書店に行ったら掲題の本がありました。出たばかりみたいです。
リブレクトの"Field Guide to Snowflakes"だそうです。
コンパクトな本ですが、雪の結晶のきれいな写真が満載ですし、それぞれの結晶がどうしてそのような形になったのかという説明が載っているのが面白いところ。つまり「天からの手紙」の読み方が書かれているわけです。
お勧め。
売れるといいですね。
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「雪の結晶」ケン・リブレクト 矢野真千子訳 河出書房新社
ISBN978-4-309-25226-1
1500円
「ニセ科学批判」なり「疑似科学批判」なり「似非科学批判」なりというのは、もちろん万人に許されている行為ですし、人それぞれ考え方も違いますし、言論の自由もあるので、好きなことを言えばいいわけです。
だから、さまざまな流儀の「批判」に対するさまざまな「批判批判」はあっていいのですが、誰が誰の何を批判しているのかよくわからなくなると困ります。「批判批判」が批判している「批判」というのが、一体誰の主張なのか、そもそもそんな主張をしている人がいるのか、出典が示されないとわからないことも多いですね。
そんなわけで、ここでは、少なくとも僕は(そして、おそらくは仲間の多くは)こうは考えていない、という話を列挙してみようかと思います。
とりあえず、思いつきを書いていきます。このエントリーはいちいち「追記」と明記することなく追記され続ける予定です。いただいたコメントの中で「それだ」と思うものはどんどん追記していきます。常に最新の本文をご参照ください。
些末なことをたくさん書いたほうが面白いかもしれない、とついつい思ってしまいます。当然、ネタ有りですので、よろしく。
あ、「それは違う」というのもありなので、よろしく
こうは考えていない(以下、便宜上、単に科学と書いた場合は自然科学、それも現時点での自然科学を指す)
(1)科学は万能である
(2)世の中のことはすべて科学で解明されている
(3)科学で解明できないことはない
(4)科学が解明していないことはすべて科学的に否定される
(5)メカニズムがわかっていないことは科学的に否定される
(6)サンタクロースはニセ科学なので批判すべきである
(7)科学者には芸術がわからない
(8)人文社会科学には価値がない
(9)ニセ科学問題は人文社会科学と関係ない
(10)科学者は「ネタ」を嫌う
(11)科学は完全である
(12)SFはニセ科学である
(13)商売で行われているのではないニセ科学はほっておいてよい
(14)科学とニセ科学のあいだには明確な一線がある
(15)間違いだとわかった科学はニセ科学である
「ニセ科学批判」批判がはやってるんですか?
世間に疎くて、知りませんでした。
TAKESANさんのところとかで議論が進んでるから、ここで敢えて書かなくてもいいと思ったんだけど、たかぎFさんが心配しているので、いちおう書く。
たかぎFさんに「お前らが今年のフォーラムの資料を公開しないから、わけのわからん批判が横行するんや。どないしてくれるんや」(意訳)と脅されたので、そのうちフォーラムのスライドを公開します。音声データももらってるんだけど、文字に起こしても読みづらいだけでしょう
博士課程学生K君(いろんな意味で有名人)と先日話したことをふと思い出したので、書く。
平衡統計力学の基本仮定として、等重率とエルゴード性というのがある。エルゴード性は時間平均をアンサンブル平均で置き換えてよいということ。それに基づいて、小正準集合では、(だいたい)同じエネルギーを持つ「すべての微視的状態」を同じ重みで足す。この仮定のもとで確かに熱平衡の性質が求められることは、結果が熱力学と一致することで保証される。この最後の部分は、最近の田崎さんや佐々さんの教科書などで常識化してきたのかなと思うのですが、それ以外に統計力学の仮定を正当化する論理はない。
それはいいのだけど、問題は、すべての微視的状態を足すところにある。簡単のために理想気体を考えると、「すべての微視的状態」の中には「すべての粒子が容器の半分に集まった状態」とか「すべての粒子が容器の10分の1の領域に集まった状態」とかいった、どう考えたって実現しっこない状態が含まれる。マクロな容器を考えている限り、そんなものは(原理的にはポアンカレ回帰があるとしても)決して実現しない。つまり、すべての微視的状態を足すというのは「ありえない状態」についても膨大に足していることになる。
「すべての微視的状態を足す」という処方を採用するからといって、決してすべての状態が実現すると考えているわけではない。というのが常識だと思っていたのだけど、学生はそういう理解をしていないらしい。
本当は「すべての微視的状態」ではなく、「実現する状態」だけを足せばいいのだ。ところが、後者のほうが難しいので、計算するための処方として「すべての微視的状態」を足す。状態を選り分けて、「観測時間が1秒だとしたときに実現しうる状態」なんてのを取り出して部分的に足すよりも、全部足してしまうほうが圧倒的に易しい。
では、どうして実現しない状態も足していいのかというと、上で考えたような「実現しない状態」の数は圧倒的に少ないので、足しても足さなくても結果に影響しないからだ。ほとんどすべての状態は容器中に粒子が均一に分布する。もちろん、均一に分布する状態だってすべてが実現するわけではなく、ごく一部しか実現しないが、巨視的には違いがないので、それでよい。
