200803のブログ

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カテゴリー別記事一覧

2008/03/31 桜
2008/03/29 新型インフルエンザ問題
2008/03/29 渋滞論文のその後
2008/03/27 Brain Valleyをめぐって
2008/03/21 (いわゆる)サイトカイン・ストーム
2008/03/20 円形脱毛症
2008/03/16 「信じぬ者」と瀬名さんとパライブの頃
2008/03/14 EM菌投入は河川の汚濁源
2008/03/14 「信じぬ者は救われる」
2008/03/13 スペイン風邪とホメオパシー(また浜六郎氏と「やっばり危ないタミフル」)
2008/03/09 さらに渋滞の続き
2008/03/07 数と密度 (渋滞論文の話の続き)
2008/03/06 研究組織
2008/03/04 渋滞の論文が出ました(または相転移現象としての交通渋滞)
2008/03/03 江原啓之の言い分
2008/03/03 シクラメンのかをり
2008/03/01 本が出るのですが

2008/03/31

カテゴリー: 日 記

大阪も東京も桜が満開のようです。研究室の花見は・・たぶん、桜が散ってからになるのでしょう。

それはさておき、ソメイヨシノという品種は一般に寿命が短いとされ、60年説というのがあるそうです。たしかにどうやら手のかかる品種らしくて、長生きさせるのは難しいらしいのですが、しかし、きちんと管理すれば100年以上生きることもわかっています。

 

僕が育った青森県弘前市の弘前城公園は桜の名所として知られていて、実はここに日本最古といわれるソメイヨシノがあります。樹齢は120年程度。1882年に植えられたものと考えられています。これが例外ではない証拠に、実は弘前城公園には樹齢100年超のソメイヨシノがほかにもあるのですね。以下に写真や解説など。

http://www.net.pref.aomori.jp/hiroryokuchi/sakura/sakura_rireki.html#%83¥%83%81%83C%83%88%83V%83m%8A%C7%97%9D%82%CC%93%C1%92%A5

このような長寿が実現しているのは、弘前市公園緑地課の管理技術と努力の賜物ですが、とにかく、手をかけてやれば100年以上花を咲かせる品種であるということです。

 

子供の頃、弘前公園のソメイヨシノはゴールデンウィークのど真ん中に満開を迎えていました。最近は明らかに早まっていて、GWにはソメイヨシノの散るところが見られるようです。まあ、それはそれで風情だし、ほかの品種もあるので桜を見るには困りませんが。今出ている「科学」(岩波)4月号に、弘前城公園での開花日の経年変化グラフが掲載されています。60年間で5.5日早くなっていて、春先の気温が高くなってきている影響と考えられそうです。

ちなみにこの号は「予測不能な時代の測り方」という特集で、これはなかなかよいです。伊庭君の「確率論補完計画」とか円城塔の「グルジェフ・クロウリー方程式」とか、いろんな意味で読み応えのある記事もあり。

 

実はその日本最古のソメイヨシノを弘前城跡に植えたのは僕の曾祖父なのですが、もちろん会ったことがあるわけでもなく、なんとなく不思議な気分で、まあそんなこんな

[追記]4/17

弘前城の桜が咲いたそうです。満開は4/21あたりらしい。

どなたか最古のソメイヨシノの今年の様子を撮影されたら、画像データをいただけるとありがたいです


2008/03/29 新型インフルエンザ問題

カテゴリー: サイエンス,インフルエンザとタミフル問題

たかぎFさんに教えてもらった新型インフルエンザ関係のインタビュー。

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/interview/90/

よくまとまっていますし、特にアメリカと日本との政策の違いが書かれていてよいと思います。アメリカに比べると日本の対策はまったく不充分であるということですね。

たしかに不確定要素は多いにしても、対策を用意しなくてはならない。日本の場合、危機管理の甘さとリスク・コミュニケーションのまずさが問題です。

 

とにかく、感染症の専門家はこのくらいの危機感を持っているわけです。

パンデミックが心配される新型インフルエンザは通常のインフルエンザとまったく違うものだということは認識するべきです。

通常のインフルエンザに対してワクチンも薬も拒否する人たちがいることはある程度しかたないかもしれませんが、新型インフルエンザに対して同じ態度で臨んではならないと改めて強く言っておきたい。


2008/03/29 渋滞論文のその後

カテゴリー: サイエンス

New Journal of Physicsの発行元であるIOP(イギリス物理学会)がプレスリリースを出してくれたおかげで反響はかなりあって、世界中のさまざまなところでとりあげてくれました。

大手ではNew ScientistのウェブサイトとかDiscovery Channel(カナダで放映。日本ではたぶん流れていない)とかですが、昨日付でアメリカの"Science"誌のウェブサイトにもニュースとして出ました。

http://sciencenow.sciencemag.org/cgi/content/full/2008/328/1

 

Scienceがとりあげてくれたのはとてもうれしい。いうても、西のNature東のScienceですから、影響力は大きい。Scienceのほうが科学的には「硬い」印象ですしね。

これがさらに感慨深いのは、Natureの次に論文をリジェクトしてくれたのがScienceだからです。ちぇっ


2008/03/27 Brain Valleyをめぐって

カテゴリー: 日 記

せっかくなので、瀬名さんの第二長編Brain Valleyについても書いておこう。

 

この作品は刊行前に版元である角川書店がウェブサイトを開設したことで話題になった。97年という時代を思えばこれはなかなか画期的なことだったと思う。

しかも、今なら版元が二の足を踏むに違いないのだけど、BBSも設置された。それがよかったのか悪かったのか、今となっては冷静な判断は難しいのだが、少なくとも、「パライブ論争」が少々尾を引いてこの「ブレバレBBS」にも影響したのはあまりよいことではなかった。BBSに書き込んでいたファンの多くはあまり文学の議論に慣れていなかったので、そういう場でヘビーな議論をしても混乱するばかりである。このBBSを一時混乱させた責任の一部は確かに僕にもあって、その件について「だけ」は、瀬名さんとの最後の議論の場になった大森望掲示板で瀬名さんに謝った記憶がある。

 

それはさておき、Brain Valleyが発売された後、僕は小説とその副読本についてそれぞれ書評を書いた。「パライブ論争」当時の僕は公的な書評の場を持たなかったのだけど、Brain Valleyの時点ではマイナーとはいえふたつの場を持っていた。その意味で、立場はいささか変わり、純粋な読者ではなくなったわけだ。

この機会にそのふたつの書評を再録しておこう。

 

......

『BRAIN VALLEY』(角川書店/上下巻各本体一四〇〇円)は、『パラサイト・イブ』以来2年半振りとなる瀬名秀明の新作。巻末に並ぶ膨大な数の参考文献が周到な準備を物語る。本書のテーマは、脳の進化と複雑性の科学、奇蹟そして神である。UFO番組を収録中のテレビクルーに異常事態が発生する冒頭から、臨死体験や宇宙人による誘拐といった擬似科学的なテーマを科学で処理してゆく前半は、過剰なほどのディスカッションが鼻につくきらいはあるものの、実に快調。一方、科学から大きく逸脱する終盤には賛否両論あろう。前作同様、SFの論理よりはホラーの作法を選んだということか。個人的には納得できないが、むしろこの結末を支持する向きも多いかと思う。複雑性の科学が安直に扱われすぎている点は気になった。

(「週刊読書人」98/1掲載)

......

