牛を食べない(高いから)僕にはよくわかりません

[追記]

僕は全量ではなく適切なサンプリング検査をすべきと考えているので、公表するのはサンプリング検査の結果。食品そのものに放射能値を表示するという要望は多いようですが、それは全量検査ができない限り無理で、現実的ではない。

もちろん、スーパーや生協などが独自に全量検査して表示するかもしれません。それはそれで自由ですが、大量に検査すると精度が下がるのは必至なので、本当にそれがよいかどうかはよく考えるべきだと思います


2011/08/30 放射能由来の発癌とその補償について

カテゴリー: 放射能問題

twitterで以前つぶやいたことをぼんやりとした記事にしました。

ぼんやりです。特に調べてないし、まとまりもありません。たぶんどこかで誰かが僕よりもずっとまじめに議論していると思います。

twitterで書くだけっていうのはよくないな、と反省中

........

放射能汚染の健康影響として想定されるのは、ほぼ発癌だけと考えられています。また、今後の対策しだいですが、内部被曝の検査でも幸いにして被曝はひどくないようなので(よいという意味ではありませんが)、福島に留まり続けたとしても(避難地域は除き)、累積の被曝の程度はおおむね疫学的には発癌リスクがわからない低線量の範囲の、さらにその中でも低いほうに収まると思います(というより、そうでなくてはならないし、そういう対策がとられなくてはなりません)。

ICRPが採用している「閾値なし線形モデル」にしたがえば、累積100mSvの被曝で癌による死亡リスクは0.5%の増加で、低線量では累積線量に比例です。発癌リスクはそれに適当な倍率をかけたくらいで適当に見積もればいいでしょう。すると、個人の発癌リスクの増加は非常にわずかと考えられます。

いっぽう、対象人数が多いので、総数では有意な増加が見られるかもしれませんが、もしかしたら見られない程度かもしれません。しかし、仮に有意に見られなくても「影響なし」という意味ではありません。

問題は、既に多くの人が指摘しているとおり、発癌と原発事故の因果関係は立証が難しいという点です。難しいというより、基本的には立証不可能ではないかと思います。多くの人が将来的には癌になりますが、原発事故による放射能が原因で癌になるのはそのうちごくごくわずかな人だけで、しかもそれは他の原因によるものと区別がつかないと思われるからです。

しかし、「閾値なし線形モデル」を採用する以上、発癌リスクは増加しているとせざるを得ないので、癌を発症したら当然補償が必要です。因果関係は立証できないし、癌の大多数は原因が違うのだけど、それでも因果関係がある可能性は常にある。

いや、この問題は要するに公害による健康被害なんですけど、これまでのように因果関係が立証できなければ補償しないというやりかたが通らないのはあらかじめわかっているわけです(これまでも、それではいけない面が多々あったのですが)。何かまったく新しい補償の枠組が必要なはずです。まさか、「因果関係が立証できないから補償しない」では済まないでしょう。

問題が生じるのは何年も先のことなので、それまでに何か考えておかなくてはならないのですよね。

もちろん、住民の健康調査を継続的に行うことになっていて、それは重要です。それで癌の早期発見ができて、治療できるなら、それに越したことはありません。その場合の治療費用をどうするのかは考えられているのでしょうか。それもまた「補償」の一部ということになるのでしょうが。

ところで、原発事故と放射能によるストレスに起因する病気など、メカニズムとしては因果関係はないものの事故さえ起きなければ発症しなかったはずの病気もあるはずで、そういうものも補償されるのが筋というものではあると思います。

僕にはよくわからないので、とりあえず書いておきました

まとめ

(1)将来、多くの人が癌になるが、原発事故との因果関係は立証不可能だろう

(2)発癌率が疫学的に有意なほど上がるかというと、そうはならない可能性も高い

(3)癌のほとんどは原発が原因ではないが、仮に疫学的に有意でなくても、わずかな割合で原発が原因のものがあると考えられる

(4)因果関係の立証を必須とするような補償の枠組ははじめから破綻しているので、別の枠組が必要

こういう議論は当然既にどこかで誰かがしているのだと思いますが、市民の意見が反映するようなオープンな議論が求められます。

それから、「因果関係が立証できないから、どうせ補償してもらえない」という意見もネットで見かけます。もちろんそれは当然の心配なので、政府は「決してそういう意味で国民を切り捨てることはない」という強いメッセージを出さなくてはだめですね。

出てる?


2011/08/30 過去に書いたこと

カテゴリー: 日 記

お前は震災以前に原発について何か言ったのか、と言われると、特にたいしたことは言っていませんとしか答えられないのですが、たまに聞かれるので、過去に原発に言及した文章を載せておきます。僕が過去に原発について言及したのはたぶんこれくらい。あとは講演のスライド程度。

いずれにしても、「絶対安全神話」はニセ科学の文脈で否定していたが、実際に地震で壊れるという想像にはいたらなかった。廃棄物が最大の問題だと考えていた。というところ。

自分で思っていた以上に想像力が足りなかったということです。

特に調べたこともなかったというのが、さらに大きな問題ですが。実際、制御棒がはいって停止した原発が電源喪失で大事故にいたるというのは、考えたこともありませんでした。

下に引用したGCOE講演が意外に予言的なので、結構鬱です

○東大GCOEの一般向け講演(2010/10/16)で話した「絶対安全神話」について:

