「科学とニセ科学」レジュメ(ver.2)

この文書は大阪府研究職職員研修会 (2003/2/17 於マイドーム大阪) のために作成したレジュメの改訂版です

「ニセ科学」とは耳慣れない言葉かもしれないが、ここでは『科学であるかのように装ってはいるが、実は科学とはよべないもの』をそのように呼ぶことにする。最近の実例をいくつかとりあげ、なぜそれがニセ科学なのか、そして、なぜ多くの人々がそれを信じるのかについて議論したい。なお、心霊現象やオカルトなど、科学を装っていない(装う手間もかけていない)ものについては、今回は取り上げない。

ちなみに、「ニセ科学」という用語は参考文献に挙げたシャーマーの著書の邦題からいただいた。用語としては「疑似科学」や「似非科学」よりも単刀直入でいいと思う。

典型的ニセ科学

練習問題:血液型性格判断

  1. 古川竹二説(1927):
    はじめからニセ科学だったわけではない。むしろ、研究としての目のつけどころはよかったのではないか。
  2. 1970年代以降の能見親子によるリバイバル:
    現在へ続く血液型信仰の源流。
  3. 心理学の問題としては既に充分に研究されており、血液型と性格の関連は認められていない:
    否定されたあとの対応によって、普通の科学にもニセ科学にもなる
  4. 考察(なぜ受け入れられ、信じられるのかについての仮説)
    1. 4分類という思い切った割切りかた(10分類では誰も覚えようと思わない。1分類では面白みに欠ける)による使いやすさ(雑誌記事等)とわかりやすさ
    2. 一般的な教育程度の高さにより、血液型がメンデル式の遺伝をすることは一般常識となっている。つまり、遺伝現象の典型としての血液型。性格が遺伝するのであれば、典型的な遺伝現象である血液型と関連しても不思議はない、と思ってしまうこと。
  5. 深刻な弊害:
    就職・配属等での差別。依然として、企業のエントリー・シートには血液型の欄がある場合が多い(何に使うのか?)。血液型別プロジェクト・チームの実例あり。
  6. よく訊かれる質問:
    「心理学のアンケート調査では関連が見つからなくても、実は微かな関係がある可能性は否定できないのではないか」
    それはその通りで、よくよく調べると弱い相関があるということになるかもしれない。それ自体は、科学の問題として意味がある。しかし、血液型性格判断はそのような微妙な関係のことを言っているのではないことに注意。上の質問は血液型性格判断とはなんの関係もない。もっとも、測定限界ぎりぎりで話をしなくてはならないとすれば、それはラングミュアのいう「病的科学」の兆候でもある。