「神」に迫るサイエンス――BRAIN VALLEY研究序説(瀬名秀明監修、角川書店)

”BRAIN VALLEY”という小説を読んで、まず驚かされたのは、過剰とすら言えるほどに盛り込まれた科学解説だった。それはほとんど小説としての結構を壊してしまうくらいで、とにかくそこらのハードSFではとても太刀打ちできないほど「科学的」で難しい小説だったものだから、僕なぞは、これでは途中放棄の読者が多いのではないか、といらない心配してしまった。ところが、角川が運営する公式ウェブサイト上での読者の書き込みなどを読んでみると、専門用語が苦にならないどころか、その難しさをむしろ楽しんでいる読者が多いことがわかって驚かされる。いっそ徹底した「科学小説」なら、むしろ需要があるということなのだろうか。ハードSFの人達は、いろいろ考えたほうがいいかもしれない。読んだら賢くなった気がする(冗談抜きで、本当に多くの知識が得られる)というのは、小説の付加価値としていいのかもしれない。

 さて、この”「神」に迫るサイエンス”は、それでなくても科学解説に溢れた ”BRAIN VALLEY” をネタに、更なる科学解説をしてしまおう、という本だ。ただし、今度は瀬名氏が監修者となって、各分野の専門家が筆を執るというもの。なかなか面白い企画だと思う。SFに材をとった科学解説書というと、僕がとっさに思い出せるのは、以前とりあげた”恐竜の再生法教えます”(これは本書のまえがきでも言及されている)くらい。”SFはどこまで実現するか”(ロバート・L・フォワード、ブルーバックス)というのもあるけど、特定の作品をとりあげているというわけじゃないか。対応するSFがあるという意味では、ルーディ・ラッカーの数学書を挙げてもいいかもしれない。少々強引か。この手の企画をほかの本で考えてみる手はありそうだ。

 本書では、人工生命を佐倉統氏が、UFO研究を志水一夫氏が、とそれぞれの分野に適任の著者をあてている。脳科学や霊長類学など、分野的にもホットなものが選ばれているので、一冊でいろいろ読めるという意味からも、なかなかお得な本かと思う。瀬名氏本人の手になるのが”臨死体験”の章だというあたり、意外性も充分。ただ、本の性格上、広い視野でレビュー的に書くことが求められるので、あまりにも著者個人の研究に偏った記事は面白くない。そういう意味では”脳型コンピュータ”の章は人選ミスだったのじゃないだろうか。

 ところで、先月佐倉氏の本をとりあげたときにも書いたのだけど、ことフィクションに関する限り、「科学的な正しさ」の判断基準は個々の書き手・個々の読者によってかなり違ってしまうのだ。本書の「まえがき」を読んで、それを再認識させられた。あたりまえといえばあたりまえだけど、なかなか難しい問題ではあるよね。

(「SFオンライン」98/4掲載)

......

僕の記憶が正しければ、次に僕が瀬名作品について公の場で語るのは、『SFが読みたい2006年版』に掲載された『意識の密室と別れる50の方法』と題する『デカルトの密室』解読記事になる。

 

[追記]

今は再びレギュラーで書評できる場を持っていないので、たいていの本については「純粋な読者」なのだと思う。『デカルト』みたいにあとから原稿を書くケースもあるけど。


2008/03/21 (いわゆる)サイトカイン・ストーム

カテゴリー: 日 記

「スペイン風邪とホメオパシー」のエントリーで話題になったサイトカイン・ストームについて、PseuDoctorさんが解説を書いてくださいました。コメントとして書いていただいたのですが、みなさんの便利のために、エントリーを作ってコピーしておきます。

以下、PseuDoctorさんの記事です

.............

まあ、それはともかくとして「いわゆるサイトカイン・ストーム」についての説明をアップします。書いてみると思いの外長くなってしまいましたが、これでもまだ解り易さを優先させる為に厳密さを犠牲にし簡潔に言い切った部分が多々あります。ですから多少の不正確さは承知のうえなのですが、もしどうしても看過出来ない点、省略し過ぎだと思われる点などあれば御指摘頂きたいと思います>皆様

1.サイトカインとは何か

一言で言うならば「主に免疫を担当する細胞が分泌し他の細胞に影響を与える物質」となります。これには非常に多くの種類があり、未だ我々の知らない物質も数多く存在しているでしょう。今回特に問題になっているIL-6(6番目のインターロイキン)はB細胞の抗体分泌や急性炎症反応に関わっており、これらの機能がサイトカイン・ストームの成立と深く関係しています(後述)。なお「インターロイキン」には「白血球の間」という意味があり、サイトカインの中でも特に白血球同士間で働くものに付けられている名称です。

2.免疫反応におけるサイトカイン(特にIL-6)の役割

免疫反応は極めて複雑な機能であり、未知の部分が沢山あります。物凄く大雑把に言い切ってしまうと「様々な種類の細胞や物質の共同作業により、異物を非自己と認識して排除する働き」となります。免疫担当細胞の主役は各種の白血球であり、マクロファージ・好中球・リンパ球(T細胞・B細胞・その他)などが含まれます。そしてこれらの細胞が共同作業を行う為の相互作用を司っているのが各種のサイトカインであると言えます。

具体的には、マクロファージは異物(病原体)を捉えて取り込み殺しますが、その際にT細胞に対して異物の種類を提示するという形で「警告」を発します。T細胞はその警告に基づきB細胞に抗体産生を命じますが、その命令を伝えるのがIL-6です。ところがB細胞が充分量の抗体を作るまでにはタイムラグがありますので、マクロファージはその間のつなぎとして病原体を食い殺す作用を持つ好中球を呼び寄せます。この際にもIL-6が働きます。注目すべきは、これらはいずれも感染初期の反応であり、もし免疫反応が順調に働いているならば、IL-6は徐々にその役目を終え減少していくと考えられます。

3.ウイルス感染に対する免疫反応

ウイルスは細菌と異なり自分だけで分裂増殖できません。何故ならウイルスとは遺伝子を蛋白の殻で包んだだけの存在であり、遺伝子に基づいて新たな体を作り出す機能を持っていないからです。そこでウイルスが増殖する為には生きている細胞内に入り込み、自分の遺伝子を設計図として細胞に新たなウイルスを作らせる必要があります。

インターフェロン(INF)はサイトカインの一種であり、細胞に作用して、この「ウイルスの遺伝子に基づいて新たなウイルスを作る行為」をブロックする働きがあります。ですから通常はINFによりウイルスの増殖が抑えられる訳ですが、ここで議論になっています様に、スペイン風邪ではINFによる増殖抑制が起こり難い点が大きな問題となります。本当はこの点をもっと突っ込んで書きたいのですが、複雑になり過ぎてしまうので、ここでは敢えて述べません。少なくともNatureの論文では「原因はともかくmRNAレベルでINFの増加抑制とIL-6の増加が起こっている事が示されている」とだけ書いておきます。

4.スペイン風邪における、いわゆるサイトカイン・ストームの発生

上述のようにスペイン風邪ではINFによるウイルス増殖抑制が働き難くなっているので、免疫反応がなかなか収まりません。更にアメリカの小児科医さんご指摘の様に、ウイルス量の増加自体がIL-6の分泌を引き起こし、その状況は悪化する一方です。