嘘をついてしまうと、今度は信頼回復が極めて困難になります。たとえば、リスクはあるものの確率的にはちょっとしかリスクがないから、うるさいことは言わずに安全だと言ってしまえとやると後々大変なことになるかもしれないわけです。不利な情報も出さなくては信頼されないいっぽう、うるさいことを言うといって聞いてもらえなくなるという面もありますので、なかなか難しい。実際に嘘をつくとどういうことになるかという例です。94 年のノースリッジ地震で高速道路が倒壊しました。ノースリッジ地震で高速道路が倒壊した際、日本ではそんなことは起こらないと自信を持って工学の研究者が発表していました。ところが、その翌年にわれわれは阪神大震災で阪神高速道路の倒壊を見たわけです。この結果、日本の建築物は地震に対して安全ですよという話が信頼を失なったのです。今、原発と地層の問題とか、大変難しい問題がたくさんありますが、その問題に関係してくるわけです。ここで一言こういうことを言って広まってしまったことによって、今では、例えば建築の専門家が「これは地震に対して安全ですよ」と言っても、あるいは「ここで起きる地震ではそれ以上のことは起きませんよ」と言っても、信じてもらえなくなったと思ってください。嘘をつくのは科学者でなくて行政だという考え方もありますが、いずれにしろいったん嘘をついてしまうと大変なことになるので、とにかく伝えるべきことはきちんと伝えるしかないのですが、どう伝えるのかは大変難しいところです。

○『おかしな科学』ではこう書いた :

行政もおうおうにしてリスクをきちんと説明することを避けて、ゼロリスク的な話をするから危ういよね。原発は絶対安全なので避難訓練もしません、みたいな話がまかり通っていたわけじゃん

○07年にブログにも少しだけ書いた(2007/5/17のコメント):

原発に関しては、やはり長年の「隠蔽体質」によって市民の信頼を完全に失ったことが問題の根本にあると思います。もうひとつは「絶対安全神話」でして、「絶対に安全だから、事故を想定した避難訓練もやらない」などというナンセンスな話がまかり通っていたわけです。長年かけて培われた不信感はなかなか拭えないでしょうね。依然として「事故隠し」まがいのことが続いていますし。冷静な議論以前の問題になってしまっているのは不幸ですが、ちなみに、僕自身はやはり「廃棄物処理」の問題が解決されない限り、原発を増やすべきではないと思います。

○もうひとつ2006年のブログ(2006/3/17):

テレビで神戸空港をメインに「地方空港」の話をやってるんですが、今後の需要予測というのが、いつもながらとんでもない。空港に限らず、ダムでも原発でもそうだと思うのですが、「需要予測」ってのがくせもので、作ることを正当化するデータを出すとはじめっから決まっているとしか思えない。どう考えても、「需要予測を見て、作るかどうかを決める」ためのものじゃないよね。そういうのは「予測」と言わない。学者だの有識者だのが関与してる場合も多そうだけど、それってかなり悪質な「ニセ科学」なのでは。

(2011年現在の注: 空港やダムに比べると電力の需要予測はまともかもしれません

2012年現在の注: 電力需要の短期の予測はものすごく正確です。発電所建設に関係する長期の需要予測はよくわからない)


2011/08/27 放射能不安と対話

カテゴリー: 放射能問題

野呂美加さんのエントリーが荒れたのでこちらに

そこの記事の最後にも書きましたが、野呂美加さんなどが支持される理由のひとつは、不安をもつ親に対してわりとこまめに講演会などを開催し、その不安に応えるからです。

科学者も不安に応えているのではないかと思うかもしれないけど、なんというか「答えているが、応えていない」とでも言うか、「理屈じゃなくて納得したい」という気持ちには応えていないということだと思います

もちろん、やはり理屈に合わないことはいえないので、「EM菌で安心できるなら、効果がなくてもいいじゃないか」というスタンスは取りづらい。野呂さんのように「理屈はともかく不安を重視」のようなスタンスのかたには、ある意味、初めから勝ち目はないわけです。これは震災以前からずっとあった問題で、今にはじまったものではありません。解決法はありません。

しかし、「わりとこまめに講演会などを開催し」というところは、本当はできるはずで、そこをなんとかできないだろうかとずっと考えるだけは考えています。

大きな講演会ではなく、個々の不安を聞けるような、小さな会をたくさん開くのがよいはずだというところまでは、確信があります。

これはまさにいわゆる「欠如モデルがうまくいかない場合」そのもので、すると「双方向モデルでやれ」ということになります。まあ、僕はそう言っているわけです。不安は人それぞれだから、個々の不安というからにはそうなります。当然それは少人数を相手にするわけですから、おもいきり頻繁にいたるところでやらなくてはならない。科学コミュニケーション論のみなさんは簡単に「双方向」と言うんだけど、これ、ものすごくたくさんやれということですよ。本当に本気で実践したことあるのかな。

でも、それしかないのだろうと思います。

実際には地元の人が主催しないことにはどうしようもありません。誰を呼ぶかも重要で、これまた大変です。でも、なにかそういう方向でできないのだろうかと、問題提起だけはしておきます。組織的にやれればいいのですが

何かいいアイデアはないかな

[追記]

「欠如モデル批判」に対する僕の不満は、双方向モデルなら当然場数を増やさなくてはならないという点をまじめに考えているかどうかわからないことです。そういう実践例はどの程度あるのか