フリー・エネルギーまたは永久機関

  1. 日本では永久機関に対して特許はおりない (自然法則に反するから。具体的には熱力学第1・第2法則)が、 フリーエネルギー装置とは、無からエネルギーを生み出す装置で、第1種永久機関(エネルギー保存則を破る)。猪股修二氏のNマシンや井出治氏のエーテル・エンジン、湊弘平氏の磁力回転装置などがそうであると主張されている(ほかにも多くの例)
  2. さまざまな怪しい理論:特に磁石のはたらきについての誤解・曲解にもとづくものが多い(磁石は想像力をかきたてる)
  3. 当然、超効率(入力より大きなエネルギーを出力)は達成されていない:達成したという報告はあるが、機械内でのエネルギーロスを差し引いたものであり、信頼できない。そもそも、必ずロスがあること自体が、熱力学第2法則の結果。
  4. エネルギー保存則との関係についての言説
    1. 「エネルギー保存則(あるいは熱力学の法則)は証明されていない」
      それ自体は正しい。少なくとも演繹的には証明されないが、物理法則とはそもそもそういうもの。エネルギー保存則は経験の集積であって、膨大な傍証に裏付けられている。仮に熱力学の法則が破れるなら、その影響は科学のあらゆる分野におよぶ。フリーエネルギーによって、エネルギー問題だけが解決し、他に影響が及ばないと考えるのは想像力がなさすぎる。
    2. 「未知のエネルギー源があるのであって、それも含めてエネルギー保存則は成立」
      それ自体はありうる。物理の分野でも、時折、まじめな研究として新しいエネルギーが話題になることがある。ただし、それが「エネルギー」としての資格を持つものであることを確かめる必要がある。フリーエネルギー装置は、あまりにも”何も考えていなさすぎる”ところが問題。
  5. なぜフリー・エネルギーを求めるのか:
    フリー・エネルギーができればエネルギー問題が解決すると思い込んでいるようだ。しかし、「フリー・エネルギーがあれば、どんどんエネルギーを使っても大丈夫」と考えるのは基本的に誤っている。エネルギー問題と環境問題は分かちがたく結びついており、エネルギー消費が増えればそれだけ環境負荷は増す。つまり、熱力学第1法則だけを破ってもだめで、第2法則を含む熱力学すべてを覆すのでないかぎり、フリーエネルギーによって世界がよくなることはありえない。もっとも、この問題は他の原子力発電や核融合などでも同じことだが。そういう意味では、エネルギーさえ作ればエネルギー問題は解決するという考え方自体が「ニセ科学」の要素を持っていることは頭にいれておくべきである。

マイナス・イオン騒動の教訓

  1. 昨年のマイナス・イオン・ブームの特徴は、大手家電メーカーがこぞって参入したところにある。その点が、後述の「波動」などとは大きく違う。放電や水破砕でマイナス・イオンを作ろうとするのはまだ分からなくもないが、トルマリンを掃除機に導入したサンヨーにいたってはもはや別の世界に行ってしまったとしか思えない。ブームはすでに終わりつつあり、家電メーカーはなにごともなかったかのように撤退するのかもしれないが、その責任は重い
  2. ごく少数の「権威者」に率いられたブームであることも頭にいれておくべき。堀口昇・山野井昇・菅原明子の三氏が権威とされているが、誰一人としてまっとうな研究者とは呼べないことには注目すべき(堀口氏は医院の理事長。山野井氏は東大医学研究科の教務職員だが東大の研究者総覧には記載されていない。菅原氏は個人研究所を主宰し、またマハリシ国際大学客員教授の肩書きももつ。ただし、3人とも博士号は持っている)。
  3. マイナス・イオン騒動の問題点はほぼ出つくしている。
    1. マイナス・イオンとはいったいどういうイオンかが明確にされていない
    2. そもそもマイナス・イオン発生法と称するものにはいくつものタイプがあり、それらが同じイオンを出すとは考えにくい(イオンを発生するとは思えないものもある)
    3. マイナスはよくてプラスは悪いという理論の根拠がなく、そもそもマイナス・イオンが身体に与える影響ははっきりわかっていない
    要するに、きちんと調べてから製品にでもなんにでもすればいいはずなのに、何もわかっていない段階で、さまざまな分野のメーカーが伝聞程度の情報を参考にして商品を次々に作った、ということ。
  4. にも関わらず、マイナス・イオン信仰が一般に広まったのは、「権威者」のマーケッティング戦略もさることながら、むしろマスコミの責任が大きいのではないか
  5. 考察:なぜ受け入れられたのか
    イオンという言葉の持つ「なんとなく科学的っぽい」イメージ。プラスは身体に悪く、マイナスは身体によい、という二分法の圧倒的なわかりやすさ。留保条件もなにもない潔さ。