以上の要素が相互的に作用して生体内のIL-6濃度が(特に感染局所で、つまりインフルエンザで言えば「肺」ですね)異常に増加します。これが「いわゆるサイトカイン・ストームの状態」です。

前述の様にIL-6は急性炎症反応を惹起します。従って、IL-6過剰状態では好中球が集まり易くなったり、血管壁の透過性が亢進して血液の成分や細胞などが血管外に出易くなったりしていると考えられます。

5.肺におけるサイトカイン・ストームの(重症肺炎としての)病態生理

前項までで、主にIL-6の過剰状態がいわゆるサイトカイン・ストームを引き起こすという話をしました。ではそれが肺に起こった場合には、具体的にどういう状態になるのでしょうか。

肺は酸素を取り込み二酸化炭素を排出する為の臓器です。その機能を実現する為に肺の中は極めて細かい部屋(肺胞)に分かれており、その壁は血管が密集しています。要するにガス交換の効率を上げるために血管と大気が殆ど直に接触しており、しかもその表面積を増す為に内側が細かく仕切られているのです。

このような構造のところに急性炎症が起きますと、肺胞の内側に水分だとか、好中球そのものや好中球の死骸などが溜まります。当然その部位ではガス交換が出来なくなります。これが、通常の「肺炎」と呼ばれる状態であり、細菌性肺炎などが代表的です。

サイトカイン・ストームの際にはこの状態が更に強く起こり、かつ収める為のメカニズムがうまく働きません。つまり呼吸機能はますます悪化し、例えるならば「内側から窒息する」ような状態になり、最悪の場合は死に至る訳です。

以上駆け足で述べて参りました。冒頭にも書きました通り、もし医学的に見過ごせない点や解り難い点、御不明な点などありましたら御指摘ください。


2008/03/20 円形脱毛症

カテゴリー: 日 記

うっきー、円形脱毛症になってしまいましたよ。

うー、呪われる相手ならたくさん思い当たるので、どれだかわかんないよ(^^;


2008/03/16 「信じぬ者」と瀬名さんとパライブの頃

カテゴリー: 日 記

瀬名秀明さんのブログに取り上げていただいた。ありがとうございます(香山さんが献本されたのだと思う)。

http://senahideaki.cocolog-nifty.com/book/2008/03/post_68fe.html

 

実は瀬名さんとは先週『SF大賞』のパーティでお目にかかったばかりなのだけど、僕もかなり疲れていたし(薬を飲んでいて、パーティなのにビールも飲めなかった)、あまりつっこんだ話はしなかった。

いずれにしても、あの時点でこの対談は読んでおられなかったはず。

 

ブログで書いておられる批判についてはよくわかるので、特に反論はない。そういう感想は充分ありうると思う。

なにかの周辺をぐるぐる回っているだけに見えてもしょうがない、というより、ぐるぐる回っているところを読んでいただく本である。問題を解決する本とはとても言えず、スピリチュアルやニセ科学やその他さまざまな局面に共通の問題が見え隠れすることを確認していくという、そういう内容。読後は「もやもや」すると思う。ニセ科学批判であれスピリチュアル批判であれ、そうそう能天気にはやれないなあという話、かな。

考えれば考えるほど、悩みばかりが増えて、クリアなことはあまり見つからない。あるいは、クリアなことはたくさんあるのだけど、それは悩みを解決してくれないらしいというべきかも。

 

ただ、「科学とは何か」については意見の一致しない部分があり、もしかすると一度きちんと議論したほうがいいのかなあという気もする。僕は瀬名さんに「科学を伝える人」としての役割を期待しているので。

ちなみに、僕自身は、自分が科学者としてきわめて保守的であると思う。

 

それはさておき、ブログに『パラサイト・イブ』当時の話が書かれていた。まだブログなんてものができるずっと以前、手書きのスクリプトで掲示板を運用していた頃の話だ。今で言う「炎上」事件か。懐かしいといえば懐かしいかな。一部では僕が『パラサイト・イブ』否定派の急先鋒だったかのように思われている・・のかな。

今更かもしれないけど、少し書いてみる。

 

議論になった点は単純なことで、『パラサイト・イブ』はミトコンドリアを擬人化して描いたかどうかである。多くの読者が「擬人化している」と読んだ。僕もそう読んだ。擬人化しちゃだめじゃん、という話が僕の掲示板で話題になった。僕も擬人化しちゃだめじゃん、と書いた。

ところが、瀬名さんによれば(なにしろだいぶ以前のことだけに、ここの記憶があいまいで、瀬名さんが公開の掲示板に書かれたのか、私信でいただいたのかおぼえていない。掲示板だったことにしてここに書きます。私信だったらごめんなさい)、「擬人化しないように注意を払って書いた」のだという。だから、僕らの批判は的はずれである、と。文章をよく読めば、擬人化していないことがわかるはずだというわけ。

 

この話で、いくらか腑に落ちた。「擬人化してないよ」と言われて、読み返してみると、たしかに叙述としては擬人化を注意深く避けていることが確認できる。なるほど、それが注意を払った点である。

勝手な言い方ではあるが、ここで瀬名さんが追求したものは、実はクリスティ的なフェアネスだったわけだ。あるいは、その意味でのフェアネスを追求した格好の例が『獄門島』のあの有名なセリフであるといえば、通じるだろうか。『獄門島』を最後まで読んで、「あのセリフはアンフェアじゃん」と思い、読み返した人は多いのではないだろうか。そして、「やられた」と感嘆したはずだ。あれがミステリにおけるフェアな叙述である。叙述トリックの一種といってもいい。

いったんは読み逃すが読み返してみると納得できる、というのが、この手の叙述トリックなので、読み返すのは前提となっている。

(追記: これはクリスティよりクイーンだろうというご指摘をいただきました。たしかにそこは少しだけ考えたところなのですが)

 

しかし、ではなぜ読み返すのかと言えば、実は作品が「本格ミステリ」だからである。僕たちは『パラサイト・イブ』を叙述トリックものの本格ミステリとしては読まなかったから(著者もそんな期待はしていないはず)、「擬人化してるじゃん」と思って最後まで読んだら、それっきりである。あとになって「擬人化してないよ」と言われても、「そんなのわかるわけないじゃん」という感想しか出てこない。一読目ではっきりわかるように、もっとあからさまに書け、と文句を言うことになる。

最初に読者に「擬人化している」と思われたら、それでおしまいなのだ。そして、「擬人化している」と思うか思わないかは読者の勝手である。それが困るなら、作者がかなり「あからさまに」書かなくてはならない。

そこが、本格ミステリとの違いである。つまり、ここではジャンルが大きくものをいっていたわけだ。

 

これまた勝手な思いこみかもしれないが、他の作品でも瀬名さんはこのクリスティ的なフェアネスを重視している気がする。しかし、この手のフェアネスは、本格ミステリ以外ではあまり有効ではない。唯一、ハードSFの一部に有効だと思う。本格ミステリとハードSFの類似性については、いずれどこかでまとめて書いてみたい。いや、ハードSFに有効ってことは、ファンタジーにも有効なのかな。ハードSFとファンタジーの類似性については、たぶん僕よりも横道仁志君(日本SF評論賞受賞者)が議論すべきだろう。閑話休題。