2011/08/27 業務連絡

カテゴリー: 日 記

エントリーが荒れ気味なので

同意であれ反論であれ、コメントは穏やかに書いてください。

正直、ギャラリーから見て最後に説得力があるのは、どこまでも穏やかに書けたものですよ。

罵倒したっていいことは何もないし、罵倒されても気にしないことです。そういうコメントは無視して放置すれば、ギャラリーにはそれでわかります。そういうものは単に孤立させてしまえばいいのです

詰問してもしかたないし、逃げ道を塞ぐような議論のしかたも逆効果です。

ディベート的に議論に勝つのはきわめて容易ですが、それはギャラリーに好印象を与えません。

馬鹿にしているように見えたら、やはり逆効果です。

対話すれば理解してくれるかたに対しては時間をかけた対話だけが有効ですし、対話しても理解する気のないかたに対しては何をやっても無駄です

まあ、最大限淡々とやりましょう。

怒りをおぼえている瞬間にはコメントを書くべきではありません。

ひとつ指摘すると、うちの地縛霊はまさにそこを狙って書いてきますよ。あれは他人を苛立たせて、怒りのコメントを書かせるようにする戦略に特化した人工知能です。引っかかったら負け


2011/08/26 高校生のためのスーパーコンピューティング・コンテスト

カテゴリー: イベント・告知

今週はずっと「高校生のためのスーパーコンピューティング・コンテスト」をやっていました。

本選と審査は昨日で終わり、今日は発表会(10:30-)と表彰式(13:00-)が阪大の21世紀懐徳堂で行われます。見学可。

ustream中継も予定しています

http://www.ustream.tv/channel/supercon?rmalang=ja_JP

今年の問題は「なくろん」と名づけたオリジナル・ゲームを解くプログラムを作ることでした。

「なくろん」の解説とPCやiPadなどで遊べるゲームは

http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/naklon/

にありますので、遊んでみてください


2011/08/23 宇都宮泰さんのガイガー・カウンター・ワークショップ

カテゴリー: サイエンス

共立電子で行われた宇都宮泰さんのガイガー・カウンター・ワークショップに参加しました。ガイガー・カウンターの製作とレクチャーのワークショップです。

作るのは宇都宮さんの設計になるガイガー・カウンターで、旧ソ連製のSBM-20というガイガー・ミュラー管を使い、高電圧回路には「写ルンです」のストロボ用回路を改造、表示部は100均の万歩計をこれまた改造して使うというもの。性能はGM管で決まってしまうので、逆に言うと、GM管さえそれなりのものを使えば、あとはなんとでもなるということなのでしょう。もちろん、いろいろ工夫された回路なのだと思います(回路は苦手)

回路や作り方、使い方の詳細は

http://utsunomia.com

で公開されています。

宇都宮さんは伝説のバンドAfter Dinnerの音響を手がけられたかたで、アート・ベアーズのリミックスもされている音響の魔術師なのですが、実はこのガイガーカウンターの宇都宮さんがAfter Dinnerの宇都宮さんだということにまったく気づかず、ただ僕たちの611ガイガーカウンターミーティングの準備のときに自作ガイガーカウンターのかたとしてサイトを知ったのだったと記憶しています。

僕たちのtheremin unit: and_more...というバンドが先日、難波ベアーズでのライブに出演した際、ライブを主催した高円寺「円盤」の田口史人さんから宇都宮さんを紹介され、最初、繋がりがまったくわからずに頓珍漢なことを言ってしまいました。だって、ガイガー・カウンターと高円寺「円盤」と難波ベアーズですから。人脈とは妙なものです。

その際に、宇都宮さんから、しばらく音楽は休んでガイガー・カウンターの普及に専念するという話を伺ったのでした。

それはさておき

サイトにはいちから作るための資料がありますが、ワークショップでは既にある程度の部品が組まれた状態で提供されるので、「写ルンです」の高電圧回路を改造するのが作業のメイン部分となります。コンデンサーの端子をショートさせて放電させるなど、危なくも楽しいイベントもあり(放電させてから作業しないと危険)。ゆっくりやったので、製作時間は1時間強というところでしょうか。宇都宮さんは10分とか20分とかで組んでしまうようです。難波ベアーズのステージ上で組んでしまうパフォーマンスもされたとか。

このガイガー・カウンターはとにかく累積のカウントしか表示しません。CPMですらありません。しかし、GM管の出力は本来そういうものなのでこれで充分です。ストップウォッチで時間を計りつつ、その間の累積カウントを求めればCPMは計算できます。どのみち測定時間をかけなければ精度は出せないわけですから、充分な時間をかけてカウントすればよいはずです。というより、20秒や30秒の短時間測定でシーベルト値を出してしまう市販の低価格ガイガー・カウンターへのアンチテーゼとして、純粋なガイガー・カウンターとはこういうものだという思想のもとに作られたものです。ちなみに、β線遮蔽用のアルミも配布されるので、γ線だけを測ることもできます。

製作後のセミナーでは興味深い話がいろいろありましたが、ここでは、ガイガーカウンターの測定に関して、感銘を受けたことなど

(1)とにかくまずはバックグラウンドを測定する

(2)バックグラウンドを複数回測り、測定値のばらつきを理解する

(3)日常的に測って、バックグラウンドを理解する。とにかく、バックグラウンドを理解することが最重要という思想で一貫している。

(4)減塩用に塩化カリウムを50%含む食塩を使ってカリウム40の放射線を測定、ガイガーカウンターがカリウムにどれほど反応するかを理解する。多くの食品はカリウムを含むので、カリウムのバックグラウンド以上に反応がないかぎり、食品を測るのは無理。実際問題として食品のセシウム137は測れないと思うべき。