波動

  1. マイナスイオンと違い、中小メーカーが大手との差別化のために導入して流行っているという印象
  2. 基本的には江本勝氏ひとりが権威者。しかし、江本氏は科学者ではないことに注目。源流は大橋正雄の「波動性科学」にあるが、大橋氏もまた科学者ではない。
  3. 「波動」は物理現象の波動とは無関係。むしろ、「波動測定器によって測られるもの」とでも定義するしかない
    1. 波動測定器は測定者自身(おそらく電気抵抗)を測定している
    2. 波動測定器は、さまざまな問題に対して一個の数値を出す。たとえば、ある食品は免疫力について21など。複雑な問題について、単位のない数値が一個だけ出されるという安直さに注目
    3. 波動は水などに転写できるとされる。ホメオパシーなどとの共通性
  4. 専門学会(サトルエネルギー学会)がある。しかし、波動が実在することを前提とした学会なので、批判力は持たない
  5. めいらくグループ(スジャータの製造元)が波動医学総合研究所を設立
  6. なぜ受け入れられるのか
    1. 「波動」という言葉のもつ「なんとなく科学っぽいイメージ」
    2. あまり勉強しなくても、江本氏の本さえ読めばいいという安直さ
    3. わかる気分になれる:「よい波動」といわれるとなんとなく納得してしまえる
    4. 身体にいいかどうかを数値一個で出してくれる魔法の装置の存在:実は魔法なのだが、それが「数値」で表わされることによって、科学的に見える
    5. 大きな研究部門を持たない中小メーカーにとっては、波動測定器という一個の装置が出す数値だけを見ればよいという安直さが魅力
    6. 一個の数値でよいという割り切り
    7. 「転写できる」という都合よさ。水に転写するなら、原材料は水だけ。

波動にまつわる最近の深刻な問題:「水からの伝言」を道徳の授業に使う先生たち

江本勝「水からの伝言」は水の結晶写真を集めたものだが、「ありがとう」などの言葉を見せた水はきれいな結晶を作り、「死ね」などの言葉を見せた水の結晶は崩れているなどという話が書かれている。 これはもはや科学を装ってすらいないと思えるのだが(そもそも、水の樹状結晶がそう簡単に作れるかどうかも疑問・・・と書いたが、どうも結晶は確かに作れていると思われる(2004/7/16追記))、”実験結果”だということだけで科学的事実と思い込む人たちもいるようである。しかも、驚くべきことに、これを小学校の道徳の教材として使っている先生がいる。向山洋一氏率いるTOSS(教育技術法則化運動)に参加する先生のあいだで広まっているようだ。問題点は大きくふたつ挙げられる。
  1. 明白に非科学的であるものを「事実」であるかのように教えるという問題
  2. 水の結晶と道徳の関連性がまったく示されないまま、アドホックに”きれいな結晶ができるのはよいことである”として教えてしまうという思考停止具合
ニセ科学がこのような形で「理科」ではなく「道徳」や「総合的学習の時間」に侵入しつつあることは認識しておくべき。なお、TOSSでは下で取り上げるEM菌を「環境教育」の教材として使った実例も多く報告されている

EM菌はニセ科学か

  1. EM菌:Effective Microorganisms(有用微生物群)。ここでは琉球大学農学部・比嘉照夫教授の提唱になるものを指す。 数十種の微生物を安定的に共生させた系とされ、ゴミ処理・水処理・土壌改良に役立ち、食料問題や環境問題はEMで解決するらしい。また、EMの産出物を濃縮したEM・Xは強力な抗酸化作用によって人間の自然治癒力を高め、生活習慣病から果てはガンにまで効くという。と、効能を長々と書いたのは、「ニセ科学」という観点から興味深いため
  2. 土壌微生物の利用による土壌改良や微生物を使ったゴミ処理・水処理などは、重要な研究課題であり、考え方自体は決しておかしくない。少なくとも、最初はニセ科学と無関係だったと思われる
  3. いくつかの分野では実際に効果があると考えられる(ただし、学術的検証はあまり行われていないようだ。また、数少ない中には否定的な研究もある)
  4. 数十種の微生物を安定に共生させることが人為的に可能かどうかは疑わしい
  5. 食料問題や環境問題が解決するという言い方は、かなりニセ科学寄り(ただし、そういう誇張した発言をする研究者はよくいるので、ひどく変なわけでもない)
  6. よい面だけがあって悪い面がまったくない技術、という言い方はニセ科学的
  7. 万能性を謳いだすことは、ニセ科学の兆候(特にアトピーとガンに対する効能を言いはじめたら、疑ってかかるべき)。
  8. 比嘉氏自身の科学知識はかなりお粗末。波動や水の記憶、ホメオパシーなどを信じていることを公言している。EM・Xの安全性は磁気共鳴分析器(MRA)で調べたとの記述あり。MRAは波動測定器のひとつ。さらに最近の著書によれば、EMの波動は重力波らしいというのだが、重力波がなんなのかも知らずに書いていると思われる。物理の常識からすれば、ナンセンス
  9. 他の研究者からの批判に対する対応にはニセ科学に典型的なスタイルが見られる。
  10. なんらかの有用な(?)発見をした研究者が、それに「万能性の夢」を見てしまい、ニセ科学の道へ進んでいる(進んでしまった)という解釈が妥当なところか。