 

だからこそ『デカルトの密室』は傑作なのだ。あれは問題設定そのものがクイーンの有名な初期中編へのオマージュになっているくらいで、そもそもが本格ミステリである。SFと本格ミステリの融合として非常によくできている上に、(僕の理解では)「フレーム問題」をロボットの一人称で書こうとした意欲作でもある(ただし、叙述にも仕掛けがあるため、真実はわからない。その意味で、一種のメタミステリにもなっている)。

僕の勝手な考えでは、たぶん、これが瀬名さんの資質に最も合ったジャンルなのだ。

人称の仕掛けだけなら、『パラサイト・イブ』もそうだったという解釈もできるのだけど、残念ながらあちらは全体が本格ミステリの体裁になっておらず、ホラーになっていたため、人称の仕掛けが読者に通じなかったわけだ。

 

昔の話を思い出したので、書いてみた。重ね重ね勝手な言い草かもしれん。

擬人化論争に続いて「あれはSFじゃない」論争があり、僕は「SFはジャンル小説である」という主張をしているのだけど、それはまたそのうち書くかもしれない。この「ジャンル性」も瀬名さんと意見が一致しない部分である。

 

[追記]

もっと正直に書くと、僕が瀬名さんの作品で一番好きなのは『八月の博物館』である。もっとも悩ましいのは『Brain Valley』で、これについては『週刊読書人』にレビューしたことがあるが、今なら「最後の1/4以外は大傑作」と言うと思う。『Brain Valley』は今の瀬名さんなら書かない作品かな、という気がする。

[もうひとつ追記]

瀬名さんがどのくらいクイーン好きって、『第九の日』という作品があるくらい。『第八の日』なんて、クイーンの長編の中でもかなりマイナーな部類でしょう。しかし、この『第八の日』はとんでもない問題作で、初めてこれを読んだとき、なんじゃこりゃと仰天した記憶があります。クイーン入門としては絶対にお薦めしませんが、国名シリーズもライツヴィルものも読んだというかたは、未読なら是非。

[さらに追記]

『パラサイト・イブ』はずっと入手困難だと思っていたのですが、今は新潮文庫で手にはいるんですね。僕は最初の版しか読んでいないのですけど、どこかの段階で改訂したという話を聞いたような記憶があります。上の話はあくまでも最初の版が出た頃の昔話です。


2008/03/14 EM菌投入は河川の汚濁源

カテゴリー: ニセ科学,EM菌

ひとつまえのエントリーにいただいたコメントですが、独立させます。

(と思ったら、実は既に「比嘉さんがくるぞ」にとしぞうさんが書いておられました。すみません。もっと早く気づけばよかった)

EM菌問題は相変わらず悩ましいですが、その中でも「EM団子を河川に投入すると河川が浄化される」と信じて小学校の環境教育に取り入れているケースは、子供の教育問題だけに悩ましさもひとしおです。

プラントを作った自治体もあったりするのですけどね。

しかし、効果なんかほぼ検証されていません。

ちょっと考えてみれば、本当にただ川に投げ込んだだけで生態系が変わるような微生物だとしたら恐いし、そうでないなら単に「川を汚しているだけ」だということがわかります。

というわけで福島県ではどうやら県がこれについての見解を出した模様。

http://www.minyu-net.com/news/news/0308/news3.html

.....

 県環境センターが、市販のEM菌など3種類の微生物資材を2つの方法で培養、分析した結果、いずれの培養液も有機物濃度を示す生物化学的酸素要求量(BOD)と化学的酸素要求量(COD)が、合併浄化槽の放流水の環境基準の約200倍から600倍だった。

.....

EM菌の効果があるかどうかではなく、「EM菌の投入は環境基準を超える汚染物質投入にあたりますよ」と言ってるのかな。もちろん、それでいいと思いますけど。

(追記:EM以外の微生物資材についても話は同じですが、EMだけが名指しされてるのは、知名度と影響力でしょうね)

しかし、福島民友にしか出ていないのでしょうか。福島民報のサイトでは見つからなかった。環境センターのウェブサイトにも出てないですね。

続報期待。

追記:

ここでのポイントは、「EMには効果があるかないか」以前にそもそも「ゴミを勝手に投げ込むな」という話なのだと思います。効果の検証がなされてはじめて、ゴミではなくなるわけで、「検証もせずに、まず投げ込んでみる」というのは非常に乱暴な考えかたです。

FooBarさんやとしぞうさんのコメントで紹介された

http://kkkcr.seesaa.net/article/88825087.html

に出ている

......

このため県は、微生物資材の河川などへの投入について「培養液そのものが高濃度の有機物で、投入後に固体と液体とに分離することができないことから、水を汚染することにつながる。微生物資材の中に水質浄化になどが含まれていても、慎まなければならない行為」との見解をまとめた。

......

というのは、きわめて冷静でもっともな話と思います。この記事は福島民友の紙版に出たのでしょうか。

 

EMを投入することで河川が浄化されるのかについて、おそらく客観的な検証で肯定されたことはなく、たとえば

http://www.pref.kumamoto.jp/madoguti/eco_faq.asp

にある

.......

婦人会や漁協、環境団体などで取り組まれており、これらの団体の話では効果ありとの情報がある一方で、公的な試験結果では水質浄化の効果が検証できなかったという報告もあります。

.......

というあたりが、自治体の典型的な「困り方」かと思います。

 

「えひめAI」は真剣に効果を検証しようとしているようです。使い方も無茶ではなくて、下のマニュアルによれば浄化槽で使うことになっています。

http://www.iri.pref.ehime.jp/iri/info/biseibutu/AI-1.pdf

こういうマニュアルがあってもなお、勝手に川に投げ込んじゃう人が出てこないとは限りませんが(もう事例がある?)。

浄化槽で使うことと川にどかどか投入しちゃうこととはまったく別の話ですよね


2008/03/14 「信じぬ者は救われる」

カテゴリー: 日 記

いろいろばたばたしていて、出版されたことをきちんと書いていませんでしたので、改めて。予告したとおり、香山リカさんと対談させていただいたものが「信じぬ者は救われる」(かもがわ出版)として本になっています。

 

ニセ科学問題と俗流スピリチュアルの流行とは近い関係にある、というのが問題意識で、その中でも特に「信じる」ことについていろいろ話したものです。

もともとは僕が香山さんにいろいろ教えてもらおうという魂胆だったのですが、結果的には「困ったねえ」と言い合って終わっているという感じです。「どこに困っているのか」が伝わってくれれば、と思います。

その困り方自体は、このブログや他のところで僕に限らずいろいろな人が語っていることなので、ブログの読者のみなさんにはさして目新しくはないかもしれませんが、僕自身の「困り方」はわりと正直に出たかなという感じです。

すっきりといかない話ばかりなんで、たぶん読後感も「もやもや」になると思うのですが、「もやもや」してください(^^;

「ニセ科学入門」はなかなか進みませんが、対談出して終わりというわけにはいかないので、こちらもなんとかして書きます。


2008/03/13 スペイン風邪とホメオパシー(また浜六郎氏と「やっばり危ないタミフル」)