(5)一定時間内のカウント数を測定するよりも、一定カウントに達するまでの時間を測るほうがよいという提案。これは誤差を一定にするという意味で非常によいと思う

ほかにもあったような気がしますが、とりあえずこのくらいで。

市販の安価なガイガーカウンターを買ってきて、バックグラウンドも測らずにいきなり対象物を測って、しかも短時間の測定で実効線量(シーベルト)を出してしまう人が少なからずいるように思いますが、それではいろいろな問題がおきます(僕たちがやったガイガーカウンターミーティングのサイトなどを参照してください)。宇都宮さんのワークショップはそれとは正反対のことをしようと勧めるもので、いろいろ参考になりました。

作ったガイガーカウンターもなかなかよいです

余談ですが、宇都宮さんのサイトには、僕も愛用している音響処理(波形編集)ソフトAudacityの使い方についてのとても詳しい解説記事があります。これもすごい


2011/08/23 野呂美加さんと放射能対策

カテゴリー: 放射能問題

そろそろさすがに見ていられなくなりつつあるようですので、「チェルノブイリへのかけはし」代表の野呂美加さんのとんでもない発言とその他について、書きます。

「チェルノブイリへのかけはし」は、特に子どもの内部被曝の危険を強く警告してきた団体で、彼らがひらく放射能に関する講演会はNHKテレビでも紹介されたことがあります。また、彼らが行った子どもの被曝調査も新聞で紹介されました。非常に精力的に放射能の危機を訴えているグループです。

サイトはここ

http://www.kakehashi.or.jp/

小さい子どもをもつ親の不安を思うと、これは微妙な問題です。NHKでも、子連れのお母さんがたくさん参加していました。

もちろん、それが本当に意味のあることならいいのですが、少なくとも野呂さんの主張はかなりめちゃくちゃで、科学的にはまったく信頼できないことがわかります。そして、その科学的に信頼できないかたが、さらに怪しい放射能対策を勧めているところが問題です。放射能の知識そのものがかなりダメなので、対策ももちろんダメで、そこにEM菌やらなんやらが顔を出すわけです。

彼らはECRRのバズビー氏や内部被曝脅威論の肥田舜太郎氏を支持しているのですが、組織としてのECRRの主張はともかく、バズビー氏個人はかなりめちゃくちゃなことを言うので、まったく信頼できません。また、肥田氏についても、ご自身の体験に基づくことはわかりますし一定の敬意は払いたいと思うものの、鼻血や下痢は内部被曝のせいだと言っている時点で医学的には信頼に値しないと思います。

公式サイトの「健康相談」

http://www.ironnakatachi.com/kenkousoudan/

を見ると、鼻血や下痢を低線量被曝の症状としています。これは肥田舜太郎医師の説に沿ったものかと思いますが、もちろん、放射線被曝によってこのような症状が出るのは桁違いに多く被曝した場合です。福島県内でフォールアウトによって被曝したかたでも、これはありえないと断言していいはずです。まして、東京ですから。

事故当初、鼻血や下痢を低線量被曝のせいと宣伝するツイッターやブログがたくさん登場しました。一部の雑誌も記事にしました。もちろん、放射能には注意するべきですが、これは完全にナンセンスです。小児科医は、子どもはちょっとしたことで鼻血を出すものだといいますし、しかも最初に鼻血が話題になったのは花粉症の時期でした(花粉症で鼻血が出やすくなることも知らなかったかたが多いようですが、ぜひ医師に聞いてみてください)

このナンセンスのために、子どもが鼻血を出しただけで被曝を心配した親がどれほどいるかと思うと、やはり「ナンセンスな警告には害がある」と言うしかありません。このレベルの無意味な話を広める人たちの言うことは聞かないほうがいいし、ついていくべきでもないと、僕は思います。

低線量被曝にはわからない点が多いのは事実です。しかし、それは決して、「危険が青天井」という意味ではありません。非常に低線量の内部被曝でこのようなはっきりした急性症状が出ないことを理解するには

(1)人間はカリウム40や炭素14といった自然の放射性元素を常に体内に持ち(60kgのおとなで7500Bq程度)、常時内部被爆している。また、これらは食品から常に取り込んでいる

(2)自然放射性元素であるラドン222が土中から放出されて、これが常時呼吸で取り込まれ、肺ガンのリスクになっている

といった知識があれば充分でしょう。医療で体内に放射性物質を入れる治療についても、調べてもいいかもしれません。いずれにしても、これまでも常時内部被曝してきたし、それがガンのリスクになってもいるのだけど、鼻血や下痢にはつながっていないわけです。

もちろん、非常に放射線に敏感な体質のかたがいないとは限りませんが、その場合、鼻血も下痢も「稀なできごと」ですから、鼻血や下痢が増えているという話とは全然違います。また、その場合にも自然の体内被曝は常時ありますから。

さて、一部で話題になった野呂美加さんと中西研二さんの対談

http://joy-healing.jp/readings/special/20.html

もちろん、チェルノブイリの状況を伝えてくれるのは重要だとは思います。

しかし、それはそれとして、たとえば

「人間の体内に酵素が減少すると生命力も減少する。だから酵素を体内に取り入れることがとても大事なんですね」

などというのはどういう話だろう。

「長岡式酵素玄米のすごいところは、有機ゲルマニウムや酵素源を発生させていることです。釜の中で原子転換させて、あるはずのない物質が生まれているんですよ」

という言葉にいたっては、あるはずのない物質ではなくて、あるはずのない話です。ありえないと断言してかまいません。これはいくらなんでも科学的知識がなさすぎます。

「波動が高いものだと、放射能の負のエネルギーを原子転換させることができるようなんです。」

も何をいっているのかわからないでたらめです。

もう少し引用します。EM菌関係

「汚染地でEMX を飲んで、体内の放射能値がゼロになった人もいます。かなり放射能汚染のひどいところにEM菌を撒いて2、3年後に計測したら、蒔いたところだけ放射能反応が感知されませんでした。」