市民運動とニセ科学

  1. ときとして、市民運動家がニセ科学に入れ込むことがある
  2. 典型として、「週刊金曜日」に見るいくつかの事例
    1. 「買ってはいけない」問題:あたかも成分分析にもとづく科学であるかのように装いつつ、実は否定のための否定にすぎない(論理は破綻している)
    2. 連載小説でのフリーエネルギー礼賛(フィクションではあるが、政治的意図ははっきりしている)
    3. 「ポケモン」の光過敏癲癇事件を「電磁波問題のひとつ」とした論考
  3. 結論が先にあり、イデオロギーが科学に優先している。企業は悪い、電磁波は悪い、などなど
  4. 逆に自分のイデオロギーと相性のよいものを受け入れる傾向(信じたいものを信じる)。ニューエイジ的な思想が好まれる傾向はもともとある
  5. 一方で故高木仁三郎氏の活動などを礼賛しつつ、一方ではニセ科学を信じるという問題(深く考えることを放棄?)

考察:なぜ受け入れられるのか

  1. 科学的意匠とそれにも関わらず敷居が低いこと
    ニセ科学の信奉者は決して科学が嫌いなわけではなく、本物の科学よりもニセ科学のほうを「より科学的」と感じているのではないか。また、本物の科学をきちんと理解しようとすれば、ある程度の努力は必要だが、ニセ科学は縦書きの本を一冊眺めるだけでなんとなく理解できてしまう。その敷居の低さも重要な点だろう。
  2. 分かりやすさ:二分法などの思い切った割り切りかた。プラスはよくて、マイナスは悪い。数値が大きいほどよい。など。
    対して、科学は本来あいまいなもので、断定することはほとんどない。プラスとマイナスのどちらがよいかと訊かれても「プラスにもマイナスにもいろいろあるし、いいか悪いかと単純に割り切れるものでもなくて・・・」などと歯切れが悪くなるのが普通。しかし、一般には「白黒はっきりつけるほうが科学的」と思われているのではないか。
  3. 波動に関しては、「波動測定器」のアイデアが秀逸。あらゆる問題に対して一個の数字で答えてくれる(しかも、単位なし)。科学の訓練を受けたものにとっては、それこそがニセ科学である証拠のようなもの。しかし、科学の訓練を受けていないと、数値で表わされるということだけで「科学的」に思えてしまうようだ。これもまた、本当の科学には決して期待できない割り切りかた
  4. 願望充足
    信じたいと思うことを提示してくれる。一部の人たちにとっては、「信じたい」と「信じる」がほぼイコールなのではないか。特にいわゆる船井系(船井幸雄氏が支持するもの。波動・EMなど)を受け入れる人たちには(船井氏自身も含め)そのような傾向が強いと思える
  5. 論文は書かなくても本は書く
    科学的発見はきちんと論文にして他研究者の評価をあおがなくてはならないのだが、ニセ科学はおうおうにして論文にならず、一般向けの書籍として知識が流通する。書籍の形にまとまっていれば信じたくなるというのも人情ではある