カテゴリー: サイエンス,インフルエンザとタミフル問題

また津田さんに怒られそうなのだけど、スペイン風邪の問題について、僕の考えを整理させてください。

浜六郎氏の『やっぱり危ないタミフル』の中にほんのちょっとだけ書かれている内容です。ページ数にすればほんの数ページです。だから、津田さんは「瑣末事」とおっしゃるかもしれません。なぜ本論を議論しないのかと言われるでしょう。

しかし、このスペイン風邪に関する記述は、この本全体の信頼性を大きく損なうものだと僕は考えます。なぜなら、この部分は極めて怪しいデータに基づく粗雑な解析から、非常に強い主張をしているからです。ここがこの怪しさで、「他の部分は信頼せよ」と言われてもかなり困る気がします。少なくとも僕は困ります。

  

浜氏は「パンデミック恐れるに足らず」と主張されており、その根拠として「第一に、スペイン風邪における死亡の最大の原因が、おそらく強力な解熱剤のアスピリンであったということだ」が挙げられています(p.231)。つまり、「スペイン風邪アスピリン主因説」はパンデミック問題の鍵を握るわけです。

スペイン風邪の死因としてアスピリンが考えられるということについては、それ以前にも「実際はアスピリンそのものが感染症を重症化させ、戦争で心身ともに疲弊していた多くの人を死に追いやったのだ」(p.99)といった記述があります。これはアメリカを念頭に置いているので「戦争」という言葉が使われています。スペイン風邪では、日本でもたくさんの死者が出ているのですが、それについては本の中で触れられていないと思います。

では、スペイン風邪の最大の死因がアスピリンだという根拠はどこにあるのかですが、それについては「興味深い文献を教えてもらった。スペイン風邪の時期、解熱剤などに頼らない治療をした医師50人の経験をまとめた1921年の論文である」(p.75)として、

Dewey, W.A., Journal of American Institute of Homeopathy, May 1921, p.1038-1043

が挙げられています。ほかのページもいろいろ見たのだけど、根拠として挙げられている文献はこれだけだと思います。しかし、よりによってこれはホメオパシーの論文です。興味深いというより、興味深すぎます。

この論文そのものは入手が困難なのですが、ホメオパシー界では有名な文献らしく、そこからの抜粋を含む記事はインターネットで見つかります(抜粋ではなく、全文のようです。下のFooBarさんのコメント参照)。たとえば

http://www.homeopathy-info.co.uk/homeopathy-resources/flu.php

読めばわかるように、たしかに浜氏の言うとおり、「異句同音にアスピリンの危険性を指摘している」のですが、ホメオパシーなら当然です。浜氏はこの論文中の数値を用いてオッズ比を求め、「死亡の85-97%がアスピリンのせいであったと推計できる」と結論しています。僕の理解が間違っていなければ、要するにそれがすべてです。間違っていれば、ご指摘ください。

 

上述のように「解熱剤などに頼らない治療をした医師」と書かれていたり、「この時期に、すでにアスピリンの危険性を察知した医師は多数いたようだ」などと書かれていたりするので、「当時も偉い医者がいたのだなあ」という気にさせられますが、これが実はホメオパスのことだといわれれば、だいぶ印象は違うのではないでしょうか。「解熱剤などに頼らない治療」をするのはホメオパスなら当然です。あらゆる薬を使わないのですから。彼らが使ったのはホメオパシーのレメディです。どんなレメディを使ったかは引用文献にきちんと書いてあります。

 

指摘しておきたいのですが、この文献は決して「アスピリンの使用と不使用を比較する」ものではありません。「通常医療に比べてホメオパシーがいかにすぐれているか」を示すための論文です。当然、「ホメオパシーが優れている」という証言しか掲載されていません。数値が出ているものもそうです(原論文がないので、違う証言も出ているのかもしれませんが、あまりありそうにない)。明らかにホメオパシー寄りにバイアスのかかったデータしかないわけですから、それをもとにオッズ比をどれほどまじめに計算しようと、信頼できる結果が得られるはずがないんですよ。ほかにデータがないのはわかりますが、このデータはたぶん「ないのと一緒」です。

この時期、アスピリンが盛んに用いられたことは事実です。アメリカはアスピリン・エイジに向かうところだし、日本でも薬局で容易に手にはいったようです。アスピリンとライ症候群の関係は明らかになっていますから、先進国ではアスピリンが死亡率を上げたのではないかという推測自体はありうるのだと思います(スペイン風邪の死者はライ症候群の症状ではないはずですが)。それ自体がまずいわけではないはずです。

しかし、「死亡の85-97%がアスピリン」とか、最大の死因はアスピリンだから、アスピリンさえ使わなければたいした数の死者は出なかったはずというような強い主張をするには、いくらなんでもデータの由来が無茶でしょう。ちなみに、PubMedをざっと見た限りでは、アスピリン主因説を主張する論文は見つかりませんでした。

 

翻って、スペイン風邪ウィルスを再生してマカクに感染させた実験があり、少なくともマカクに対してはサイトカイン・ストームを起こすことが実証されています(下でちがやまるさんから、サイトカイン・ストームとまでは言い切らないほうがいい旨の指摘がありました)。

http://www.jst.go.jp/pr/announce/20070118/index.html

これはスペイン風邪が通常のインフルエンザと違い強い致死性を持つことについてのかなり強力な証拠だと思います。

アスピリン主因説を唱えるなら、最低限、このマカクの実験をどう考えるかについてのコメントは必要ではないでしょうか。僕の読み落としでなければ、この実験については触れられていないと思います。違っていればご指摘ください。ホメオパシーの論文を重視するくらいなら、この実験を重視すべきでしょう。

最後にひとつ重要な点を。たしかにライ症候群があるので、インフルエンザにアスピリンを処方すべきではありません。それはそうです。

しかし、「この時期に、すでにアスピリンの危険性を察知した医師は多数いたようだ」と書くことによって、あたかもホメオパスが先見の明に富んだ医師たちであるかのように思わせるのは非常にまずい。彼らは先見の明をもって「アスピリンの危険性を察知」していたのではなく、ホメオパスだからあらゆる薬を否定していたのです。それがたまたま正しかったとしても、ホメオパシーの肩を持つ理由にはならないでしょう。

結果的に、浜氏はホメオパシーの肩を持ったことになります。これには、正直、途方に暮れています。ちなみに浜氏の本にはどこにも「ホメオパシー」と日本語では書かれていません。雑誌のタイトルにHomeopathyという単語が含まれることに気づかなければ(普通はそこはスルーでしょう)、読者もまさかホメオパシーだなんて思わないでしょう。意図的に隠したなら非難されるべきだし、ホメオパシーのなんたるかを知らなかったのなら軽率です。

前にも書いたように、

http://npojip.org/newspaper/asahi/20011229.htm

はインフルエンザについて冷静に書いたよい記事だと思うんです。僕はタミフル事件が起きるまで浜氏の文章をまじめに読んだことがなかったので、極論を言う人なのだと思い込んでいました。ところが、津田さんや多くのかたが高く評価しているのを見て、よくわからなくなったわけです。だけど、この2001年の記事を読むと、バランスの取れた書き方だと思います。それがどうしてこういうことになったのか、理解しがたいです。

 