微生物が放射性物質を分解しないことは明らかです。ですから、EM菌のおかげで放射能が減ったわけではない。もし本当に減ったのなら、自然減かあるいは別の理由です。自然減といっても、放射性物質そのものは物理的半減期で減るだけですから、それ以上の減少分は決してなくなったわけではなく、どこかよそに行っただけです

野呂さんたちは以前からEM菌やEMXという飲料(名前が変わりましたが)を奨めています。

http://www.kakehashi.or.jp/?p=3279

には

「この菌をほんの少しきりふきに入れて、室内でシュッシュすること。これで、室内にEM菌が定着し、吸い込むことで喉や肺の粘膜を保護してくれる」

と書かれていますが、もちろんこんなことは臨床的に確認されていません。

もちろん、放射能には効果ありません。

野呂さんはニューエイジャーらしく、ほかにもさまざまな代替医療(ホメオパシーなど)にも言及しています

http://www.kakehashi.or.jp/?p=3978

この程度読むだけでも、野呂さんが科学、特に放射性物質や核反応について何もご存知ないことははっきりわかります。いくらなんでもでたらめにすぎます。

問題はこの程度の科学知識で、不安なお母さん方に放射能の危険を講演しておられることです。これはまずいと思います。野呂さんも善意でされているのでしょうから、なかなか難しい問題なのですが、危険について語るのであれ、安全について語るのであれ、やはり最低限の科学知識のあるかたの言葉でなくてはならないと思います。特にEMをはじめとする「無意味な対策」を奨めることは、利よりも害のほうが多いでしょう。少なくとも僕は反対です。子どもをもつ不安な親なら、ついそういうものを信じてしまうかもしれません。しかし、意味のない対策ですから。

僕はこういうでたらめな話が多くの人に支持されることはないのだろうと思っていたのですけど、どうもそういうわけではなく、かなり支持を集めているようなので、特にこの記事を書きました。

いっぽう、野呂さんたちが支持される理由は子どもを持つ親の不安に応える(というよりは、必要以上の不安を作り出していると思いますが)講演会を各地で「きちんと」(内容ではなく)行っているからでしょう。

放射能のなにがどう危険でどう対策したらいいのか、知りたい人たちはたくさんいます。そのような講演会や話し合いの場が求められていることは間違いありません。本来ならこれは「科学コミュニケーション」を考える人たちがやるべきことでした。僕たちもやるべきなのでしょう。もちろん、やっているかたがたもおられますが、やはり野呂さんたちの活動に比べると手薄感はあります。そういう場をもっとたくさん用意して、きめ細かくやらなくてはならないのだと思います。難しいですが。

もっというと、不安な親たちは、「知りたい」以上に、自分が抱えている不安を誰かと共有したいという気持ちが強いのではないかという気がします。科学者であれ科学コミュニケーターであれ、それに応えるのは難しいかもしれません。それでも、話し合う機会は重要なはずです

[注意]

いったんコメントをとめます。

非常に微妙な問題を扱っているので、特に科学的誤りを批判する際のコメントの書き方を工夫していただけないでしょうか。攻撃的に見えてしまうコメントはなんの効果もありません。少なくとも、違うモードであることは意識していただけるとありがたいです

地縛霊から「いい具合に荒れてきた」という非公開コメントがはいっています。つまり、今の流れは地縛霊の思う壺だということです。そこのところよろしく

整理したら、コメントを再開します

[追記]

当然過ぎるほど当然ですが、この記事は、心配している親を非難したり馬鹿にしたりするために作ったわけではありません。野呂さんの発言は科学的にでたらめなので(そこは譲りようがありません)、ついていくべきではないという注意をしています。

世間の流れからすると、野呂さんを批判しないほうが僕にとっては安全なのだろうとは思いましたが、見過ごしにできないので。この記事によっていろいろな非難がくるだろうということは想定しています。

コメントもあくまでもその線で、注意深く書いてくださるよう、あらためてお願いします。


2011/08/16 助産院のビタミンK2レメディ問題、つづき

カテゴリー: ニセ科学

ぜひとも

http://d.hatena.ne.jp/jyosanin/20110816/1313468037

をお読みください

これはおそらく由井寅子氏が出した本のことでしょう。ひどい話です。

ビタミンK2欠乏症は一定確率で起きます。ホメオパシーのレメディがビタミンK2シロップの代用になるというのは単なる妄想です。由井寅子氏らはその件について責任はないかのように振舞っているようですが、ビタミンK2レメディとかいうインチキなものが何故存在したのか、ですよ。