考察:なぜ大発見をしてしまうのか

  1. ニセ科学者には確信犯もいるだろうが、善良な研究者も多そうだ。ありもしない「発見」をしてしまってニセ科学の道に踏み込んだのではないか
  2. 人間は自然の中に法則・パターンを発見する(そのように進化した?)。発見してしまうこと自体はしかたがないのだろう
  3. 二分法の罠:これは信じる側の理由としてあげたことだが、ニセ科学研究者側も「二分法」の誘惑に負けている。例外や留保条件なしに「白か黒か」が言えれば、たしかに研究者としては幸せだが、残念ながら科学とはそういうものではない
  4. 自説の誤りを指摘されたときに、それにきちんと対応できないとニセ科学の道にはいる
  5. 万物の法則(Theory of Evertything)の誘惑:「すべてを説明できる理論は何も説明しない」ことをきちんと頭にいれておくべき

考えるべきことなど雑感

  1. 科学とニセ科学のあいだにはっきりした境界を引くことはできない(グレーゾーンはある)。しかし、多くのニセ科学はグレーゾーンではなく、「誰が見てもニセ科学」の領域にある。グレーゾーンがあるからといって、科学とニセ科学は区別できないと考えるのは誤り(相対主義の誤謬)
  2. ニセ科学研究者(および強固な信奉者)は説得できるか:これまでに見聞したかぎりでは、残念ながらニセ科学研究者も信奉者も説得はできない。 ニセ科学批判は、まだニセ科学に道に踏み込んでいない人々への教育のためと考えるべきなのだろう
  3. 科学者による批判は重要。ニセ科学批判はいわゆる「業績」にはならない。しかし、だからといって傍観しているだけでは、結局自分の首を絞めることになる。ニセ科学に関心のない科学者はその点をよく考えるべきである。
  4. マスコミの役割
  5. 特許がとれていてもニセ科学はニセ科学。湊弘平氏の磁力回転装置も蛇口につける活水器「蝶々」もたしかに特許をとっている。ただし、前者はもちろん永久機関としてではない。後者は特許対象となる効果が「水の活性化」なのだが、そんなわけのわからない理由でも特許はおりている。
  6. ニセ科学にならないための方法は、結局のところ、一般的な科学の筋道を守ることだ。新奇な効果を新奇な手法で測定するのではなく、新奇な効果を従来の手法で測定するべきだし、成果は一般向け書籍ではなく論文として発表するべきなのだ。

謝辞

「ニセ科学問題」について、多くのかたとの議論させていただいている。特に天羽優子氏(阪大VBL)、阿久津泰弘氏(阪大物理)、小波秀雄氏(京都女子大)、本堂毅氏(東北大物理)との日ごろの議論は役立っている。また、と学会のメーリングリストや大豆生田利章氏の主宰する疑似科学メーリングリストから多くの情報を得ている。その他多くのかたに感謝したい。そういう意味では、本稿にはそれほどのオリジナリティはない。

参考文献

ニセ科学に関する良書は数多く出版されている。 参考にさせていただいた文献を以下に挙げておく。 手にとってみることをおすすめする。 なお、いくつかの本については、「SFオンライン」というウェブマガジン(休刊したが、サイトは維持されており、バックナンバーを読むことができる)に私の書評がある。URLは http://www.so-net.ne.jp/SF-Online/

ただし、血液型性格判断・マイナスイオン・波動の問題はどれも日本固有のものであり、外国の文献にはとりあげられていない。血液型問題は「不思議現象」2冊およびその中に挙げられている文献に詳しい。

  1. 不思議現象 なぜ信じるのか (菊池聡・谷口高士・宮元博章編著、北大路書房、1995)

  2. 不思議現象 子どもの心と教育 (菊池聡・木下孝司編著、北大路書房、1997)

  3. 人はなぜ騙されるのか (安斎育郎、朝日新聞社、1996)