余談ですが、今回「日本を襲ったスペイン・インフルエンザ 人類とウイルスの第一次世界戦争」(速水融)という本を読みました。ものすごい労作です。スペイン・インフルエンザが日本でどれほどの猛威を奮ったか、今まであまり語られてこなかった事実を掘り起こしてまとめています。ぜひお読みください。

 

[追記]

浜氏がホメオパシーを知っていたかどうかについて、上にはかなり穏便に書きましたが、正直なところ、僕は浜氏がホメオパシーのことを知らなかったとは考えていません。NATROMさんがはてなブックマークでそう推測しておられたので、きちんと書きます。

理由は、問題の文献にGelsemiumやBelladonnaやBryoniaが使われたことが明記されているからです。もしホメオパシーがなんであるかを知らなかったとすれば、この文献はアスピリンの代わりにアルカロイド系の生薬を使った事例の集まりとして読むべきで、疫学としてはアスピリン使用・不使用ではなく、アスピリンvs.アルカロイドで効果を比較することになったはずです(アスピリンを使用した群とアルカロイドを使用した群はあっても、どちらも使用しなかった群がない)。これをアスピリン使用・不使用の比較と読めるのは、「ホメオパシーなんだから、薬効成分は含まれないはず」ということを知っているからとしか考えられません。

アスピリンのことだけを論じた文献でもなければデータでもないわけです。もし、文献通りにデータを受け取るなら、結論は「ホメオパシーは通常医療よりも効く」です。実際、どうやらホメオパシー界ではこれが「ホメオパシーが感染症にも効くことを示した文献」として知られているようです(ということも今回知ったわけですが)。浜氏の解析がそういう結論になっていないのは、「ホメオパシーは効かない」ことを知っているからでしょう。

というわけで、浜氏はホメオパシーとは何であるかを知った上で、ホメオパシーという言葉を隠して、あたかも単なるアスピリン不使用のデータであるかのようにあつかったのだと推測するに足るだけの十分な理由はあると考えています。

このようにホメオパシーのデータを利用するのは、パンドラの箱を開けるようなものだと思いますが。

 

津田さんには「ニセ科学とは議論しないということか」と責められるのだけど、こういう考察を続ければ続けるほど、「議論は無理」という気になります。


2008/03/09 さらに渋滞の続き

カテゴリー: サイエンス

身近な問題についてあまりにも基礎的な話をしようとすると、なかなか難しいですね。おそらく、「非常にわかりやすい問題に対する一見非常にわかりやすいが実は意外にわかりにくい研究」ということなのでしょう。わかりやすいと思ったんだけどね。

 

渋滞発生を相転移として理解するなら(その描像自体は正しいと思いますが)、コントロールパラメータは密度になります。ボトルネックなしの系であっても、密度を臨界以上にすれば渋滞は不可避であるということで、これは「そうなんだから、しかたない」というレベルの話です。

だからといって、現実の系でボトルネック対策は無駄だとか不要だとか言いたいわけではありません。道路を広げれば渋滞しない、などと言っているわけでもない。そういう極端な捉え方も見かけますが、そうではない。

ただ、渋滞対策としては、ボトルネック部分だけを考えるのではなくて、大局的に見たほうがいいとは言えるでしょう。数理モデルからいろいろなヒントは引き出せます。明日の対策にすぐ役立つと思われても困りますが。

一番可能性があるのは、やっぱり数理モデルに基づく「予測」かな。

 

現実の道路ではありえないほど距離を詰めた実験など、なんの意味があるのか、という質問もあるのだと思います。

この実験は数理モデルで得られる結果が実際の車で再現されることを示したもので、問題にしているのは、一般的な話として、「臨界密度を越えると渋滞は自然発生する」ということです。

数理モデルにはたとえば最高速度などがパラメータとしてはいっていて、それを今回の実験条件に合わせたものに基づいて実験しています。したがって、高速道路のパラメータとは違うものです。高速道路(それどころか一般道でも)で、今回の実験のように走ることなどありえません。

臨界密度の値は条件によります。高速道路のパラメータならだいたい40mに一台くらい。今回の実験のパラメータなら10mに一台くらいです。車頭距離でそのくらいなので、車間だともっとだいぶ近い(このくらい短い距離だと、車頭と車間はだいぶ違いますね)。

なんというか、「臨界密度の値は実験と高速道路で違うが、起きる現象は同じ」ということなんですが。

 

それから、「言葉遣いがおかしい」という指摘があるのは当然で、それについては苦慮しているとしか言えません。すみません。

それこそ、前に書いたように、「渋滞」という言葉からして日本の道路行政で使うものと違っていますし、日常用語ともイコールではないですが、じゃあ何て呼ぶ? と考えると、やっぱり「渋滞」という言葉しか思いつかない。論文や解説記事ではどういう状況を指すつもりかをきちんと言って、曖昧さをなくしているはずです。論文は英語だからJamと書いてあって、これで通じるのだけど、たぶん「Jam」と「渋滞」も本当はイコールではないのでしょうね。

高速道路上でループコイルを使って測定する量とモデルや実験で使う量も定義がちょっと違う。このあたりも、曖昧さのないよう、そのつど説明をすることになります。その他もろもろ。

 

[追記]

あと、どうもうまく伝わってないように思えるのは、これは「実験結果が論文として出た」ということだという点ですかね。結果の正否にかかわる学術的な議論は、これから始まるわけね。追試とか反証とか。論文が出るまでは、議論は始まってないのですよ。

論文の著者はもちろん自説を主張しますが。


2008/03/07 数と密度 (渋滞論文の話の続き)

カテゴリー: サイエンス

asahi.comでの見出しが「渋滞、車多いと自然発生」だったために「そんなの当たり前」という反応がネット(というか、2ちゃんねる)に多いのですが(^^;。

もし本当にそんな馬鹿な話なら、論文になってインパクトファクター3.75の雑誌の査読を通るわけないと思うんだけどね。

 

asahi.comの見出しは大阪版第4版に基づいているようなのですが、実は大阪版3版の見出しは「渋滞原因は車の密度」でした。

ちなみに記事のリードには3,4版とも「一定密度を超えると」と、密度であることをきちんとかいてあります。これはネット版でも同様。だから、きちんと読めば「数」ではなくて「密度」であることはわかるはずなんですが、見出ししか読まない人が多いようです。4版とasahi.comの見出しはたしかにちょっとミスリーディングです

 

長さを固定すれば密度と数はほぼ同じことを表現しますが、そうでない場合はまったく別のものです。何台なら渋滞するんだ、という質問は条件が曖昧すぎて答えが一通りではありませんが、「密度」ならもっとはっきりしたことが言えます。

数理モデルの範囲でいうと、条件さえ整えれば「数台」しかいない条件下でも渋滞をかなりきちんと定義できますよ。いずれにしても、「数」ではないということです。

それは当然で、「多いか少ないか」は比較対象がなければ言えないからです。

 

まあ、新聞の見出しだけで論文の中身を議論しようというのは基本的に無理なんで、できれば論文のアブストラクトなりとも読んでいただけるといいですね。無料で誰でも読めるので。