というのが、平衡統計力学がうまくいく理由。
それとも、普通は「すべての微視的状態が本当に実現する」と教えるんでしょうか。まさかね。
[追記]
最初、正準集合で書いたのですが、そうすると、ボルツマン重率からくる確率の問題とごちゃごちゃになるので、小正準集合に変えました。この場合、(ある範囲のエネルギーを持つ)すべての微視的状態は等確率で実現するので、話が混乱しにくい。(なので、鞍点法の話を書いたんだけど、消しました。あれはあまり関係なかった)
[追記]
要するに、実際には観測時間内に実現するのは位相空間のごくごく一部でしかないのであって、「すべての状態を回る」どころではない、ということです。「"統計"力学というくらいなんだから、全部を回るとは想定してないんだろう」くらいに考えている人は、それでよいです。それが「すべてを足す」ことと同じ結果を与えるのは、結局、下のコメントででてきたように「ありふれた状態」が「圧倒的にありふれている」からです。
確率微分方程式の創始者、伊藤清が数日前に亡くなられたのですが、それに関連してあるかたが書かれた記事に「金融工学の父」とあるのを見て、ぎょっとしました。ニュース記事を見ても、「父」とは書かないまでも、伊藤の業績を金融工学との関連で語る記事は多いように思います。
たしかに、ブラック・ショールズは伊藤の業績をもとにしているのでしょうが、伊藤の業績をことさらに金融工学の文脈で語るのは感心しません。伊藤の業績からすれば、金融工学など、むしろ些末なのではないでしょうか。
数学者だった祖父に、あるとき(たぶん80年代半ば)、「伊藤はファインマンの経路積分の基礎づけをした」と言われたことが今も強く印象に残っています。
逃避行動の一環として、ちょっと検索していたら、こんなところを見つけたんです。
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/11c1d98bd9c6b6bf09de1f674e0a29ca
有名なブログなのかな。名前はこれまでにも見ていた気がするけど、読んだことはなかった。
もちろん、911陰謀論絡みで罵倒されるのは慣れてるし、なんてことないんですけど(罵倒する以外にやることはないのでしょうし)、
...
ここのブログ主は、反原発本に対して批判的・懐疑的な言辞を残しています
...
と書かれているのが気になりました。
そんなことあったかな。反原発本がトンデモだったら、批判的に書くことはあると思いますけど、反原発ということ自体について批判的・懐疑的に書いた記憶はないですね。
反原発運動にトンデモが紛れ込むとか、そういう話かな。それなら批判しますけどね。
それは、平和運動に陰謀論が紛れ込むことを批判するのと同じだし、環境運動にEMや水伝が紛れ込むことを批判するのと同じです。
役に立たないどころか、むしろ害になるようなものを身内に取り込むのは、いいアイデアではないですから。
まあ、たしかにそこにも「反原発本に対して」と書いてあるから、違いはわかってるのかもしれません。反原発だろうがなんだろうが、それがトンデモさんだったりニセ科学さんだったりしたなら批判するわけで、なんだか「反原発本を批判するやつは(それがどんな本だろうと)ダメだ」とでも言いたげなこのかたとは、相容れないだろうとは思います。
[追記]
わかりました。ここのコメントを写してるだけですね
http://papillon99.exblog.jp/7023889/
ただ、僕のブログを「原発」で検索しても、該当箇所がわかんないですけど
SF史に残る大傑作にして、90年代SFの最高傑作、そして初期サイバーパンクの到達点『ディファレンス・エンジン』(ギブスン&スターリング)がハヤカワ文庫から再刊されています。
『ディファレンス・エンジン』については今はなき「SFオンライン」に書いたなあ、と思っていたら、検索エンジンで発見してしまいました。自分の文章。ここにどなたかが(知ってる人だと思うけど、わかりません。ごめんね)アップしてくれています。
http://ymgt.tumblr.com/post/55587789/sf
んー、何年の何号に載ったんだったかな。若書き(若くなかったけど)で恥ずかしい。文章のテンポがめちゃ悪いし。でも、必要なことはだいたい書いてあるなあ。困ったなあ。
歴史改変・カオス・人工知能、そして蒸気コンピュータが世界を計算するそれはまぎれもなくサイバーパンク。この作品はまず第一にサイバーパンクなのであって、スチームパンクなどと呼んではならぬのです。伊藤計劃氏の
http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/comment?date=20081019#c
には激しく同意するわけです。
で、何が困ったのかというと、実は『ディファレンス・エンジン』についての長い文章を書こうとして、自分が過去に書いた文章を再読し、だいたい全部書いてあることに気づいて途方に暮れているのですね。大ネタのつもりで考えていたことも、全部「さらっと」書いてある。これ読んで、文庫版の巽解説と伊藤・円城解説を読んだら、付け加えることはあんまりないかもしれない・・・・
とりあえずDEを未読の人はこの機会にぜひ