助産師さんには決してホメオパシーを使ってもらいたくないし、このような事件があってもなおホメオパシーを使うような助産院は、結局のところ危険だと思います。

由井氏らの団体は福島の土をもとにした「放射能対策レメディ」も作っているようです。

めちゃめちゃです。これはハーネマンの思想ですらない「何か狂った考え」です。

擁護できる部分はなにひとつありません。

もちろん、そのようなでたらめなホメオパシーを支持するような人たち(なんらかの意味で、識者とされている人たち)も信頼に値しません


2011/08/12 大文字と松

カテゴリー: 放射能問題

すごく妙な話なので、あまり深入りはしないようにしますが、京都で大文字の火の一部に陸前高田で津波に被災した松の薪を使うという話について、少しだけ。

誰がなぜ発案したかとか、地元の保存会内部でどういう議論だったかとか、そういう経緯についても本当は検証する必要がありますが、それはここでの主題ではないので、問題にしません。

ここで考えたいのは、報道でおもてにでている以下の経緯です

(1)放射能の影響を心配する声があった(数十件の電話などがあったようです)ので、いったんは中止にした。松は陸前高田で燃やされた

(2)中止への抗議が1000件近くあり、別の松を陸前高田から取り寄せて、燃やすこととした

(3)松からセシウムが検出され、再度中止に

新聞を見る限り、松は津波で倒れたものらしいので、その後のフォールアウトをある程度かぶっているでしょうが、セシウムを根から吸い上げている危険は低いのではないかと思います。それでなくても、木の場合は枝や葉などの付着が主でしょう。

だから、切って表面を捨てれば、まず放射性物質の心配は無用でしょう。実際、最初の松は検査で放射性物質が検出されなかったようです。

だから、少なくとも最初の松を燃やすことにはなんの問題もなかったはずです。ところが、不安の声が上がったために中止としてしまい、不安の声よりも桁違いに多い抗議を受けてしまったわけです。この場合は明らかに「その不安には根拠がない」と言えたはずですが、それをきちんと説明をする代わりに「中止」にしてしまったために、却って問題を大きくしました。

もちろん、不安を感じるのは個人の勝手です。しかし、根拠のない不安を際限なく承認してしまっていいのかという問題があります。少なくとも、公的な立場からそうするわけにはいきません。なぜなら、これは結局は被災地差別だからです。本当にセシウムが検出されていたのならともかく、そうでないのですから、よく説明をして予定通りに行う以外の選択肢はなかったのではないかと思います。

結果的に、被災地のものは問題がなくても持ち込ませないという意思表示になってしまったのは、不幸でした。それは被災地差別にほかならないという気がします。

で、今が(3)の段階で、ニュースによれば「松の表皮」からセシウムが検出されたそうです。本当に表皮なら、検出されても不思議ではないですが、そうだとすると、どうして表皮を剥いで使わなかったのか、理解に苦しみます。何やってるんでしょう。さらに無用などたばたを重ねているように思えます。謎です。

少し難しいのは、大文字の火は「公的」なのかという点で、そこで地元とそれ以外の意識に差があったことは想像できます。

送り火には地元行事という側面と日本を代表する一大イベントで京都の重要な観光資源という側面があります。地元行事なのだから地元が自由に決めるというのは建前としてあり、それに文句を言う筋合いではないのかもしれません。最初に中止にいたるまでの経緯を考えるというのは、要するに地元でどのような話し合いが行われたかを考えることです。いっぽうで、それが大問題に発展したのは、やはり地元の行事という枠を超えた存在だからで、そのふたつの側面が必ずしも両立しない場面はあるということです。

誰がどのように提案して、どうして受け入れることになったのか。断れるタイミングはどこにあったのか、などを地元と京都市は検証したほうがいいかなと思います。

もうひとつは、表皮を剥いでも本当にセシウムが検出されるかどうかくらいは調べるべきじゃないかな。出ないでしょうけど。

いずれにしても、被災者と関係のないところでこういうどたばたを起こすというのは、不幸というか感心しないというか、悲しい話です。

もしかすると、ニュースに出ない真相があるのかもしれませんが

(経緯について、いろいろな話があるのは知っていますし、それは念頭において書いています)

[追記]

一部に、最初に燃やそうとしていた木からストロンチウムが検出されていたという説が流れているようですが、放射性じゃないストロンチウムが検出されてもなんら問題はないので。

[追記]

表皮以外の部分も検査して、セシウムは出ていないそうです。まあ、当然です。

じゃあ、なぜ中止にしたのか、ますますわかりません

[追記]

成田山新勝寺は(京都の話とは無関係に)やはり陸前高田の松を焼くそうですが、こちらは問題ないとして中止しない予定。ところが、それに対しても抗議があると報道されていました。まったく問題ないと断言できるケースなので、抗議は「根拠のない不安」以外のなにものでもなく、この抗議を容認してしまうのはまずいだろうと思います。


2011/08/06 フクシマと書かない

カテゴリー: 日 記

「フクシマ」とカタカナでキーワード化してしまうことは、福島で暮らすことを選んだ人たちの気持ちを考えていないのだという趣旨の指摘をtwitterで見た。僕自身はほとんど「フクシマ」と書いてこなかったと思う。それはなにか漠然とした違和感をおぼえていたからなのだけど、その指摘で違和感の正体がわかった気がした。

福島で暮らす人たちは、好んで選んだのではなく選ばされたのだという主張をたまに見かけるが、それ決して正しくない。たしかに経済的理由などで「選ばされた」人たちもいるし、いっぽうには、残る意思を持って暮らしている人もいる。

避難したい人に対する支援がほとんどなされていないのはもちろん大きな問題で、それは行政が支援しなくてはならない。いっぽう、残る意思を持って暮らしている人に対してあたかも「住むこと自体が悪いこと」であるかのように言うのは、これもまた傲慢に過ぎるだろう。