ちなみに「実証」の意味についても、論文にはちゃんと慎重に書いてあります。そんなことは当然ですが。

論文はIOP selectになったし、IOPのニュースにもプレスリリースにも出てます。馬鹿論文をselectにするほどIOP(イギリス物理学会ね)はダメじゃないと思う(^^;

というわけで、ひさしぶりに2ちゃんねるを読んでしまいましたよ。すごくわかっていて、的確なコメントをされてるかたもおられるので、ちょっと安心しました。

惜しいのは、すごくわかっていてかつ否定的に書かれたコメントの中に、原論文を読んでもらえばそれについてもちゃんと書いてあるのに、というものがあること。こういうのは残念です。「実証」の意味も含めてね。

それにしても、2ちゃんねるは文化が独特すぎて、読むだけで疲れます。僕には向かないと改めて思いました(^^;


2008/03/06 研究組織

カテゴリー: 日 記

渋滞の論文はよくも悪くも(^^;)いろいろ話題になっているようで、ありがたいことです。

ひとつわかったのは、この研究のような研究組織はなかなか理解してもらえないということです。「組織」っていうより、単なる「集団」で、単に集まって一緒にやってるだけなんですけどね。今のところ、研究資金で結びついてるわけでもないんで。

今回のグループは大学でくくると、名大・阪大・東大・佐賀大・名城大・愛知大・中日本自動車短大とばらばらで、特に誰がボスでもないんです。ていうか、教授と准教授だけで構成されたグループで、しかも同じ研究室の教授と准教授という組み合わせはないので、上下関係はない。驚くほど民主的に運営されている(^^

今回の論文は杉山さんを筆頭著者にしていますが(これはみんなでそう決めたので、それでよい)、あとはアルファベット順に並んでるだけ。

元をただすと、大きくわけて4つの別々の研究グループだったんです。

 

それでも、どうしても、名大の研究グループとか阪大の研究グループとかいうくくりで理解したくなるみたいですね。

2ちゃんねるに、「阪大の研究だからだめ、東大ならよかった」みたいな書き込みがあったんですが、東大もちゃんと含んでいるんで、あまりのダメさに頭が痛くなりました。

たまたま、国内で最初に出た朝日が僕に取材したので「阪大など」という見出しをつけたんですよ。ちゃんと「など」と書いてくれてるのに、読み飛ばしちゃう人は多いんですね。それ以外はだいたい筆頭著者が杉山さんだから名古屋大のグループだと思ったみたい。

  

研究グループそのものが理解しづらいらしい、ということはわかりました。だからどうだということではないですが。理論物理なんかにはこんなやりかたはいくらでもありそうなんだけど。

とにかく強調しておきたいのは、これは阪大の研究だとか名大の研究だとか、そういうものではないということ。うーん、組織に属さない研究、なんです


2008/03/04 渋滞の論文が出ました(または相転移現象としての交通渋滞)

カテゴリー: サイエンス

New Journal of Physicsの3月号がダウンロードできるようになりました。

我々の渋滞論文は↓

http://iopscience.iop.org/1367-2630/10/3/033001

"Traffic jam without bottleneck – Experimental evidence for the physical mechanism of formation of a jam",

Yuki Sugiyama, Minoru Fukui, Macoto Kikuchi, Katsuya Hasebe, Akihiro Nakayama, Katsuhiro Nishinari, Shin-ichi Tadaki and Satoshi Yukawa

(New Journal of Physics 3, 1 (March 2008) 016001)

サイトから論文のPDFとビデオをダウンロードできます。

無料で誰でもダウンロードできますので、どうぞ。

 

New Scientistの記事

http://technology.newscientist.com/article/dn13402

まあ、記事の中に懐疑的なコメントがつけられてしまうのもしかたないということで。

YouTubeのNew Scientist Videoでナレーションつきのダイジェストも見られます。まさか、こんなことするとは思わなかったですが・・・

http://www.youtube.com/user/newscientistvideo

 

朝日新聞の大阪版夕刊に載った(はずの)記事

http://www.asahi.com/kansai/sumai/news/OSK200803040038.html

大阪版なので「阪大」を強調しているのはご愛嬌ということで。本文はきわめて的確な要約になっています。

 

ちなみに、この実験は名古屋大の杉山さんを中心として、さまざまな大学のスタッフが集まって行ったものなので(著者8人で所属が9カ所。学生はひとりもいません)、「名大の実験」でも「阪大の実験」でもありません。

 

[長い長い追記]:

誤解されないように繰り返しておくと、この実験は「確認」であって、背景には数理モデルがあります。

かつては渋滞は「ボトルネック」が引き起こすものと考えられていましたが、90年代にいくつかの数理モデル(微分方程式、セルオートマトン、結合写像など)が提案され、そのどれもが渋滞は「相転移」であるという結論を出しました。もっともよく知られているのが杉山さんたちのOVモデルです。OVモデルは数理的な解析がしやすく、設定によっては厳密解も得られています。一方、僕たちはセルオートマトンや結合写像のモデルを扱っていました(ちなみに、モデル間の関係は西成さんによってある程度解明されています)。

ちょうど水が0度を境に氷になるように、自由走行と渋滞の間で転移が起きますが、それを決めるのは温度ではなく、密度です。「臨界密度」以上の密度になると、自由走行状態は「不安定」となり、かすかな速度ゆらぎでも渋滞へと転移します。現象としては、低密度では速度ゆらぎが後ろに伝わるにつれて減衰するのに対し、高密度ではゆらぎがうしろに伝わるにつれて拡大します。渋滞を決める本質的に重要なパラメータは密度であるということです。

このような「相転移描像」が90年代以降に発展した「物理的解釈」です。したがって、数理モデルや数値シミュレーションなどでは、さまざまなことがすでにわかっていたのですが、それを実際にやってみたというのが、今回の実験。僕たちはみんな理論やシミュレーションをやってきたのですが、数理モデルに基づく「物理的解釈」がなかなか世間(^^)に受け入れてもらえないので、本物でやってみせたという「デモ」だと思ってもらってもいいです。

[さらに追記]

相転移であるという意味は、非渋滞と渋滞の違いは単なる「程度問題」ではなくて、質的に違う「完全に区別のつくふたつの状態」ということです。これは道路行政上の「渋滞」の定義とは違います。

[もうひとつ追記]

もっとちゃんと言うと、「渋滞が安定だが、自由走行も準安定」という密度領域があって、ここでの自由走行が氷でいえば「過冷却」に相当する部分。極端に簡単なモデル(rule184セルオートマトンなど)ではこの状態がないのですが、高速道路での実測データ上は準安定領域があるように見えるので、準安定を持つモデルのほうがより現実に近いと考えられます。今回の実験で一様走行がしばらく続くのは準安定だからというのが一番もっともらしい解釈だし、そう考えてはいます。ただし、小さいシステムでもあり、車もいろいろなので、準安定領域はぼけちゃうと思うんで微妙といえば微妙。密度が連続に変えられませんから(一台単位でしか台数を変えられないので)、この実験だけをもとにあまり細かい議論はしないほうがよいのだと思います。そういう意味で、数理モデルをきちんとやって、理解しておくことが重要なのです。いずれ、もっとでかいシステムで、いろいろ条件を変えて実験します・・・研究費ができたら(^^;

[追記はここまで]

 