  4. 科学と非科学の間 (安斎育郎、かもがわ出版、1995)

  5. 疑似科学と科学の哲学 (伊勢田哲治、名古屋大学出版会、2003)

  6. なぜ人はニセ科学を信じるのか(マイクル・シャーマー、岡田靖史訳、早川書房、1999)

  7. きわどい科学 (マイケル・W・フリードランダー、田中・久保田訳、白揚社、1997)

  8. わたしたちはなぜ科学にだまされるのか (ロバート・L・バーク、栗木さつき訳、主婦の友社、2001)

  9. 人はなぜ迷信を信じるのか (スチュアート・A・ヴァイス、藤井留美訳、朝日新聞社、1999)

  10. カール・セーガン科学と悪霊を語る (カール・セーガン、青木薫訳、新潮社、1997) (文庫版は「人はなぜエセ科学に騙されるのか 上下」として、新潮社、2000)

  11. 奇妙な論理1,2 (マーチン・ガードナー、市場泰男訳、早川文庫)

  12. ハインズ博士「超科学」をきる Part1,2 (テレンス・ハインズ、井山弘幸訳、化学同人、1995)

  13. トンデモ本の世界 (と学会、洋泉社、1990)(文庫版は宝島社文庫、1999)

  14. トンデモ本の逆襲 (と学会、洋泉社)

  15. トンデモ超常現象99の真相 (と学会、洋泉社、1997)

  16. 新・トンデモ超常現象56の真相 (皆神龍太郎・志水一夫・加門正一、太田出版、2001)

  17. カルト資本主義(斎藤貴男、文藝春秋、1997)

ウェブサイトなど

  1. 私がだいぶ以前にMac Userという雑誌のために書いた「科学と科学のようなもの」という文書が
    http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/ISC/pseudo.html
    にある。古い記事のはずなのだが、今でもそのまま通用してしまうところが問題。なお、今回のレジュメのロングバージョンを公開するべく準備中。問い合わせはメールで
  2. 群馬工業高等専門学校助教授・大豆生田利章氏のウェブサイトの 「ネットワーク上の著作物」にはニセ科学(疑似科学)関連の資料が収集されている。 リンクも充実しているので、ここからいろいろたどってみていただきたい。
    http://www.ice.gunma-ct.ac.jp/~mame/doc/doclist.html
  3. 「水」にまつわる怪しい話が世間には多く、ニセ科学の中でも一大分野を築いている。曰く、水のクラスターが小さいとか、酸化還元電位とか、水は情報を記憶するとか、パイウォーターだとか、磁気水だとか、他にも他にも。これらについては、大阪大学ベンチャービジネスラボラトリの天羽優子博士によるウェブサイト「水商売ウォッチング」に詳しい。これは水に関する基本サイトである。
    http://wwwacty.phys.sci.osaka-u.ac.jp/~atom11/index.html
    なお、このサイトが阪大理学研究科内のサーバーに置かれていることに関して、理学研究科内にも批判がないわけではない。この場を借りて、ご支援をお願いしておきたい。
    天羽氏による「水商売ウォッチング」の解説記事が「物性研究」誌76巻5号 (2001年8月号)に掲載されている。 「物性研究」誌のホームページは
    http://www2.yukawa.kyoto-u.ac.jp/~busseied/
    である。ただし、該当号は残部僅少。 雑誌掲載以前のバージョンのpdfファイルは、以下のURLから取得できる(ただし、160MBあるのでナロウバンドのかたは注意が必要)。
    http://wwwacty.phys.sci.osaka-u.ac.jp/seminars/DrAmou03092001.pdf
  4. マイナスイオン問題については、東京大学生産技術研究所の安井至教授による 「市民のための環境学ガイド」も参照。 ただし、この「環境学ガイド」には不用意ないしは不適切な記述も散見する するので、全体をお勧めするわけではない。
    http://plaza13.mbn.or.jp/~yasui_it/

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