フクシマとカタカナで書いてしまうのは、やはり一種の鈍感さであると思う。その言葉には、現にそこに住む努力をしている人たちがいるという視点が欠けているのではないか。

だから、僕はこれからもフクシマと書かないし、まして「ノーモア・フクシマ」とは決して書かないことにしようと思う

[追記]

なぜカタカナで書くのかといえば、「世界にアピールしていることを日本人に知らせるため」でしょう(世界にアピールするために地名がどうしても必要なら、Fukushimaであってフクシマではない)。それはもちろん理解したうえで書いています。

下にも書きましたが、ノーモア・ヒロシマはもともと英文なのだそうです。おそらく「広島の悲劇を繰り返すまい」といった感じの日本語を英語にしたのでしょう。


2011/08/06 原発と放射能についてのコメントやメモ2

カテゴリー: ニセ科学

ICRPは内部被爆を考慮していないという誤解をときおり見かけるが、もちろん考慮している。内部被爆については、どの物質をどのように取り込んだか(経口か吸引か)によって影響が違い、また体内にとどまる期間は被爆しつづける。これらの影響を考慮して人体への影響の大きさとして計算したものが預託実効線量と呼ばれるもので、おとななら一度の摂取による影響を50年間にわたって積算したもの。速く排出される物質なら排出されるまでの被爆総量、排出に時間がかかるものなら50年間の被爆総量をシーベルト単位で表す。外部被爆と違って将来にわたる被爆量の累積であることに注意。いったんシーベルトで表してしまえば、内部被爆も外部被爆も関係なく足してしまえば、累積の被爆による総影響となる。内部被爆については、まだ被爆していない分も足してある

リスクの程度を知るためにも、自然放射線による被爆量は知っておくほうがよいと思う。内部被曝についても、おとなはだいたい4000BqのK40とC14などで計7500Bq程度の放射性物質を体内に持って、常時被爆し続けている。非常に単純には、これに対して無視できる程度の被爆は気にしなくてよいはずだけど、そういうと怒られるので、「僕なら気にしません」とだけ言うことにします。

リスクを比較することは嫌われるらしいのだけど、一般にはひとつのリスク要因にのみ注目することは全体としてリスクを上げる。リスク比較は個人の意思決定のために重要なはずだと僕は信じている。たとえば、喫煙リスクとの比較が嫌われるのは、「喫煙と比較すれば安全ですよ」と原発推進派に言われたくないということなのだと思う。言うからいけないということなのだろう。それは「各個人が自分でリスク比較をしない理由」にはならないというのが僕の意見。それぞれ、自分が納得できるだけの安全係数を掛けてリスク比較をするほうがよいと思っている。ICRPよりもECRRがよいと考える人はECRRに従ってリスクを考えればいい。自分の身を守るというのはそういうことのはず

怪しい「放射能汚染対策」は百害あって一利なしなので、できればやめてほしい。

バズビーさんとかガンダーセンさんとか、とてもおかしなことを言っているとしか思えないのだけど、一定の支持を集めていることには危機感というか絶望感をおぼえる

牛の問題以降、「全頭検査」「全量検査」がひとつのキーワードになっている。BSEを思い出すが、実はBSEと違って、牛一頭を検査するだけでもかなりの時間がかかり、測定器の少なさ(たぶん、人も)と相俟って、牛を全頭検査すると他の食品を検査するためのリソースがかなり食われるという事態になるのではないかと思う。そこで、簡易検査によるスクリーニングが実施されるらしいのだが、簡易検査は精度がかなり低くなってしまうのではないかと思う。

話は牛に限らない。牛だからがんばれば全頭検査ができてしまうのに対し、他の多くの食品はそもそも無理だろう。精度の低い全量検査と、一定以上の精度を確保したサンプリング検査はどちらがよりよいのか。僕なら後者だと思う。サンプリングの方法さえきちんとしたものにすれば(それが重要)、精度のよい測定によるサンプリング検査のほうが消費者にとってもいいはず。もちろん、それは検査結果の数値がきちんと公表されることが前提

[追記]

C14をC13と誤記しているとこっそり教えてくださったかたがいました。わわわわ。こっそり直しました。すみません。勘違いじゃなくて、本当に誤記です


2011/08/05 原発と放射能についてのいくつかのコメントやメモ

カテゴリー: 放射能問題

まとまりのないメモです

放射線防護の考え方は、たとえばICRPの平時の基準なら、一般の人に対して「自然放射線や医療被曝は除いて、年間1mSv」となっており、また、原発ではたらくなどの業務に従事する人はまた別の基準になっている。

医療被曝を除くのはメリットが健康リスクを上回る「はず」だからという理由で理解できるとして、では、土地によってかなり大きく異なるはずの自然放射線を除くのはなぜか、また業務だろうがなんだろうが被曝による健康リスクに違いはないはずなのに一般の人と分けるのはなぜか。といったあたりのことは、一度考えてみるのがよいと思う

ICRPは残存被曝状況で住むことを選択した人の自助努力を重視し、そのために政府が支援することを求めているのだが、政府の支援が足りているとは思えない。というよりも、早い段階で「今後、こういう道筋で被曝線量を減らしていく」という政府の決意表明があれば、話は大きく違ったのだと思う。

また、住民には「住む」と「避難する」の選択が可能でなくてはならず、それができるためには、避難を選んだ人たちへの支援が不可欠だが、それは今、決定的に欠けている。つまり、「避難したいが、支援がないために、留まらざるをえない」という人たちが少なくないのは行政の問題