ちなみに、この実験と同じようなものをテレビで見たという人も多いでしょう。

初めて実験が行われたのは、板東昌子先生を中心として我々を含む研究者が協力した東海テレビの番組でした。残念ながら、これはデータを取ることを想定しない実験だったため、論文化できませんでした(今回の論文で触れています)。

その次はまさに今回の実験そのもので、2003年に行いました。これは「現象を見る」だけではなく、きちんとしたデータを取ることを最大の目標に、全周ミラーをつけたビデオカメラなども揃えて臨んだものです。その成果は論文の中の図になっています。このとき、実験を聞きつけたフジテレビが録画して放映したいというので、実験の一部をテレビ番組に使うことを許可しました。交通バラエティとかいう短命の番組でした。この番組を見たかたは、つまりこの実験そのものを見たわけです。

その後、いくつかのテレビから実験したいとい申し出があったのですが、だいたいは断っていて、その次は西成さんが出た「世界一受けたい授業」だと思います。このときの実験はたぶんデータ化されていない。

というわけで、「そんな実験ならテレビでやってた」というあなた、それは我々の実験です。それがようやく論文になったというわけ。

もちろん、我々が関与してない実験もテレビで放映されているのですが、それらはことごとく「相転移描像」に基づいた実験ではありません。それらのテレビで「示された」ことは、我々に言わせれば「本質的ではない」ということです(たとえば、先頭が急ブレーキを踏む実験もありました。一方、急ブレーキは関係ないというのが我々の実験)。

[追記]ネットを見ると、急ブレーキ実験は200Xだったのかな。もちろん、臨界密度以上で急ブレーキをかければ渋滞のきっかけになるのですが、それは本質ではない。特に誰かが急ブレーキをかけたわけではなくても渋滞になります。[ここまで]

 

念のために言いますが、テレビ局からは研究資金もなにも一切貰ってませんから。

貧乏なんだよ。各自の研究費を持ち寄って実験したんだよ。ビデオカメラは誰の研究費で買って、全周ミラーは誰の研究費で買って、みたいな。理論グループだから研究費ないんだよ。

 

[感想の追記]

新聞記事になったので、結構いろんなとこにコメントがあるんですが、意味をすごくよくわかってくれてる人たちと全然理解してくれてない人たちがいて、なかなか難しいですな。というわけで、たくさん追記していますが、それでどうなるというものでもないかもしれない。相転移描像は理解しずらいですかね。

朝日の記事はコンパクトでかつ極めて適切な要約になっています。足りないことがあるとすれば、物理的な数理モデルと相転移描像は90年代以降の理解であること、かな。あの記事以上のことは論文読んでもらうしかないかも。ゆらぎの伝わり方が密度によって「質的に」変わるというのは、全然自明じゃないんだけどね。

もちろん、90年代前半に学会で渋滞の話をすると、「あたりまえ」とか「この効果が大事なはずだ」とか言われたりもしたんで、研究者だって10年前はそうだったんですけどね。日常的な問題は、みんななんとなく「わかってる」気がするようで、しかたないね。

ついでだから、歴史的な話。90年代に日本の物理学者で渋滞を真剣に考えた最初の研究者は高安秀樹・美佐子夫妻で、彼らはすぐにやめちゃったんだけど、そのモデルはすごく単純なのに結構深い。70年代には武者先生の1/fゆらぎの話がありましたが、あれは観点が違う。

「今さら、なにを」というコメントも散見するので、いちおう繰り返しておくと、我々は90年代前半から「相転移描像」でやってるんで、単に「実験論文」がようやく出たということです。実験から論文刊行まで4年かかってるのは(1)僕らが怠け者でなかなか書けなかった(2)Natureをはじめとして、たくさんrejectされた、からです(^^。rejectのたびに書き直すわけですが、怠け者なんで

[その他のこと]

さまざまなリンクは只木さんのところにあります

http://traffic.cc.saga-u.ac.jp/experiment.html

それから、当然なので書き忘れてたけど、一般向けの解説が読みたい人は西成さんの「渋滞学」読んでください。[追記]気づいてないかもしれないけど、西成さんもこの論文の共著者です。西成さんの本に載ってる実験写真はこの実験そのものです

[感想の追記]

ニセ科学の話をするときに、科学者はいろいろ条件をつけていいわけするから嫌われる(ニセ科学は白黒言い切る)って言うんですが、このエントリーはその実例そのものになってきたかも(^^。要約はどれほど正確に見えても誤解を生み(新聞などの要約は、今回の場合、僕らから見ればかなり正確なんです。ただし、コンパクトなので単語をひとつ見落とすだけで不正確になる)、正確に伝えようとするとくどくなる。難しいですな


2008/03/03 江原啓之の言い分

カテゴリー: オカルト・スピリチュアル

詳しく書いている時間がないので、取り急ぎ。

今日発売の「週刊現代」が江原さんにインタビューしています。

BPOから警告された番組のこと、「生きている人」を霊視した件、そして大学で教える件。

もちろん、いいわけをしているのですが、いろいろな意味でなかなか読み応えがあります。


2008/03/03 シクラメンのかをり

カテゴリー: サイエンス

「実験医学」誌が匂いの認知の特集を組んでいます。

興味深いのはヒトで、たぶんヒトの嗅覚というのは退化しつつある感覚なんですよね。

男性が出すある種のフェロモン様物質を3割の人はまったく認知できず、認知できる人の中でもその感受性は1000倍程度のばらつきがあるとか、なんかそんな話(うろ覚えで書いてるので、興味のあるかたは確認してください)。

 

それはそれとして、シクラメンのかをりなんですが。

「シクラメンのかほり」という歌がはやったとき、シクラメンに香りはないじゃないかという話題がありました。実際、いろいろ調べてもシクラメンは品種改良の過程で匂いを失ったとされています。つまり、「匂わない花」として知られていたのに「シクラメンのかほり」ってどうよ、ってことです。

歌がヒットしたのを受けて、原種とかけあわせることで「香るシクラメン」が作られたりもしたのですが、もちろん今でも花屋で売られている普通のシクラメンは匂いません・・・たいていの人には

 

友人の某女子はシクラメンの匂いを感じるそうです。それもかなり強い匂いとして認知するらしい。部屋にシクラメンが置いてあれば、見なくてもわかるみたいです。だから、視覚から来る錯誤(共感覚とか)ではなく、たしかに嗅覚で認知しているようです。

多くの人が失ったリセプターの遺伝子が発現しているのでしょうか・・・

 

というわけで、ここでの質問。

シクラメンの匂いがわかる、というかたはほかにもおられますか?


2008/03/01 本が出るのですが

カテゴリー: イベント・告知

すみません。自分で書いてる本はまだ出ません。てか、書きあげてません。

香山さんとの対談本は、一部書店のウェブサイトによれば今日書店に出るらしいです。本はこれ↓

http://www.kamogawa.co.jp/moku/syoseki/0155/0155.html

 

「信じぬ者は救われる」という題で、それってどうよとお思いかもしれませんが、中身はそのまんまです。今、別エントリーで議論になっている江原とターミナル・ケアみたいな話にもつながっています。

 

で、ですね。献本リストをまだ作ってないんです。

自分は貰えるはずだと思うかたは、うっかり買わないでください。すみません、妙な言い方で。ありとあらゆることが後手後手でして。