そもそも「収束後の残存被曝状況」だったのかどうか。僕は文部科学省が20mSv/yの参考レベルを提示した際、それは収束後のもっとも緩い値だと思ったのだけど、今は「緊急時のもっとも厳しい値」だということになっている。学術会議もそう言っていたし、先日のテレビでICRPの人もそう言っていた。しかし、本当にそうだったのだろうか。緊急時だったのに、普通に学校に通って運動会をしたりしたのだろうか。よくわからない。

緊急時が収束後かの判断は場所ごとに違っていいはずで、必ずしも原発の状況と連動している必要はないはず

政府が何もする気がないとは思わないし、実際しているのだけど、それが「見えない」ことは問題で、政府であれ自治体(特に福島県)であれ、市民へのコミュニケーションが決定的に欠けている。ロードマップを示すか示さないかでまったく違うと思う。行政は「確定していることしか話さない」という習慣が身に付いているのだろうけど、それは危機的状況下でのコミュニケーションとして最悪なのではないだろうか。

それに関連して、世の中には「リスク・コミュニケーション」という研究分野があり、研究者がいるはずなのだけど、彼らがほとんど表に出てきているように思えないのはなぜだろう。それとも、彼らが行政にきちんとアドバイスしている結果がこれなのだろうか


2011/08/05 科学的な議論の位置づけについて(対策をとることについて)

カテゴリー: 放射能問題

twitterで以前つぶやいたことをまとめようとしているのですが、なかなか考えがまとまらないので、とりあえずすごく簡単なメモ程度にここに書きます。まとまりはありません

放射線の健康影響については科学的に決着していない問題も多く、また、今議論したところですぐに決着するとは思えません。極端な話、微量放射線は身体にいいというホルミシスと微量放射線のほうが危険というバイスタンダー説(どちらも主流の説ではない)の間で決着がつくとはとても期待できないでしょう。それは無理です。そこまで極端な話でなくても、わからないことは多い。

いっぽう、防護の観点からはICRPの「いき値なし線形モデル」に基づく防護がコンセンサスというべきで、その程度の科学的な議論は済んでいると思います。「いき値なし線形モデル」は正しいかどうかというよりは、そう考えておけば安心という作業仮説として採用されていると考えられます。もちろん、妥当だとする研究はあります。しかし、そのモデルが「本当に正しいか」について今すぐに結論が出ることはありえないでしょう。低線量被曝については、将来にわたって結論は出ないかもしれません。しかし、仮にICRPでは不充分とするECRRを支持するにしても、ICRPに従った防護も達成できていないなら、どのみちそれより厳しい対策など取りようがないわけで、とにかく当面はICRPに従って対策を取るというのは、目標として間違っていないはずです。

水俣病から何を学ぶかについては、いくつかの考えがあるでしょう。僕は「科学的な議論が対策を遅れさせた」という点が重要だと考えています(誤解されそうなので、また詳しく書きます)。これは津田さんの本で学んだことです。放射線の健康影響についての科学的な議論は、それはそれで続けなくてはならないのですが、対策はそれとは関係なく進めることができます。繰り返すと、その程度には科学的な議論は済んでいるはずだし、科学的な議論が対策を遅れさせることだけは避けなくてはならなかったはずです。

政府はICRPに従った対策を取っているのではないかという意見もあるでしょう。しかし、まだまだそうなっていないように思います。五ヶ月経って、まだこういう段階なのかという苛立ちはおぼえます。もちろん、その理由は科学的な議論ではないかもしれません。

と書くと、科学的な議論にこだわっているのは科学者ではないかと言われそうですが、それは誤解で、多くの人は「とにかくICRPに従った対策を早くするべし」と言ってきたはずです。

インターネットでは、児玉龍彦先生の厚生労働委員会での発言が大きな話題になりました。一般のニュースではあまり大きく取り上げられていないという噂ですが、重要な発言です。いくつか、それはどうだろうという内容が含まれていて、無条件に全部を肯定はしかねるものの、提言された内容にはまったく同意です。やるべきことははっきりしているので、どのように実現するかだけのはずです。特に「国会の怠慢」を訴えられたことは全面的に支持します。野党が復興よりも政局を重視する現状には怒りしかわきません

[追記]

津田さんが「医学者は公害事件で何をしてきたのか」で書いておられることの肝は、メカニズムが不明であっても疫学的には魚が原因食品だったことはわかるので、その時点で(食中毒事件として)対策を取っていれば被害の拡大は防げた、ということです。メカニズム解明は重要ですが、それがわからなくても、対策するに充分な科学的知見(つまり、疫学の結果)はあったというわけです。決して、非科学的な対策を主張しているわけではないので、念のため

[追記]

野党だけが悪いという話ではないのは当然です。「いかに復興予算をつけないか」に全力を注いでいるのは財務省ですから。予算を小出しにしたっていいことはないんで。「小出し」が最悪の戦略だということくらい、やる前から明らかなはずです。

結局、「希望」を持たせられるかどうかでしょう。それには優先順位をつけて、どんどん進めるしかないわけで、復興より政局だと考えている政治家は希望を奪っているだけです。だから、「国会の怠慢」なんですよ。

科学的に決着していないことがそういう怠慢の言い訳にされては困ると、児玉さんが言われたのはそういう話ですよね。で、実際そうです

[追記]

ここに書いたことはなんら新しい話ではなくて、原発事故直後にいくらかの混乱があったのを除くと、早い段階でコンセンサスだったはずのことです